CHILD
これでも教育の話?
どんな子供に育ってほしいかを、
ざっくばらんに。

第1回 駅伝競技もぼくも変わりました

糸井 今日は、ひさしぶりに
お会いしたんですけれども、
ちょっと調子よさそうですね(笑)。
大後 体調が、ものすごくいいんですよ。
仕事量が増えても、
ぜんぜん大丈夫な時期です。
糸井 立派だなあ。
「自分自身の体調管理」って、やはり
リーダーたるものの責任なんですか?
大後 そうだと思いますねぇ。
私の体調が悪いときは、
学生たちの調子も、やっぱりよくなかったし。
糸井 そんなもんなんですよねえ。
そうだよそうだよ。
チームを抱えている時って、
ほんとにそれが身にしみてわかるわ。
大後 最近、監督というのが
ほんとうに重みのある仕事なんだなあと、
ひしひしと感じるんですよ。
いままでは、そんなに感じなかったけど(笑)
糸井 へえー。
変わったんですね。
そのあたりのこと、ぜひ聞きたいです。
・・・いま、おいくつになられたんですか?
大後 今年で、37歳になります。
糸井 ふーん。
そのくらいの年齢だと、
社会で大人として扱われはじめる、
そんな時期ですね。
33〜4歳だと「若い人」に勘定されるもんね。
大後 まあ、そうですね。
糸井 その年になると、
いわゆる「社会的なやりとり」も、
増えてくるわけでしょう?
大後 ええ。
チームの上層部に、自分の意見が通るような
年代になってきたなぁ、とつくづくと感じます。
糸井 チームの上のほうの人たちにしてみれば、
「そのプランを、最後までやりきるのは、
 おまえなんだな、本当だな?
 ・・・おまえが本気だと言ったから、
 こちらはよいしょってハンコを押すんだぞ」
という気持ちなんですよね。
大後さんとしては、言ったことを
実行して守り通さないといけない責任も、
当然、増してくるという時期でしょう。
大後 そうなんです。
いよいよそういう年代に。
ですから、自分で本格的に企画して、
立ち上げる時期が来ているんです。
糸井 それは大学レベルでの企画なんですか、
全体としての、駅伝の競技レベルですか。
大後 まだ、「大学レベル」ですね。

ただ、やっぱり
まずは大学を変えていかないと、
日本のスポーツ全体を変革していくのは
なかなかむつかしいと思うんです。
まずは大学レベルで、
もっとプロとしての意識を、
指導者も含めてそれぞれが持たなくてはいけない、
と考えています。

昔のように「駅伝だから」と言って
とっても才能のある子どもたちを、
ふつうの学校の先生が授業を持ちながら
片手間でやるような時代じゃないですから、
いま、そういうシステムづくりを
やろうとしているんです。
糸井 この数年でいちばん変わったのは、
駅伝の、競技としての視野が
「世界」になっちゃったことでしょう?
外国の人と駅伝で競うということが
出てきましたからねぇ。
大後 そうですね。
糸井 そんなこと、5、6年前には
あんまり意識しなかったですよね?
大後 ええ。
でも、もはや今は、
完全にそういう時代になりましたね。
大学リーグに行っている選手なんかだと、
ほとんどが世界の舞台に出ていますから。
糸井 あぁ、やはり変わりましたね。
大後 子どもたちが
真の意味でプロフェッショナルな環境において、
どんどん学んでいかないと、
世界に対応できなくなるんじゃないかなぁ?
糸井 環境と指導者と
両方の改革が必要なんですね。
大後 お医者さんは手術を失敗すると、
たいへんなことになるでしょう?
指導者は子どもにケガをさせても、
道義的責任はあるけれども、
法的責任を問われることは、
そんなにないものね。

そこに、日本の指導者のレベルの低さが
まだまだあるんじゃないかと思います。
糸井 うん。
大学駅伝の選手も
変わってきましたね。
大後 最近、駅伝は特に注目されている競技ですから、
プロの選手を採用している大学が
どんどん多くなってきています。
糸井 外国人選手も増えていますもん。
大後 そうですね。
実業団でバリバリやっていた選手を
引き抜いてきて指導する、ということも
多くなってきています。
糸井 いずれ、
駅伝はオリンピックにも入るくらいの
競技になるんじゃないか、と
思われていますか?
大後 いやあ、どうでしょうかねえ。
糸井 それは、あんまりないか。
大後 駅伝というのは、どちらかというと、
日本人の国民性に向いてる
種目じゃないかと思います。
どうしても、お涙ちょうだい的なところが
ありますし(笑)。
糸井 日本人は、ああいうのに弱いよね。

