江戸が知りたい。
東京ってなんだ?!

「江戸東京博物館」を知の遊び場にしよう。

第1回
江戸の就学率は80%、
なかでも江戸の女の子は忙しかった!

江戸東京博物館で開催中の『江戸の学び』展。
その担当学芸員である、市川寛明さんと石山秀和さんに
たっぷり話をうかがってきました。
きょうから、会期中(‥‥って、3/26までです!
行こうというかたはおはやめに〜!)、
“寺子屋って、なんだったんだろう”ということについて、
このページで連載をしていきますね。
(どういう展覧会なのか、ということについては、
 前回の更新をごらんくださいませ。)
では市川さん、石山さん、よろしくおねがいします!

── いま見てきたんですが、
面白くて! 展覧会が。
市川 面白かったですか!
よかったです!
ああ、そいつはほんとに嬉しいです。
ああー、嬉しい!
── とくに寺子屋のところが
面白かったです。
江戸時代ののびのびした感じ、
うらやましい感じがしました。
寺子屋で学ぶ‥‥というか遊ぶ、
イキイキとした子どもたちの絵が
印象的でしたね。

▲寺子屋遊び(いたずら)歌川広重/画 公文教育研究会蔵


▲諸芸稽古図会(部分)歌川広重/画 公文教育研究会蔵
市川 歌川広重ですね。
今回、絵は、公文教育研究会から
お借りしているんですが、
そこの研究者の方にお聞きすると、
やっぱり広重って、
子供が好きなんですって(笑)。
── 好きですよねぇ(笑)!
ほんとうにイキイキとしてて。
寺子屋って何だったのかっていうのが、
いちばんよくわかりますよね。
たくさんの子どもたちが
寺子屋に通っている風に見えたんですけど、
実際‥‥みんなが行ってたんですか?
石山 どれくらいの子供たちが
寺子屋に行ったのかっていいますと、
関西のひとつの村で、
7割から8割という研究があります。
で、関東農村ですと、もっと下がるんですね。
商品経済の発達した地域ですと、
だいたい4割から5割まではいくんですよ。
どんな農家でも。むしろ、準農村といって、
あまり商品経済の発達してない、
農業だけで生活してるような村ですと、
1割から2割くらいしかないっていう
村もあります。
地域によって様々なんですが、
日本の平均でどれくらいかって言われると、
40%くらいと言われます。
── 江戸の市中はどうですか?
石山 江戸はもっと高かったでしょうね。
ただ、実際の数値が出てないんです。
乙竹岩造さんという方が、大正期になって、
就学児童の数値と、
当時あった寺子屋の数を換算しているんです。
江戸時代の幕末には1200くらいの寺子屋が、
あったって言われてるんですが、
それを換算すると、
だいたい80%になるんですよ。
── 関西の、経済の発達した農村が
7〜8割ってことは、
江戸の市中が8割でもおかしくないですよね。
石山 僕らも、感覚的にいって、
江戸はものすごかったと考えています。
これはやっぱり、経済の発展と
かなり強い相関関係があって。
商品的な農業生産が始まる前っていうのは、
そんなに文字を必要としない社会で、
技術的に言っても、
親から子に伝承されていくだけですむんです。
しかし、農作物を他所に売るようになると、
その段階になって初めて文字が
必要になってくる。例えば、出荷する時に、
どこに出せば高いのかとか、
いつ出荷すればいいのかって、
それは記録をとっとかないといけない。
例えば今年は寒い年だったから
このくらいだった、とか。
── ああ! そうですね!
口伝えでは、わからなくなりますね。
市川 どのタイミングで、
どの肥料入れたらよかった、
というような農法についても、
文字で記録をする必要が出てきますね。
── 8割っていうのは、
残りの2割の子っていうのは
どうして行けないんですか。
お金ですか?
石山 んー。必要ないってことなんですね。
── 行かなきゃいけないものではない?
石山 そうです。義務教育じゃないんですよ。
── だけど、8割ということは、
一般的な親は、子供を寺子屋に
通わせていたわけですよね。
でもなかには「必要がない」と
思っている親もいたということですか。
石山 特に男の子の場合は、
だいたい8歳から9歳になれば、
ちょっとした小遣い走りも、
仕事としてできますよね。
だから、働いちゃうんです。
男の子の場合はね。
でも女の子の場合は、
そうはいかないんですよ。
やっぱりなかなか肉体労働に
耐えられませんから、もう少し教養を積んで、
いいところへ嫁さんに行くために、
勉強しなきゃいけないっていう。
だから、今回の展示でも、
江戸の女の子がいかに忙しいかを
式亭三馬の『浮世風呂』を例に
説明しているんです。

『まアお聴きな、朝むつくり起ると
 手習のお師(し)さんへ行て
 お座を出して来て、
 夫(それ)から三味線のお師さんの所へ
 朝稽古にまゐつてね、
 内へ帰つて朝飯(まんま)をたべて
 踊のけいこから御手習へ廻つて、
 お八ツに下ツてから湯へ行て参ると、
 直にお琴の御師匠さんへ行て、
 夫から帰て三味線や踊のおさらひさ。
 其内に、ちイツとばかりあすんでね。
 日が暮ると又琴のおさらひさ』
 (式亭三馬 『浮世風呂』より)
── 江戸の女の子の
1日のスケジュールって!
石山 超過密スケジュールですよね!

▲諸芸稽古図会「おどり」(部分)歌川広重/画 公文教育研究会蔵
市川 これはね、フィクションだと
みんな思ってたし、僕も思ってました。
面白おかしく書いてんでしょって。
ですけど、乙竹岩造さんて人の研究だと、
それに近いことが指摘されてるんですよ。
まずね、寺子屋だとね、
女の子は、休んじゃう子が多いんですよ。
ひける時間も早いんです。
ていうのも、お稽古があるから、
男の子に比べると早く帰っちゃうし、
休む日も多いんですよ。
でも、在学期間は、
逆に男の子よりも長いんです。
何でかって言うと男の子は、
もう10歳とかになると
力仕事とかできるようになっちゃう。
働き手として、どんどんどんどん
出て行っちゃうんですけど、
女の子はもうちょっと教養を積んで、
いいとこのお屋敷に奉公すれば、
将来何かがあるかもしれませんから。
── いいお嫁さんの口が。
市川 もちろん、もちろん。そう。
ほんとにそうです。
ご生母様になるっていう可能性まで
あるわけですから。
近代になると、等しく、みんな、
試験さえできればね、
末は博士か大臣かの世界になりますよね。
つまり、功利的な動機がすべての人に
平等に開放されてるわけです。
でも、江戸時代って身分制社会だから、
そういった功利的な動機は
ほとんど発生しないんだけど、
数少ない功利的な動機が発生してるのが、
江戸とか城下町の、女の子たちなんです。
── 昇っていける可能性があるわけですね。
市川 昇っていける可能性があるんです。
だから鞭が入るんです。
で、自分もやんなきゃっていうのがあるし、
親もやれやれって話になる。

今日はここまでです。
次回につづきまーす。


▲左が市川さん、右が石山さんです。

2006-03-07-TUE


BACK
戻る