江戸が知りたい。
東京ってなんだ?!



 

源内を探る対談、今日は、第6回、
「源内伝説」のお話です。
江戸の下町に暮らした晩年の源内。
伝馬町の獄で病死したと言われるんですが
「いや、じつは源内先生は生きていた」
という伝説が、残っているんです。




第6回
不死の人、源内。

糸井 源内が、お殿様との関係が薄くなってって、
国のお仕事をすると同時に、民間の仕事をする。
その時に、下町に住んでたってことが、
ものすごく大きいと思うんですね。
芳賀 あ、うんうん、そうですね。
糸井 武家屋敷の中に、家を構えろって言われたら、
おそらくあの平賀源内はいないですよね。
芳賀 うん、いない。
トンデモナーイ、とかいってね。
はははっ。
糸井 (笑)その、大衆の欲望の渦みたいなものが、
見えやすい場所にいて。
芳賀 うん、そう。で、誰でも入っていきやすい。
糸井 ですよね。
芳賀 それで、そっからすぐに
いろんな面白いアイデアの情報が、パッと。
糸井 うん。で、出したら反応するし。
芳賀 今の神田駅のすぐ近くですからね。
今川小学校ですか。あそこですよ、
源内が住んでいた神田白壁町は。
今もあの一角だけね、
神田紺屋町とか神田乗物町とか、
古い町名がそのまんま残っていてね。
ただ、残念ながら白壁町はなくなったんですが、
復興するといいですね。
糸井 今、あの、江戸時代の地図と今の地図、
重ねたような地図帳売ってますから、
あのへんで回ってみてもおもしろいですね。
芳賀 うんうん、そうですね。
今川小学校の校庭に、源内活躍の地、とか、
なんかそういう碑が立ってますかね?
こんど皆さん、展覧会をきっかけして、
ぜひ皆さん、あの、入場料からね、その碑を
つくっていただきたい。
糸井 源内碑の旅っていうの、いいですね。
芳賀 秋田に行き、長崎に行き、天草に行き、
それから秩父の鉄山に行き。
糸井 面白いですねー。
芳賀 ええ、そういうのを組織して下さいよ。
源内ツアーという。
源内のお墓はここ(両国)から近いですから。
橋場ですから。今は、総泉寺ってお寺は
なくなって、源内のお墓だけが残ってますね。
糸井 え、単体でお墓だけが残ってるんですか?(笑)
芳賀 あの、お寺はどっかに移動させられたんですが、
地元の人が源内先生のお墓だけは
ここに置いてくれっていって、残されて。
まあ立派な。
糸井 高松にお墓が帰らなかったっていうことは、
最後の死に方が良くなかったっていうことですか?
芳賀 いや、高松にも今、お墓があります。
糸井 両方あるんですか。