でも、駅伝のおもしろさは、
競技を、風景ごと
楽しめるところにあると思うんです。
ツールドフランスを見ているときみたいに。

ケニア大会だったらこうとか、
アメリカだったらこうとか、
ゴルフコースと同じように、
風景や距離感を疑似体験できるというか。
・・だから駅伝は、世界に広がったら
おもしろいなあと、ぼくは思うんですよ。
大後 マラソンをされるかたが、
ニューヨークに行ったり、
ハワイに行ったりしますよね。
やっぱりあれは、
「そのロケーションで走りたい」
というのがあるみたいです。
糸井 やっぱりねえ。
やっぱりスポーツには
『ロケーション』という要素が
あると思うんですよ。
特に、競技場の外に出るスポーツって、
観客はそこまで一緒に見てますし。

路上で応援している人にすら
注目したりして(笑)。
「あ、こんな服着てるヤツが、
 この国に住んでいるんだ」と、
それを思うだけでも楽しいでしょ。

だから、駅伝は
日本だけではもったいなあと
ずうっと思っているんですけれども。
大後 そうなるといいんですけどね。
糸井 神大チームの調子はどうですか?
大後 絶好調というわけではありません。
いまは、過渡期ですね。
・・・つまり、数年前に、
「箱根駅伝で2連破したチームだから、
 勝たなきゃいけない」
と、みんなが追いこまれていったんです。

どんなことでも、
「しなきゃいけない」と思ってしまったら、
ものすごく弱くなるんですよね。
糸井 つまり、
「勝ちたい」ではなく、
「勝たなきゃいけない」
と思ってしまったときは、弱い。
大後 弱いんです。
そういうことがあって、
チーム全体がどんどん
精神的に病んでいったんです。

大学を卒業するときに、
「伸び伸びやれなかった」
「思う存分チャレンジできなかった」
と言った選手がいたんです。
いつもいつも、何かに
追われているような気がしたんでしょうね。
糸井 何だが進学校を卒業するみたいですね、
そのセリフ。
大後 常に、世間から偏った見かたをされますから。
2番や3番では許されない。
優勝しないとダメ。
まあ、ジャイアンツみたいなものですね。
私にもそういうところがあって、
そこが、「欲のかきすぎ」だったという。
何といっても選手は大学生ですから、
それを跳ね返すだけの人間性が
まだ備わってないんですよ。
糸井 いまではもう、
神大は名門になったけれども、
「だめかもしれないと思っていたやつが
 可能性を見た」ときのポテンシャルと、
「できるだろうといわれていたやつが
 できないと恥ずかしいぞ」というときの
ポテンシャルは、全然違いますもの。
大後 私はもともと、ずっと
マネジメントをやってきたので、
「選手上がりの監督」というわけじゃないんです。
だから、指導するための
カチッとしたスタイルを持っていなかった。
それに加えて、これまで特に
何かに感化されたという経験もなかった。
指針にするものが、まるでなかったんです。

そんな調子で
経験を独自に積み上げてきたもので、
これまでは、何とかやってこれたんです。
2回優勝できたこともあって、
「あ、このスタイルでいけるのかな」
と、思ったわけですよ。

ところが、そのスタイルで
ずうっと指導を続けていたら、
どんどんチームが崩れてきたんです。
糸井 ああ、それは自分だけのことではなくて、
選手のいることだったから。
大後 ええ、チームは、常に、
変化しているんですよね。

それに、大学生は
4年間で全員が入れかわりますので、
精神文化が残るようで残らない。
残ってないようで残っているというか。

4年間で学生が入れかわっても、
引き継がれて残る部分はあるんです。
けれども、指導する側がそこに頼り切っていると、
チームは崩れてくるんです、だんだん。

もともと人間というのは、
自分が歩んできたサクセスストーリーを
捨て切れないものなんですねぇ。
プライドがあるから。

選手たちも私も、
まさにそこに陥っていた。
お互いが勝手に
「これでやればいい『はず』だ」
と思いこんでいて、歯車が
うまくかみ合わなくなっていたんです。

足元を見なかったんですよねぇ・・・。
「いままでこの方法でできていたんだから
 こいつらもやれるはずだろう」
と、考えちゃって。
そうこうしているうちに、
どんどんみんなの体調が悪くなって。
糸井 えっ!
体調に影響が出てくるんですか。
大後 そうなんですよ。
糸井 指導する側の責任が、
目に見える形になっちゃう。
・・・痛いなあ。
大後 トレーニングの質と量の両方を
選手たちにバランスよく与えているつもりが
実はそうじゃなかった。
そのことが、形になって見えてくるんですよね。
これは、焦りますよ。
糸井 「どうしたんだ、これは!」って
なりますね。
その中で、大後さんが
どのような教育をしているかを、
ひきつづき、伺っていきますね。
(つづき)

2002-01-24-THU

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