江戸が知りたい。
東京ってなんだ?!

テーマ3 カフェーは明治の昔から

その3 色っぽく、いかがわしく。

ほぼ日 当時の女給さんって、
お給料が高かったりしたんですか?
小山 高いんですよ。
一流になると、大学教授よりも
高いぐらいだったみたいです。
ほぼ日 大学教授より高給!
すごい‥‥
小山 でも、お店によっては、
やっぱりシビアで。
ほぼ日 厳しい経営者もいたんだ。
こういうのって、宣伝したんですか?
たとえば新聞に載せるとか、
チラシをまくとか、
雑誌に広告を出すとか。
それとも口コミですかね。
小山 チラシがあったようですよ。
このカフェーは、
新宿のほうなんですけどね。
ほぼ日 「ヱルテル」。
新宿武蔵野館前って書いてありますね。
いまもある店じゃないかなあ‥‥?
たしか、バーニーズの横に。
あ、「カフェー」ではなく
「喫茶店」って書いてます、ここは。
喫茶店とカフェーは違ったんですか?
小山 いや、おんなじですね。
ただ、喫茶店って言葉が生まれたのも
この頃なんです。
ほぼ日 この頃、っていうのは?
小山 昭和のはじめぐらいに、
カフェーっていう言葉が、
だんだんだんだんエッチなものに
なってくんですよ。
やっぱり、女給さんのサービスが
過剰になっていって。
それで、うちはそういうお店ではありません、
っていうところで
「喫茶店」っていう名前が出てくるんです。
ほぼ日 はっはー。ふーん。
カフェーっていう言葉が、
ちょっと色っぽいものになっちゃったんだ!
だからこの「ヱルテル」では
名曲の夕べとかをやって‥‥。
小山 うちはハイソですよ、と。
ほんとにフランス料理を出していますよね。
ほぼ日 かっこいいですよね、クリスマスミール。
スノーデンカクテル、七面鳥料理、
ほか5品、だって。
曲名が全部むこうの言葉で書いてあるし。
小山 そうなんですよね。
ほぼ日 インテリのものですよね。すごいな。
1円っていうのは、高いんですかね?
この昭和前期で1円っていうのは。
小山 10円ぐらいで安い着物が
買えたといいますから、
そうですね、1万円ぐらいでしょうか、
今の感覚で。
ほぼ日 わあ、高いですよね。
フルコースのクリスマスディナー、
音楽つきで1万円。ありそうですね。
小山 おしゃれですよね、
クリスマスにこんなことが。
ほぼ日 そうすると、「カフェー」はすべて
いかがわしいところになっちゃったんですか?
小山 そんなこともありませんよ。
たとえば、カフェー・ライオンの女給さんは、
品行が良いことで評判でした。
小山 でも、だんだんだんだん、
女給のサービスがエスカレートして、
営業停止処分になるところが
出てくるんですよ(笑)。
ほぼ日 わははははは!
公序良俗に反する、って?
小山 織田一磨が描いた、
この「バッカス」というカフェーは、
営業停止処分を何度も受けてるんですね。
これは昭和4年の酒場バッカスの絵です。
ほぼ日 ほんとだ、この、いかにも
サービスをしそうな女給さんがいます(笑)。
ちょっと密室っぽい、
ブースに区切られていて、
女給さんの肩に、男客が
手を回しています!
で、女性も、なんていうのかな、
しどけなく、ありながら
「ちょいと一杯頂戴ナ」
なんて言ってそうですね!
「アタクシも、飲んでよろしいかしら」
なんて!
これは女給のサービスを
売りにした店のひとつだって
わかりますね!
小山 え、まあ、そういう感じでしょうか(笑)。
で、ここはもう、
営業停止処分を何回も受けていて。
受けるたびに、張り紙をしてたんですって。
「次は何曜日からまた開店しますけど、
 そのときには、もっとサービスを
 格上げします」とか、そんなことを。
懲りない店だとかっていうふうに、
当時のエッセイストみたいな人が書いてます。
ほぼ日

なるほど。写真も、とても素敵なんだけど、
織田一磨の描く世界は、
主観がすごく強いだけに、
ムードがわかりますね。
それにしても酒場バッカスは、
ちょっと不思議なインテリアですよね。
巨大な木があって、
鳥カゴみたいなのがありますね。
あ、ちがう、これはランプでした。

