江戸が知りたい。
東京ってなんだ?!



 

本日18日、江戸東京博物館の
「平賀源内展」は終了となります。
本連載を読んで、展覧会に足を運んでくださったかたも
たくさんいらっしゃったとのこと。
どうもありがとうございました。
この展覧会は、これから夏までかけて、
仙台・岡崎・福岡・香川へと
巡回をしますので、お近くのかたは
ぜひ、足を運んでみてくださいね。

では芳賀先生とdarlingの対談、
最終回をどうぞ!




第10回
ユビキタスの人、源内。

芳賀 それから特に今回、なんといったって圧巻は、
博物学の図譜かと思います。
あの高松の殿様が、源内の情報を入れながら、
採集して描かせた『衆鱗図』とか『衆芳画譜』。
糸井 魚やらなにやら、たくさんあるやつですね。

【『堀田禽譜』堀田正敦】東京国立博物館蔵
芳賀 魚や花や野菜や鳥の、あの図譜。
それからその周辺の他の殿様がやらせた、
栗本丹洲でしたかな。博物図譜。
おどろくべき精緻な、そして技術的な香りのある。
あの、自然科学と美術が、
ピシャッと接近して、なんべんかこう重ねあった、
そういう時期の作品だと思います。
博物学が美術に、絵に近づき、
絵が博物学に近づいた。
だから伊藤若冲もそうでしょう?
糸井 そうですねぇー。
芳賀 あの、鳥をカーッ! と描く、
それから菊の花をウワーッ! と描く。
糸井 ぶつかり合いですよね。
芳賀 それから、円山応挙も写生をやる。
セミを描いたりとか。
ちょうどあれと同じ時代なんですよ。
あそこがやっぱりひとつ、
今回の展覧会の目玉かなと思いますね、
博物図譜のところ。
糸井 あのへんはムンムンしてますね、確かにね。
芳賀 もともとはね、薄い和紙に描いてあるんです。
で、それを小刀でしょうかね、
切り取って、アルバムに貼ってあるんです。
糸井 そういう仕掛けなんですか。
芳賀 あれ、見たときに立体感があるのは、
それなんですね。
それにしてもよくまあ描きましたよね。
鯛なんて、このままもう刺し身にしてくれ
っていうような感じでしょ。
会場 (笑)
糸井 これは、あの、絵を描く人じゃないから
僕にはわかんないですけど、
時間の速さと精密さを、両方要求しますよねぇ。
芳賀 ああ、そうですね。
糸井 生ものを描いてますからね。
芳賀 そう、鮮度が良くなきゃね。
でもね、こんな鯛、
このころそう珍しいわけでもないから、
目玉が色変わってきたら、次の使えばいい。

【衆鱗図 第一帖:松平頼恭】 高松松平家歴史資料 香川県歴史博物館保管
糸井 そうですかねぇ。
芳賀 で、どんどん刺し身にして食べてきゃ。
会場 (笑)
糸井 それ、でも僕、ちょっと、
釣りしてたからわかるんですけど、
採れないもんですよぉ?
芳賀 だってこの時代ですよ?
それで、だって瀬戸内の真ん前だよ?
糸井 そっかそっか。場所にもよるか。
芳賀 うん、場所にもよりますよ。
で、だいたいこれは讃岐藩の周辺の海や
領内で採れる動植物ですからね。
糸井 そうかそうか。はぁ。
芳賀 それから、あの、他の大名と、
江戸城の中で情報交換やるんですねぇ。
あれは面白いですね。
糸井 江戸城というのは、じゃあ、サロンの役割を。
芳賀 そうそうそう。それでだいたいね、
だから同格だから、江戸城入ってったときの
座り場所が近いんですね。同じ部屋の中に。
秋田の殿様、薩摩、熊本、それからこの讃岐、
あるいは伊達。
伊達さん、今度こういうのを描きました、って。
会場 (笑)
糸井 自慢なんですねぇ!
芳賀 でしょうね(笑)。で、伊達の殿様が、
あ、なるほど。これは何ていうんですか?
私のところにないなぁ。あの、讃岐さん、
ぜひ貸して下さい、っていって借りて、
写すわけですよ、
自分のところの絵師に写させたりする。
今回高松の学芸員の人が
ひじょうに詳しく調べてますが、
この同じ魚や同じ虫が、
あっちの絵に行ったり、
こっちに戻ってきたりなんかしてるんですよ。
おんなじトンボやおんなじ毛虫。
糸井 つまり、コピーしてったわけですね。

