CHILD
これでも教育の話?
どんな子供に育ってほしいかを、
ざっくばらんに。

第6回 選手と監督の居場所

大後 わたしは、マネージャー出身ですから、
選手よりもマネジャーに厳しいですよ(笑)。
糸井 そうなんだ?
大後 もう、マネージャーについては
徹底して教育しますから。
人間のプラスアルファを引き出すための組織を
どうつくっていったらいいか、
ということにおいては、
キャプテンよりもマネジャーに厳しいです。
糸井 ほー。

もともと、
そういう考えを持つようになったのは
さっき聞いたみたいに、大後さんご自身の
ケガからはじまったことなんですねぇ。
ツキがないぶんだけ、運があったというか・・・。
大雪になったのも、そうだし。
大後 そうですね。
自分の人生を、よく呪いましたもの。
何でこんなに指導者に恵まれねぇのかなと思って。
それは、高校のときからなんですよ。
糸井 運、悪いですねぇ(笑)。
大後 高校のときも、先生の胃が悪くなっちゃって
顧問が3年間いなくて(笑)。
糸井 わははは。
大後 わたし、キャプテンだったから。
そこからがまた、不運だったんです。
糸井 今度は、何でしょう?
大後 いまから考えてのことなんですけれどもね。
結局、顧問のいなかった高校の3年間で、
練習をやりすぎてしまったんですよ。
練習を休むことを誰からも指示されなかったので
ずうっとやり続けて。
そして、揚げ句の果てにヘルニアに。
糸井 うわぁ。
大後 気がつかないわけです。
しびれているのに、バンバン。
大学へ上がっても、まだ痛みが続いている。
検査してみたら、これは完全なヘルニアだと。
しょうがないので、
ずうっとリハビリです。

そして、大学でも、
入学式のときに握手しようと思って
駅伝の監督をさがしたら
これが、いないんですよ(笑)。
それで4年間、
また、マネジャーとして
チーム全体を見ることになって・・・。

そういう星の下に生まれたのかなぁ。
でも、かえってそれがよかったかなぁ、
と思います。
糸井 ああ。だから、独自の経験で
やるしかなかったんだ。
大後 そうなんです。
固定観念がないんですよね。
感化された指導者がいないんで。
糸井 環境に依存したくても、
依存できなかったですよねぇ?
大後 そうそうそう。
自分で考えるしかなかったんですよ。
いつだって、自分の居場所を、
自分で見つけなきゃいけなかった。
自分の居場所が見つからなきゃ
やめるしかないんです。
糸井 そういう訓練を
ずぅっと続けてきたんだ。
大後 だからいつも、
嫌だなんていっていられないですよ。
まあ、厳しい環境だったんでしょうけど、
自分にとっては
非常に自分自身を鍛えてくれた環境だったなぁ。
糸井 これまでのことを聞くと、
ここにこうやって
大後さんがいらっしゃる理由が
よくわかりますね。
大後 そして、できれば学生に、
そういう場を与えてやりたいんですよ。

いま、教育界って、
できれば安全に安全に柵を囲ってやるような
しくみですよね。
運動会でも、マスゲームはなくなる、
棒倒しはなくなる・・・。
すべて危険因子を排除していく
考えかたでしょう? 
そういうの、やっぱりだめですよ。
「これが危ない」ということを
わからせるような部分を残しておかないと、
たいへんなことになっちゃいますよ。
糸井 脳だけの人間に
なっちゃいますよね。
大後 そうなんです。
まあ、親御さんからしてみれば、
かわいいお子さんが経験することからは
できるだけ危ない部分は排除してほしいと
思うんでしょうね。

だけど、世のなかって
そんなに甘いものじゃない。
糸井 くじを引かなきゃね、やっぱり。
大後 そういうこと、
おとながいちばんよく知っているわけでしょう。
甘い考えでいたら、
とてもとても生きていけるような
世界じゃありませんから。
糸井 うん、うん。
大後 だから、強いリーダーシップを持った子どもが
出てこないんです。

