江戸が知りたい。
東京ってなんだ?!

「江戸東京博物館」を知の遊び場にしよう。

第2回
なぜ、寺子屋のなかが大騒ぎなのか?

ほぼにちわ! 江戸博で開催中の
「江戸の学び」展について、学芸員である
市川寛明さんと石山秀和さんにお話をうかがっています。
きょうは、寺子屋のなかが、なぜ、
大騒ぎだったか、というお話です。
そこには江戸時代の社会が、
色濃く反映されているのでした!

── 寺子屋で子どもたちは
何を学んでたんでしょう?
市川 主にやっていたのは
「読む」ことと「書く」ことですね。
「読み」は先生に教わりながら、
色んな往来物(おうらいもの)を
読むことですね。
往来物は、いわば教科書ですね。
「書き」のほうは、お習字ですが、
基本的には自主学習なんですよ。
自分で、一所懸命やるんです。
で、お手本には2種類あって、
往来物がお手本になる場合と、
折り本と言って、お経のように‥‥
── 蛇腹になってる。
市川 そうそう。蛇腹になってるやつ。
これをお手本として使う場合もあるんですね。
浮世絵を見るとね、折り本を見ながら、
真っ黒にしながら書いてる。

▲風流てらこ吉書はじめけいこの図(部分)
 歌川豊国(初代)画 公文教育研究会蔵
── ほんとに真っ黒になってます!
それで、「書き」は自習、
「読み」は先生に教わるということですが、
いまの学校のように、
みんな一斉に教科書を開いて、
「○×くん、読んでみなさい」
「はーい!」という感じでは‥‥
市川 ないんです。
基本的には、個別教授なんですよ。
だから教室があんなに賑やかになるんですね。
先生が一人の子を教えてたら、
あとの子はフリーになっちゃう。
── この絵でも、先生のそばの
数人以外は大騒ぎですね。