ほぼ日

あ、シャンパンの品書きもある。
こまかいなあ。
織田一磨という人は、
こういうものをたくさん描いたんですね。

小山 そうですね。彼は銀座を
昔っから知ってますから。
この絵は「画集銀座」の一枚ですが、
新しい銀座を、とくに描いてるんですね。
フルーツパーラー、カフェ、映画館。
ほぼ日 こっちの絵も織田一磨ですか?
小山 「酒場フレデルマウス」。
そうですね。
ほぼ日 これ、ちょっとわかりにくいけど、
暗くて、低い丸テーブルがいくつもあって、
女給さんの膝くらいの高さだから、
そうとう低いテーブルですね。
観葉植物が右にありますね。
熱帯植物のあるカフェー。
けっこうここはまじめそう。
お客さんも、なんか、地味に
ひとりで飲んでいたりして。
ほんとにお酒を楽しむ
場だったんじゃないのかな。
小山 ドイツ人が経営していたバーですね。
静かな雰囲気が、伝わってきますよね。
当時、店内に大きな木を飾るのって、
あったみたいなんです。
こちらの「カフェー・アメリカ」の
店内の写真にも、確かに木があるんですよ。
ほぼ日 あ、右の方に木がある。
当時のインテリア、素敵ですねえ。
天井がすっごく高い。
こういう家具とか床材とか、
ランプとか、向こうのものっぽいんですけど、
輸入品なんですかね。
小山 たぶんそうなんじゃないですかね。
トーネットの曲げ木の椅子がありますね。
ほぼ日 ウィーン風ですよね。
ユーゲントシュティール。
当時、洋行した人たちの知識とか、
入ってくる情報とかから、
つくったんでしょうね。
チェーン店とか、なかったんですか?
小山 チェーン店は、えっと、ありましたよ。
「カフェー・パウリスタ」。
いまも銀座にありますよ。
ここも文化人が集ったんですね。
佐藤春夫、吉井勇、北原白秋。
「カフェー・ライオン」も、
今の銀座ライオンですし。
ほぼ日 あ、そっか。ビールの。
これ、この写真は、
仮装パーティーですか?
男の人が海賊めがねみたいのかけてて。
小山 そうですね。どうもこれは、
通常営業じゃない、
パーティーっぽい雰囲気ですね。
ほぼ日 ってことは、カフェーは、
イベントスぺースでもあったってこと?
小山 そうですね。ふだんはほんとに、
ひとりひとりがこう、
静かに飲んでるだけなんですけど、
クリスマスとかはお店全体で、
お祭り騒ぎみたいな。
そういうのもあったみたいですけどね。
ほぼ日 楽器演奏とかもあったんですかね。
小山 あったと思いますよ。
ほぼ日 よくいう「キャバレー」とは違うんですか?
「バー」とか「キャバレー」って言葉は、
出てきてないですよね。
小山 えっと、戦後になって
その言葉が出てくるんですけど。
ほぼ日 戦後なんだ!
小山 でも、結局、バーやキャバレーの
いちばん最初は、カフェーだったんですね。
ほぼ日 マッチラベルもかわいいですね。
小山 この「サロン春」は、
超高級店だったらしいですよ。
菊池寛や西条八十が通い、
50人の女給さんがいたんです。
いくつかマッチラベルがあるんですが
この「サロン春」は、
すっごい紙がいいんですよ。
ほかのところは
ペラッペラなんですけど(笑)。
ほぼ日 カフェに遊びに行くなんていうのは、
どういう感じだったんだろう?
今だったら喫茶店には
子どもも連れていきますよね。
やっぱり大人だけの場所だったんですか?
小山 そうですね。
お酒がのめる年齢くらいから上。
ほぼ日 東京の中には、
どこらへんにあったんでしょう。
銀座のほかには?
小山 新宿もやっぱり、
カフェとか喫茶店が多くて、
早稲田の学生さんとかが
よく行ってたみたいです。
「カフェー・アメリカ」は浅草雷門前。
ほぼ日 なんだか、かっこいいなぁ。
浅草にもあったんですね。
小山 浅草もやっぱり繁華街でしたからね。
ほぼ日 六区。
小山 ま、銀座がやっぱり洗練されてて、
ピカイチだったんですけど
新宿とか渋谷とか。
ほぼ日 渋谷もそうだったんだ!
小山 渋谷には私鉄が、
今の東急ができてからですね。
ほぼ日 そっか、ターミナルとして
栄え始めてきた。
小山 あとはもう、神田とか、本屋さんのあたり。
ほぼ日

なるほど。
青山とか代官山なんて、
まったく出てきませんものね。

今回のテーマはこれまで。
次回からは「学生生活」について
小山さんにお聞きしていきます!
早稲田の学生は新宿のカフェーへ行ってたのか‥‥
じゃあ、その生活はどんなものだったんだろう?
もちろん女学生の生活にもスポットをあてますよ!
お楽しみに!

2003-10-01-WED
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