CHILD
これでも教育の話?
どんな子供に育ってほしいかを、
ざっくばらんに。

第7回 あいつも連れていこうぜ。

福武 進研ゼミがぐっと伸びた中学講座の時に
同じような問題意識を持っていて、
あのときの伸びたベースは、要するに
「勉強を、スポーツやゲームのように
 楽しいものにしたい」という願いだったんです。

勉強をおもしろくなくしたのは大人だと思った。
それが、子どもにすごく受け入れられたんです。
糸井 子どもに直に受け入れられたわけですね。
福武 要するに、勉強というのは、
スポーツやゲームとは違うジャンルのものだと
子どもは思っているわけでしょう?
じゃあ、同じレベルにしたらいいじゃないか。
それほどおもしろくて、
楽しくて、わくわくしてみたら・・・。

いまはまたもう少しあたらしく
主体的にと言うか、みずから学ぶ意欲みたいなものを
再構築せにゃいかんですよね。

いい学校に入って、いい企業に入る、
それが幸せだと思い込んでいたわけですが、
その学ぶ目的みたいなものが喪失して、
学ぶ目的が喪失すると、
学ぶ意欲は当然なくなりますよね?
糸井 勉強のできる子が
なぜ勉強するかというと、
運動会でかけっこの得意な子が
かけっこが好きなのと同じで、
「勝てる」からだと思うんですよ。

要するに運動会と同じようなことが
ずうっと毎日6時間とかくりかえされていて・・・。
そうすると勉強の得意じゃない子というのは、
ほんとに、チャンスがなくなるんですね。

教育論かどうかはわからないんですけど、
ぼくが昔、個人的に、
ふと気づいたことがあるんです。

東京でいま仕事している人間って
みんなそうですけど、
地方にいるときは勉強ができるわけですね。
ぼくも小学校時代はできていたんですが、
そのときから「怪しいな?」と思っていました。
小学校で6組あったんですけど、
クラスで1番だったとしても、
学校で最悪だと6番になりますよね?
・・・市内の小学校の数をかけざんしてみると、
その時点で30番とか100番になっちゃう。
更に県があって、都道府県ぜんぶになると、
「クラスでいちばんって、何なんだよ」
と、ぼくは小学校の時に、思っていたんです。
福武 なるほど。
糸井 それで、ちょっとこわくなりました。
日本というぜんぶのレベルの中で
こんな戦いをずっとやっていくとすると、
最悪だなあ、と思ったから。

勉強をスポーツみたいにやるとか、
得意だからやるっていう姿勢が、
もう、その時点でイヤになりました。
得意っつったって、たまたま
親が本を読ませていたという程度なんです。

そんなところを得意だと感じて
いちばん同士が競走をしているのは、見苦しい。

そうじゃないものということで
考えていた時に、いちばん
「これ、いいなぁ」と思ったのは、
ともだちどうしで遊ぶ時に
「あいつ、呼ぼうぜ」
と言われる存在、というやつなんです。

どんな集まりでも、
「あれ、今日、あいついないの?」
と言われるやつがいるんですよ。
それは、俺、やりたいと思いました。
運動だとかある技能が得意不得意じゃなくて、
どっかに行きたい時に一緒にいたいやつ。

そういう存在に、みんながなると、
楽しいだろうなあと思っています。
福武 へえー。
いつごろ思いましたか?
糸井 それは小学校です。
その意味ではませてたんですけど。

そこで、漫画家になりたくなりました。
ぼくの考えでは、漫画家って、
そういう存在にいちばん近かったから。

・・・思えば、そう気づいた時から、
ある意味では志を固めて、ずっとそうやって
生きてるような気がするんですよねぇ。
だから、狭いジャンルでいちばんになろうと
思ったこととかはいままでほとんどなくて、
いちばんになるんだったら、
誰もやっていないところで勝手にいちばんになって、
「あいつ、いちばんらしいよ」といわれているくらいの、
意味のないいちばんになりたいとか(笑)。

そういう発想に変えた途端に、楽しくなった。
ただ、自分は忙しくなりますよね?
呼ばれるお座敷が多くなりますから。
福武 わかります、わかります。
今の「ほぼ日刊イトイ新聞」がそうだよね。
すごくわかります、今の話。
(つづきます)

2001-12-06-THU

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