【写生帖:佐竹曙山】秋田市立千秋美術館蔵
芳賀 そうそうそう。秋田の殿様の
写生帳っていうのがあって、
わたし30年ぐらい前から見て、感嘆して、
なんて精密な写生をして、
秋田の殿様はあのころひじょうに
藩政が行き詰まっていて、
秋田藩政の谷間だとさえいわれている時期で、
その憂さばらしに、こんなに夢中になって
昆虫を写生したんだなぁ、
なんて説を立てて論文も書いたんですがね。
あとで僕の元学生が、実はそれは、
細川の殿様が描かせた写生帳から、
そっくり写させた、何百点と写した、
ということがわかって。
で、僕の説は駄目になって。
会場 (笑)
糸井 確か、秋田は、肉筆浮世絵の伝統がありますよね。
そのへんからきてるかもしれないですね。
芳賀 それはありますね。
小田野直武なんかが、
浮世絵風の美人画を描いたり。
で、そのあとに、
沈南蘋(シンナンピン)っていう中国の絵師が、
1750年ころに、長崎経由で中国からやってきて、
そっから始まった花鳥画ですね。
ひじょうに精密な花鳥画。
あれがまた、いっぺんに、日本中に広まって、
秋田にもいって。
直武はそういうのも描いてます。
糸井 はぁ!
芳賀 で、そこにこんど、ファッと平賀源内が、
秋田の銅山の再開発っていうんで、
コンサルタントとして雇われてきて
小田野直武と巡り合うんです。
直武に、あ、直武さん、こうやると、ほら、ね、
これを、ちょっと描いてごらん。
で、こう描くでしょ?
直武が。これはただ丸じゃないか。
これがちゃんとコップに見えるように、
ちょっとこう光ってるところと
影のところをつけるんだよ、と、
源内が教えたようです。
でもう、直武は目を丸くしてね、
なるほどなぁー! 江戸の先生は偉い、
っていうんで、源内がそうやって
秋田のあちこちの鉱山を回っているあいだ、
小田野直武はついて回ったようです。
最後に源内が100両かなんか、
秋田藩士の殿様からもらって江戸に帰ると、
その1ヶ月後に、角館(かくのだて)の、
本藩じゃない角館の、中流か中の下くらいの
侍だった直武が、にわかに本藩取り立てになって、
本藩の命令で江戸に出向させられる。
で、源内のところに転がり込んで、
あの、今回の展覧会に出ているような、
秋田蘭学っていうのを始めるんです。
糸井 はぁ〜!
芳賀 だからね、その文化の伝達のはやさね。
それからこの、秋田はとんでもない
田舎のはずなのに、江戸時代のほうが、
もっと情報交流があった。
で、江戸の新情報にすぐに応える、
なんていうんですか、反応力を、
文化的反応力を秋田のこの侍は持ってた。
これも、だから、ひじょうに、
江戸期の文化の水準の高さ。
生き生きとした、お互いにこだましあう関係が
あったことをよく示してると思う。
糸井 いいですねぇー。
芳賀 で、しかも、直武が出てきて、
源内のところに転がり込んでるうちに、
転がり込んできて3ヶ月もしたかと思うと、
源内の親友である杉田玄白が、
いよいよ『解体新書』の翻訳が終わった。
ついては、これにはぜひ、解剖図譜が必要である。
それを描ける絵師はいないか、
源内先生、源内さん、
お、オレのところにちょうど
秋田から転がり込んだ美青年がいるよ。
これをおまえに貸してやろう、って。
で、玄白が、あの、直武のところに
たくさん解剖書を持ってきて、
それを写させるわけですね。
それで、『解体新書』の
あの挿し絵ができ上がっていく。