【平賀源内の2つの墓 左=志度・自性院 右=東京・総泉寺跡】平賀源内展図録より
芳賀 高松の志度の、いちばん有名な志度寺。
お能で有名な。あそこに、
ちゃんといいお墓がありますよ。
糸井 じゃ、ある種、分骨みたいな。
芳賀 ええ、分骨か、あるいは向こうは
お骨がないかもしれませんけどね。
遺髪ぐらい入れてるかもしれませんが。
自分が人を殺めてしまったことを、
ひじょうに申し訳なく思って、
伝馬町の獄で源内はハンガーストライキをして
死んだんだという説も流れてますし。
病気にかかって死んだという説もあります。
あるいは、もう一説は、
実は死んでないんだ、と。
糸井 必ずそういう説が(笑)。
芳賀 田沼意次の計らいで、死んだことにして、
伝馬町の獄に穴を開けて、
死んだふりになって運び出して、
田沼意次が自分の領地である吉良に運んで行った。
で、そのまま、もう何年か後に
源内に会ったっていう話もありますよ。
糸井 それは伝説ですか?
それとも誰かの説ですか?
芳賀 順天堂を始めた蘭学者(佐藤泰然)が、
そんなこと書いてますね。
糸井 人気者だったっていうことが、よくわかりますね。
芳賀 昭和15年に芥川賞をもらったの櫻田常久の
『平賀源内』っていう小説があるんですが、
同じ作者が、もうひとつ源内を主人公にした
小説を書いておりまして。
田沼意次の領地で、
80何歳かになった源内と一緒に
その土地の再開発を進めていたのが、
秋田津軽自然真営道の安藤昌益。
糸井 あ、いいですね。
芳賀 安藤昌益の、一種の共産社会主義と
源内の国益思想が結びついて、
新しい土地開発をやっていたと。
糸井 それは、小説ですね?
芳賀 小説です。ひじょうに面白いと思いますね。
いいアイデアだと思う。
安藤昌益と平賀源内って同時代ですからね。
安藤昌益は、いわば、
「働かざるもの食うべからず」
ということをいって、
直耕──直接に耕すことが、
まず人間のいちばん基本の倫理である
ということを説いたんですね。
だから働かない大名とか侍はダメだって。
みんな農民であるということを言った。
糸井 つまり、空想から科学へ、っていう小説ですね?
芳賀 ああ、まさにそう。
で、科学の方が、源内だね。
糸井 なるほど。
芳賀 安藤昌益の空想と、平賀源内の科学が結びついて。
で、田沼意次が最後に失脚するから、
失脚して主がいなくなった土地で、
新しい村興しをという。いいアイデアですね。
糸井 生かさせたいっていうヒーローだったっていう
源内が、面白いなと思いますね。
芳賀 うん、面白いですね。
義経とか、西郷隆盛とかと同じだね。
糸井 そうですね。
生きていさせられる伝説の人っていうのは、
いますね、必ずね。
芳賀 そうですね。あの人は死んでないはずだ。
あんな面白い、精力絶倫の鬼才が、
そう簡単に伝馬町の牢の中で死ぬものかと。
糸井 今、単純に思いつきですけども、
その、昔から歴史的に、
地位だとか名誉だとか権力を持った人が、
できるかぎりのことをすると
不老不死にいきたがる。
芳賀 うんうんうん。そうですね、
秦の始皇帝みたいにね。
糸井 ですよね。で、徐福(じょふく)を
使いにだしたりみたいな。
そういう歴史がずっとあって、
今の日本でも、大金持ちの人たちって、
独特ななんかこう、
精力剤を集めたりなんかするじゃないですか。
芳賀 あ、なるほど。サプリメントですか。
糸井 源内のウナギ、朝鮮人参って流れは‥‥。
芳賀 あ! なるほど。
あ、これも思いつかなかったことだ。
糸井 ねぇ。
芳賀 糸井さんと話してみるもんだな。
糸井 案外、とろろあたりがもうひとつぐらいあったり。
芳賀 あ、とろろね。本草学者ですから
そういうことはひじょうに詳しいわけです。
何がバイアグラ系の薬になるかなんてことだって、
源内はちゃんと知っていて。
糸井 江戸時代の人って、もっとこう、
快楽主義者だったと思うんで。
芳賀 そうですねぇ。うん。
長く生きよう、
より広く、たっぷりと人生を楽しもう。
糸井 そういう意味では、
そういうものの需要っていうのは、
すごいあったでしょうね。
芳賀 源内なんて人は、楽しみながら仕事をし、
仕事をしながら楽しんで。
結局しかし、仕事もしきれず、
楽しみもしきれずに、最後、自滅した。
わたくしは彼のことを、
自分で渦を巻きながら走っていって、
結局、自分が起した渦の中に自分が呑み込まれて、
姿を没したんだっていうふうに考えてますがね。
糸井 残念なのは下っ端でも侍の生まれだった
ってことでしょうね、きっと。
芳賀 まあ、でも、侍の生まれだから、
あれだけ学問ができた。
糸井 そっか、そっか。スタートラインとしては。
芳賀 それ、ひじょうにいいスタートラインで。
あれが町人だったら、やっぱり、
10歳になるかならないかぐらいから
そろばんをやらされたり、
あちこち丁稚奉公をやらされたり。
で、農民、あの時代はわりあい自由ですからね。
農民が学者になり、商人が学者になり、
俳人になり絵描きになり、というふうに、
いくらでもそういう道はあるけども、
いちばん先頭から出発できたのは、
やっぱり侍でしょうから。
いくら下っ端といえ。別格でね。
侍は学問するもんだということに
決まってますから。
糸井 そうか。源内は人生の後半に、
国益を考えていたオレじゃないか、と、
大義を意識しながらも、
大衆の欲望の中にいたわけですよね。
芳賀 うん、うん。
糸井 やっぱり、欲望が人間を突き動かす。
あんたにやって欲しいんだ、っていう、
欲望の声が聞こえるっていう、
その実感っていうのは、動機として、
国益っていう、いつ何かになるか
わからないような、
集大成のような学問に比べたら、
きっと愉快だったんじゃないかなぁ。
芳賀 そうでしょうね。
源内が面白い人だ、
いろんなアイデアが沸々と沸き立たせて、
そしてそれを人に無償で
与えるような人だってことは、
たちまち‥‥。
糸井 広まってますよね。
芳賀 ええ、江戸の下町では広まって。
ちょっとした知識人、それから物知りの商人、
商家の人、それから薬屋さん。
それはもう、しょっちゅう
出入りしてたと思いますね。
糸井 きっと、誰かと誰かを組み合わせたり。
芳賀 で、そういう人たちと話し合いをしながら、
また源内は話し合っているうちに、
またアイデアが生まれてくる。
ただジーッとして考えてるんじゃなくてね。
糸井さんとやりとりしてる間に、
あーっ! そうだ、って気がつくみたいな。
糸井 キャッチボールの中で。
芳賀 うんうんうんうん、そういう人でしょうね。
だから、インターネットマンなんだな。
糸井 そうですね。

あすは、源内が生きた時代の「精神」について
ふかく、切り込みます!
おたのしみに!

2004-01-14-WED
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