▲一掃百態 寺子屋図 渡辺崋山画 文政元年 田原市博物館蔵
市川 そうなんですよねえ。
こういう絵がひとつふたつしかなかったら、
ほんとかな? って思うところですが、
こういうのがいっぱいあるわけですよ。
色んな本にそういう風に出てて、
そうすると、やっぱりそれは
真実だったんだと思わなきゃいけない。
じゃあ、どうして、師弟関係が
たいへん強固に存在した社会で、
こうなっちゃうんだろう? と思いますよね。
先生がコラー! って言えば、
たちまち静かになるはずですよね?
どうしてそういう静かさを保とうとか、
ぴしっとさせようとしないのか。
そこが、寺子屋の本質であり、
大事なとこなんです。
「勉強っていうのは、
 強制するもんじゃない」
っていう発想がかなり強かった、
っていう風に、解釈できるんですね。
── ああ!
市川 つまり、勉強って何のためにやるか。
いい人間になるためにやるんです。
強制されて「いいこと」をしても、
全然誉められないんですよ。
いいことは、やっぱり自主的に
やらなきゃいけない。
江戸時代の子どもたちは、
それが自主的にできるようになるために
勉強してるんですよ。
で、これ、仏教の宗教観でもそうですけど、
「悟りを開く」ってあるじゃないですか。
これも人から「お前は悟りを開いたな!」
って言われるものではなくて、
自分で山に篭ったりとか、
自発的にやる以外ないわけですよね。
滝に打たれて
「もう、冷たいからやだ」って言ったら、
それでおしまいなわけですよ。
勉強って、そういうのと似ていて、
自分でやらない限り意味がない。
そういう発想が強かったんだと思います。
── とても基本的なことをお聞きしますが、
江戸時代の人たちって、
自分で職業が選べなかったんでしたっけ。
いまは小さなときから
「将来何になりたいか」なんて
作文に書いたりしますよね。
そしてどこの中学行こうとか、高校行こう、
理数系か文科系か、大学は何学部で、
それはどんな職業につきたいから‥‥、
っていう風に、だんだん行きますよね。
でも、江戸時代の子供っていうのは、
いくら勉強しても、その能力をいかせる
仕事につくことはできなかったんでしたっけ。
市川 そうなんです。「学ぶ」っていうことが
自分の、将来とか経済的な地位とか
ステイタスを作るとか、
自分の職業を選択するのに
影響してくるってことがないんですね。
だから「学び」が「遊び」に
純化されているところがあるんです。
そのころは“門閥制度”、
‥‥つまり身分制社会ですから、
なにかに秀でた能力ある人でも
親の仕事を継いで
そこに従事しなきゃいけない社会だった。
それは武家社会だけでなく、庶民社会でも、
大工の子は大工に、
だいたい、なってくわけですよ。
で、それの良さももちろんあるわけです。
親っていうのは、自分を育ててくれた
恩人であるだけじゃなくて、師匠でもあって、
絶対的に尊敬できる存在としてあった。
門閥制度がなくなってからは、
能力ある人がその能力をいかす道が
ひらかれていき、自分の努力がむくわれる、
そういう社会になっていった。
でも、そのいっぽうで、
親が偉いとかって感覚がなくなっていく。
もっと勉強して、お父さんより
偉くなりなさい、みたいな感じになって。
今はもう、あまりにも功利的に
振れ過ぎちゃっているのかもしれませんね。
たとえば今の時代は、
株を運用してお金を儲けるってことは、
何ら後ろめたいことではないし、
むしろそうしないとちゃんとした
老後の生活ができないよとか、
そういう話になるくらいですよね。
でも、江戸時代はお金を儲けることが
とても恥ずかしいことだったんです。
── ああ! そうなんですか!
江戸時代は、お金って
どんなものだったんですか。
江戸っ子は宵越しの銭は持たねぇ、
って言うじゃないですか。
市川 それを、お金のない人が粋がって、
って思ったりしませんか?
‥‥そういう風に理解できないことも
ないんですけど、
宵越しのお金を持たないっていうのはね、
日本の江戸っ子だけじゃなくって
世界中共通してる感覚なんですよ。
── へえ?
市川 まったく同じだなと思ったのはね、
以前「AERA」にこんな記事があったんです。
西部開拓時代のアメリカでは、
家にお金があるっていうのは、
すっごく後ろめたくて恥ずべきことだったと。
そんなお金があるんだったら、
困ってる人がいっぱいいるわけだから、
助けてあげなきゃいけないんですよ。
世の中が等しく貧しい時代にあって、
お金をひそかに持ってる、貯えてる、
それはすっごい恥ずかしいことだったと。
基本的には、江戸時代の人が、
宵越しの金を持つのは恥ずかしい、
っていうのは、そういう感覚なんですよ。
困ってる人のために使わなきゃ
いけないっていう精神っていうのは、
一見キリスト教固有のように
見えるんだけれども、
全世界共通してるんです。
どんな社会でも、前近代社会の道徳って。
お金を貯えてることが、
非常に悪徳感が漂う。
ですから、商人って、物語のなかで、
常に悪者に描かれるんですよね。
── 「越後屋、おぬしもワルよのう」とか(笑)。
市川 そう(笑)、
それはヨーロッパだったら
『ヴェニスの商人』の
シャイロックなんですよ。
ユダヤ人って、伝統的に文化圏の間を
中継貿易しながら
富を築いていくじゃないですか。
── ものを生み出さずに、お金からお金を生む。
市川 封建的な社会っていうのは、
自給自足を基本とする社会だから、
自給自足の社会の上に立った道徳が
当然発達してるわけです。
自給自足でものが生産されるっていうのは、
ほとんど農業ですから、
農業から正しい富が生まれてくるというのが
富のあり方だと思ってるわけですよ。
その中にあって、
お金を持ってるってことは、
とっても悪いことなんですよ。
つまり、経済的な成長がなくて、
自給自足で完結した村があるとしますよね?
そうすると、富っていうのは、
まあ、ある程度一定なんです。
余剰がほとんどない。
そうすると、富っていうのは、
ほとんど蓄積されることはないわけです。
生まれたものだけ消費されてるんです。
で、その中にあって、
富を持ってる人がいたら、
ゼロサムゲームで、
必ず誰かが損してるってことなんですよ。
だから、富を持ってるってことは
悪いことなんです。
そういう道徳観がベースなんですね。
── なるほど! そのベースの中に
寺子屋っていうものがあったんですね。
冨の分配という視点から、
商人は悪人であり、
「功利的な発想」は
当時の人にあまりみられなかったと。
市川 そういうことになりますよね。
だから、自分が勉強して偉くなるとかね、
そういう発想は、あんまりないんです。
だから、強制しないんですよ。
勉強を強制することはない。
── でも、ぜんぜん役にたたないわけでは、
ないですもんね。
市川 ええ、もちろんベースにはね、
“最低限”役に立つっていうのは
当然あるわけです。
手紙が読めなきゃ、帳簿が書けなきゃ、
というのは当然あるわけですね。
でも、それは、非常に最低限のレベルで、
今だって、日常生活するのに充分な学力って
小学校で済むかもしれませんよね。
江戸時代も当然、生活レベルで
絶対必要であるものって
そんなに難しいレベルじゃないわけです。
そしたら、それ以上のことを
なぜやるかって言ったら、
そこは功利的な動機ではないんですよ。
人間を作るためにやってるんだと、
そういう発想なんですよね。
── そういう発想が根本にあっての、
この、机のばらばら具合!!(笑)
市川 そう、ばらばら。
これもね、一斉教授じゃないってことを
よく示しますよね。
── と思うと、こちらの寺子屋は
きちっとしてますね。

▲寺子屋の図 公文教育研究会蔵
── 先生も恐そうだし、
いたずらっ子は立たされてますね(笑)。

▲寺子屋の図(部分) 公文教育研究会蔵
市川 そう、これがね、寺子屋における、
最上級の罰なんです。
捧満(ぼうまん)ていうんですけど、
水を持って線香を持って立たされる。
これね、ちょっと製作年代が、
残念ながら、わからないんですけれど。
── それにしても、ばらばらのほうは、
ほんとうにばらばらですね!

▲一掃百態 寺子屋図(部分) 渡辺崋山画 文政元年 田原市博物館蔵
市川 近代化ってある種、秩序正しくする変化で、
例えば軍隊で回れ右! とか、
右向け右! っていうのが、
日本人は、最初、全然できなかったって
言うんですよ。
農兵を取り立てる時に、行進ができなかった。
── 新選組も?
市川 新選組に行ってた人たちは、
まあ武士になりたいって人たちだけれど、
組織戦には馴染まないんですよ。
自分ひとりで、切ったはったを
やりたい人なんですよ。
武士に集団行動とらせるって、
なかなかできることじゃないです。
自主自立の精神だから。
特に、近藤勇みたいな奴に、
「おまえは下級の武士だから、
 気をつけ! 回れ右!」なんてやらしたら、
「俺はいやだ、こんなとこいらねぇ」って、
たぶん出てっちゃったと思いますよ。
江戸時代は、良くも悪くも秩序正しくない。
ということで「学び」もね、
基本的には個人の営みなんです。
だから机がどう向いてようが、
別にいいんですよ。
みんなでやるってことはないし、
誰かと比較されることも
本来はないものであったんですね。

ありがとうございました!
これからさらに詳しく、
学費のことや授業のことなどをおききしていきます。
おたのしみに!

2006-03-10-FRI


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