【解体新書:杉田玄白(小田野直武挿画)】江戸東京博物館蔵
糸井 そういうことなんだ‥‥!
芳賀 ねぇ。今もあり得ないでしょ?
糸井 それを知ってて、あの展覧会場行ったら、
また、もう1回面白いかな?(笑)
芳賀 おととい秋田から出て来たばっかりの、
まだ名前も知らない、
絵師としての評価も全くない24、5歳の男に、
文化勲章をもらってもいいような大事業の
『解体新書』の挿し絵を描かせる。
なんと大胆で、なんと自由で、
なんと弾みがあることか。
糸井 はぁー。
芳賀 それは源内と玄白の、
一種の盟友関係みたいな。
糸井 玄白っていう人は、いい人ですね。
会場に、玄白の言葉が書かれていて、
それがまたいいんです。
芳賀 ね、見直すでしょ? そうですね。
糸井 見直します。『蘭学事始』っていうことを
学校で習っただけだったんですけど、
この人はいいなーって。
芳賀 そう、ほんとに友だち思いでね。
それから、亡くなった友だちが、
ほんとは、獄死してるわけですからね。
ところが、獄死だからといって、
その人物を捨てちゃうとか忘れちまうとか、
知らん顔すること一切ない。
『あゝ非常の人
 非常の事を好み
 行いこれ非常
 何ぞ非常の死なる』という、
あの見事な言葉が。
糸井 で、その玄白の言葉をたくさん引用して
会場を作った学芸員もすごいなと思いますよ。
芳賀 いいね、あれは。
あれひじょうに効いてますよね。
糸井 プロデューサーの展覧会なんて、
ほんっとに難しかったと思うんですけど(笑)。
芳賀 ああ、そうでしょう。
糸井 で、それを、源内が作ったから
どうだとかいうことじゃなくて、
源内のインフルエンス‥‥。
芳賀 うん、まで広げて。そう。
糸井 ええ、で、アウトラインも。
芳賀 だって、それで源内は成り立つんだから。
糸井 ですね。
芳賀 源内だけ描いたもの、作ったものだったら、
この世にないわけですから。
糸井 だから、源内のインプットと
源内のアウトプットと、両方の影響を。
芳賀 そうそう、まさにそうです。
ああ、よく見て下さってます。
そういうものなんですよ。
あの、源内のインフルエンス、
影響が及んでできたものたち、それを広げる。
糸井 あー、面白いだろうなー。
芳賀 同じときにベンジャミン・フランクリンが
凧を上げて、雷は電気であるという
電気実験をしていますね。
あれと源内のエレキテル、
おんなじに並べるわけよ。
で、皆さんこうやって触ると
ピリピリッとくるような凧をね、
江戸博の屋上に上げるという。
それから、源内よりもちょっと後になりますが、
トーマス・ジェファソン。あれは源内。
アメリカの源内なんです。アメ源。
糸井 へぇー、メリケンの源、っていう。
芳賀 あ、メリケンの源内ね。
カラクリが大好きなんですよ。
重り仕掛けで週を表示するカレンダー時計とか。
糸井 でかいんですか?それは。
芳賀 かなり大きい。
糸井 へぇーっ。
芳賀 それもトーマス・ジェファソンの工夫なんです。
で、ジェファソンは建物自体も、
彼の館もジェファソンのデザイン。
それから、自分の荘園を農林試験所にして、
野菜の生育を記録したり。
糸井 芳賀先生、どうしてその、
アメリカまで行っちゃうんですか? 勉強が。
芳賀 いや、だってアメリカに行ってて、
ヴァージニア州フェファソンのモンティチエロに、
彼の館がありましてね、そこを訪ねたときに、
あらら、これは源内だと思ったんです。
糸井 へぇ〜。
芳賀 ああ、アメリカの源内。
糸井 源内ですね、それ。
芳賀 うん。で、調べてみると、まったく同時代。
ジェファソンは大統領になったり、
駐仏公使になったり、
ヴァージニア州立大学の創立者であって、
かつ設計家でもあるんですね。
でもね、根元はカラクリ師ですよ。
カラクリが大好き。
カラクリの精神っていうのは、
糸井さんもいいでしょ?
糸井 わかりますねぇー。
芳賀 ここ押すと、羽根がこうなって、
ゼンマイが弛んで、こうクーッて、
で、こっちのほうに向くと‥‥。
糸井 つまり、驚きへの興味なんですね。
芳賀 そう。驚きから、
メカニックによって組み立てていく。
糸井 再現できる驚きっていうか。
芳賀 うんうんうん。源内のエレキテル、
結局あれ、カラクリの応用でしょう?
だからお神酒天神から始まってね。
この、お酒を載せると、
