江戸が知りたい。
東京ってなんだ?!

テーマ5 女性みんなが「銘仙」を着た時代。

その2
誰がデザインし、誰が着ていたのか?


ほぼ日 流行って、以前の話ですと
三越がブームを作ったみたいなとこ、
あったじゃないですか。
銘仙も、広告宣伝みたいなところで
意図して流行を作ったようなところ、
あったんですか?
小山 百貨店というのが明治から大正に入って、
デパートメント宣言っていうのを
三越がやったように、
大衆化の道を歩んで行きます。
上層階級だけじゃなくて
一般の人が楽しめる百貨店になるんです。
ほぼ日 うんうん。
小山 で、一般の人を呼ぶ品目の一つとして、
銘仙があったんですね。
いまではすっかりおなじみの
「バーゲンセール」というのも
この頃の百貨店が始めたんですよ。
ほぼ日 それまではバーゲンって
なかったんですか?
小山 そうなんです。それまでは
デパートっていうのは
高級指向だったんで、
あんまり安く売らなかった。
ほぼ日 セールとかバーゲンって
デパートメントと同じで
輸入された考え方なのかも。
小山 じゃないかと思うんですけどね。
一番最初は明治の頃でしたね。
ほぼ日 そっかー。
流行がなければ、
バーゲンはないんですものね。
必ず次が出て来るから、
古いものが安くなるんですものね。
小山 そして、バーゲンの目玉商品の一つに
銘仙っていうのは
上げられていくわけです。
ほぼ日 ああ。そうすると一般の人は
いつも着てる銘仙が、
しかも今のトレンドの柄が
安く買えるっていうことで
また買ったわけですね。
小山 で、その背景としては、
大量生産の仕組みができたってことが
大きかったんですね。
ここで最初の糸井さんの仮説の答えが
出るんですけれど、
銘仙をデザインしていたのは‥‥
ほぼ日 伊勢崎の工場の人たち???
小山 じゃ、ないんです。
工場はつくることでフル回転。
流行をつくったのは、
やっぱり、百貨店だったんです。
ほぼ日 ええっ!
じゃ、デザインは東京だったんだ!
小山 伊勢崎では、デザインを
百貨店の図案員、
つまりデザイナーから、
仕入れていたんですね。
ほぼ日 あ、そうなんだ。
デザイナーは百貨店にしか
いなかったんですか?
小山 百貨店、それからあとは
「丸紅」。今もありますよね。
ほぼ日 ありますね。
小山 丸紅商店から
図案を買っていたというようなことも
記録に残っています。
ほぼ日 はあ。その人たちっていわゆる
テキスタイルデザイナーの
「はしり」だったのかも。
小山 そうですね。そういった人々から図案を買って、
また指導を受けて、それを生産して、
売れ筋はこれだっていうと
また作って販売していった。
ほぼ日 じゃあ、やっぱり東京主導型で、
技術を持った郊外の地場産業と
リンクしていたんですね。すごい。
じゃ、図案員たちのアイデアのもとは‥‥
小山 外国の雑誌とか
外国のテキスタイルデザインを見て、
日本でもこういうのが
流行るんじゃないかと思って、
一生懸命作ったんだと思いますよ。
ほぼ日 元の柄はきっと洋服だったり、
何だろう。布だったら
何でもいいわけですよね。
何かの模様を見てこれ使えるなと思ったら、
もうどんどん一生懸命真似して、
パターンを描いたんでしょうね。
小山 はい。で、洋服っていうのは
やっぱりこの頃
モダンガールっていうのが出始めて。
ほぼ日 「モガ」ですね!
小山 モガ。モガ中のモガは
やっぱり洋服なんですよ。
ほぼ日 あの、デザイン画がありましたよね、
今和次郎の描いた。
ウエストがない、つるーんとした。
帽子被っておかっぱで、
ウエストのないワンピースを着てた。
小山 はいはいはい。
あれはもうモガ中のモガ。
ほぼ日 こんな人もいたことはいたんだ。
小山 いたことはいたんです。
ほぼ日 どういう人だったんですか?
小山 やっぱりもう、女流作家とか。
ほぼ日 伯爵夫人とか?
小山 夫人になると着物が多くなります。
だから独身の女性で。
ほぼ日 働いてて?
小山 働いていたりとか、お嬢さまとか。
ほぼ日 同じお嬢さまでも
先端的な考えを持った
お嬢さまでしょうねえ。
こんなのは、プレタポルテじゃなくて
オートクチュールだから、
やっぱり、そうとうのお金持ちじゃないと
無理ですよねえ。
でも、きっと憧れだったんでしょうね。
なりたくても、なれないから。
小山 そうなんです。
モガ中のモガになれなかった人々、
普通の女の人はどうしたかっていうと、
和服の中で洋服の要素を取り入れていた。
それが銘仙の柄じゃないかなと思うんです。
ほぼ日 なるほど。
50%以上が着てたってことは、
若い人が派手だからって
怒られることはなかったでしょうね。
小山 そうでしょうね。
でも、反対意見もあったんですよ。
竹久夢二っていますよね。
ほぼ日 絵描きの。
小山 彼もやはり自分で
半衿のデザインをしたりとか、
デザイナーとしても
活躍していたこともあって、
こういう銘仙の、派手な
テキスタイルデザインに関して、
新聞のインタビューで、
今の洋服の柄はまるで
敷物やカーテンが歩いてるみたいだって。
ほぼ日 批判してるんだ。
実際に敷物やカーテンから
取り入れたんじゃないかな?
小山 だと思うんですけどね。
ほぼ日 きっとそうですよね。
それくらい貪欲に
向こうのデザインを
取り入れたんじゃないかなって
いう気がします。
ほぼ日 洋服の流行っていうとね、
今で考えると「コレクション」って
あるじゃないですか。
東京コレクション、
パリコレクション、
ミラノコレクション。
小山 はい。
ほぼ日 例えば春夏物をその前のシーズンに
いち早くお披露目して、伝える。
そういうのって銘仙には
なかったのかな。
小山 ファッションショーは
あったかどうか分かんないですけど、
「ショーウィンドウ」でしょうね。
ショーウィンドウができたのも
やはり明治の終わり頃で、
大正くらいになってどんどん
一般的になっていくんです。
街行く人はショーウィンドウを見て、
「ああ、素敵」みたいな感じ。
「銀ブラ」がちょうどされていた時に、
そのショーウィンドウで
百貨店が何を飾ったかっていうと、
銘仙を着たマネキン人形なんです。
ほぼ日 そっか。いまもショーウィンドウは
流行を伝える役割ですもんね。
あ、これだ。
これショーウィンドウなんだ。