これから、いろんな意味で
スポーツにもいい指導者が
どんどん出てきてもらわなきゃいけないと
思っているんですけど、
そういう環境で育っていくと
ちょっと厳しいかなあと思います。
糸井 現在の状況で、
大後さんご自身の迷いが
まだいっぱいあって、
いろいろ悩んでいることがあると
おっしゃいましたね。
その状態というのは、
選手に見せていらっしゃいますか?
大後 悩んでいるということは、
見せてません。
ただ、
「こういうことが自分は甘かった」
と、自分の反省点はハッキリ言います。
糸井 そういうことは、
ちゃんと言うようにしているんですね。
大後 ええ。
昨日選手たちに説教をしたなかで、
そういうふうに話をしました。
糸井 なるほど。
大後 「おまえたちに怒鳴るのが、
 おれ、少なくなってたと思う。
 少し優しくなっちゃったのかな?」
と言いました。
糸井 これまで、選手の自主性を
尊んできていたのが。
大後 ええ。
トレーニングも、これまでは
「体がきついから、
 今日はちょっとここでやめておきます」
というような、選手の気持ちを
いつも尊重するようにしてたんですよ。
大人扱いしてたんです。

だけど、
「いや、おまえ、
 いま自分に向かわないと、逃げになるぞ」
と言ってみたんです。
そしたらできるんですよ。
糸井 選手のほうも
そう言われるのを
望んでたのかもしれない。
大後 それで、その選手はほんとにいい顔して、
「先生、あのときに、
 トーンと背中たたいてもらって、よかった」。
糸井 ああ、やっぱりそうなんだ。
大後 まだまだトレーニングできたにもかかわらず、
わたしがいつも甘い言葉をかけて、
本人の「くそ!」という気持ちを
引き出してやれなかったかもしれない。

やっぱり優しくなっちゃうとだめだなあ。
いや、優しくしたというより、
甘やかしていたのかもしれないですね。
甘やかすのと優しくするのとを
履き違えをしていたかもしれない。
わたしも学生たちも。

やっぱり時と場合によって、
いままで塩だけだったのを
コショウにしようかと(笑)。
糸井 指導する側が
豊かになっていかないとだめですよね。
大後 そうなんですよ、
いままでわたしは、忘れていましたね。
自分が元気で、感性が敏感でないと、
いい指導もできないです。
体調管理ということも含めて、
監督というのは、たいへんなんですよ。

指導者や、組織の上に立つ人間は、
常に感性を働かせていないと
なかなかいい指示を出せないんだろうなぁと、
ほんとに感じます。
これまでは、
選手が走ればいいんだから、
「おれは酒飲んでいても関係ねえ」
と、思ってた。
・・・ところがそうじゃないということを、
最近つくづく感じます。
糸井 選手と監督は、「一体」なんですねぇ。
大後 一体なんです。監督の心境が、
チームのカラーになっていくんです。
糸井 ぼくの知り合いに、
ビジネスのことを
いろいろ教えてくれる人がいます。
その人にぼくは、
「ある会社とつき合うか、
 つき合わないかをどう判断するか」
を尋ねたことがあるんです。
そしたら、「社長がすべて」だと言うんです。

その社長がどういう場所にいて、
どういう戦いをしているとかいうことよりも、
人格で判断するというんです。
人そのものが信用できたら、
長い目で見たら、
いいことばっかりになる。
たとえ、一緒に失敗しても。
大後 そう思いますね。
これはね、
もうほんとに説明がつかないんですけどね。
タイミングもあるし、
出会いもあるし。
糸井 人との出会いは、大切ですね。
大後 いま、うちの大学は、耐震のために
いろいろ建て直しをしてまして、
昨年の11月に
トレーニングセンターをつくってもらったんです。
そこにトレーナーの人が入るようになった。

その人は、たまたまなんですけれども、
ものすごくいいトレーナーだった。
それで、わたしはその人と組むようになって、
チームのことをいろいろ、
話させてもらってるんです。

あと、実業団にいた私の教え子が、
年は10歳離れているんですけれども、
いま、コーチで来てくれているんです。
これも優秀なやつです。
みんなで集まって、
カンカンガクガク話をしているうちに、
何かやれることが見えてきた。

これもいい出会いだと
思うんです。
糸井 うーん、楽しそうですね、それは。
大後 楽しいんですよ。
これがまた昨日も朝の5時まで、
ああだ、こうだと話しているわけです。
糸井 がんばってますね、
ほんとに。
大後 はい。
糸井 やっぱりねぇ、
日本の資源って、人間しかないから、
人間がよくならないかぎり、
だめなんだろうなあ。
(つづき)

2002-02-05-TUE

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