あの、天神様の顔が赤くなるっていう、
源内12歳のときのカラクリ。
糸井 顔が赤くなる。ええ。
芳賀 あそこから始まって。
しかしカラクリと博物学はね、
どう結びつけたらいいか、
わたくしは今、まだ
うまく見つけておりませんが。
糸井 あの、大きい意味で、僕の素人考えでは、
やっぱり神様になりたかった人なんだな、
っていうふうに。
芳賀 まあ、一種、ジーニアス、
神様とまではいかないですね、
ジーニアスですね。
糸井 うん、もうぜんっぶを頭の中に放り込んで‥‥。
芳賀 全知全能。それからあの、
今、ユビキタスっていう言葉が始まって。
糸井 はいはい。
芳賀 まさに、ああいうふうになりたかったんですね。
いっぺんにいろんなことをしたかった。
博物学をやり、戯作を書き。
だから、牧野富太郎で、同時に井上ひさしで、
同時にコピーライターで糸井重里で。ね。
で、同時に、鉱山開発もやる。
一方でエレキテルをやり、油絵を描き、でしょ。
横尾忠則、兼、糸井重里、兼、井上ひさし、
兼、牧野富太郎、兼、芳賀徹というような。
そういうことをやりたかった。
いっぺんに同時に、同時にあちこちに
偏在するっていうのが
ユビキタスっていうことでしょう。
糸井 はいはいはい。で、それは同時に、
それが実現に近づくほど、
自我が消えるんだと思うんですよね。
芳賀 そうかもしれませんね。
糸井 だから、その、平賀源内展をやってて、
源内はどこにいるんだ? っていうのが、
ものすごく希薄な展覧会だと思うんですよ。
芳賀 全体の中にいるんですよ。
糸井 全部なんですよね。
芳賀 偏在してるんです。どっか1ヶ所に源内が
いるわけではない。
どれもこれも源内。
で、最後はあの顔を見てくれっていうのは、
まとめるものはあの顔しかないわけですから。
糸井 そうだ。
芳賀 ね。だから、あー、これも源内か。
あ、これも源内か、と思いながら
見ていただくのが、
源内展にふさわしい見方かと思いますね。
そん中でも、まずあの顔を憶えといて。
あのクルクル目玉して、いかにも何か喋りそうで、
キザで、伊達男で。
今テレビなんか出たら、もう、大モテでね。
糸井 そうでしょうねー。
芳賀 うん、もう大モテで。東京にいたと思うと、
同時にニューヨークにもいる。
しかもサンクトペテルブルクの
博覧会に出てる。
名古屋の万博のコンサルタントもやってる。
銀座の大きな画廊で展覧会をやってる。
同時に歌舞伎座にその人の歌舞伎が、
今ちょうど掛かってる。そういう男ですよ。
糸井 そういうことですね。
それが顔に見えてる。
芳賀 ええ、以外に何があるかと思うんです。
あと、要するに、源内を動かしていた、
そういう、好奇心。
好奇心っていうのは、
好奇心が向かったところにあったものを
出して示す以外ありませんから。
だからいろんなものを並べてるわけで。
それにしては割合
うまく並べてると思いますけどね。
その好奇心が沸々として、溌剌として働いている、
その様を皆さん見て下さる皆さまが、
受け取って下さる以外ないと思います。
糸井 会場の好奇心を煽るような
展覧会になればいいですよね。
今日の先生の喋ってらっしゃることっていうのが、
なんかね、いちばん源内展らしかったような
気がしますねぇ(笑)。
芳賀 いえいえ。糸井さんが、やっぱり源内派で。
やっぱりね、源内風の人間っていうのは
いるんですね。横尾忠則さんもそうだし。
それから、ええっとね、このあいだ誰だっけな、
飯島耕一さん、詩人の。
『小説平賀源内』っていうの書いて。
そうだ、一昨日会ったんだ。
それは源内展、面白いねぇーって、もう歓談して、
もう1回行こうと思ってるわけですよ。
ああいうところも面白い。
源内好きだっていう人はいっぱいありますから。
糸井 あ、お時間、ちょうど過ぎてしまいましたが。
芳賀 皆さまからの質問をお受けすることはなくて?
糸井 こんだけ喋ったらいいじゃないですか。
ありがとうございました!

これで、芳賀徹先生とdarlingの対談をおしまいにします。
ひきつづき「ほぼ日」では、
橋本治さんとdarlingによる
平賀源内対談をお届けする予定です。
どうぞお楽しみになさっていてくださいねー!!


2004-01-18-SUN
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