小山 そうなんですよ。
上は三越、下は松坂屋。
三越は博覧会に出品した
大がかりなものです。
ほぼ日 これマネキン?
小山 そうなんです。
ほぼ日 リアルですね!
小山 当時のマネキンは
外国製品も入って来てたんですけれども、
「生き人形」が使われてたんです。
ほぼ日 生きてるみたいです。
小山 そうですよね。
これ、生き写しの人形で、
江戸時代の頃から興行で
見せ物になったりしていました。
江戸時代からずっと続く
生き人形師っていうのが
昭和の前期くらいまではいらっしゃったので、
そういう人たちがマネキンを作っていたんです。
ほぼ日 菊人形ってあるじゃないですか。
近いですね。
小山 そうですね。今、菊人形を作っている方の
師匠さんが生き人形師ということも
あるようです。
ほぼ日 その生き人形を着飾って、
マネキンにしていたんですね。
おもしろいのは、これ、
生活はモダンな洋風なんですよ。
小山 そうなんです。
ほぼ日 カーテンがあって、
テーブル、チェア、ソファ。
壁紙もね、向こうっぽい。
ペルシャ風の蔦模様かな?
シャンデリアが下がってて。
小山 スリッパ履いてるんですよね。
着物なのに。
ほぼ日 ほんとだ‥‥。


次回は 「銘仙」の流行には
女優さんたちがキャンペーンキャラクターや
モデルとして活躍していたというお話です。
お楽しみに!

2003-10-13-MON
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