担当編集者は知っている。


『立花隆秘書日記』
著:佐々木 千賀子
出版社:ポプラ社
価格:1500円


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〜筑摩書房ツルミさんのコメント〜

社会人のみなさんへ送る、お仕事もの第2弾です。
受付嬢の次は、秘書であります。
それも「知の巨人」立花隆さんの秘書。
仕事って何?という根本的なことを考えさせられる
一冊であります。
そして、この本を担当した
佐久間さんのお原稿を読むと、
編集者のお仕事もまた見えてきますよ〜。


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担当編集者/ポプラ社 佐久間憲一

一瞬のうちに「これは、いける!」
と確信が持てる企画なんて、
20年以上、週刊誌・書籍の編集者をやっていても、
そうあるものじゃない。
酒場で大いに盛り上がって記したメモ帳を、
翌日シラフの頭で追いながら、
いったいどこが面白いと思ったのかねえ、
とみずから呆れ返ることは多いのだが。
その伝でいえば、『立花隆秘書日記』は
前者の代表といえるだろう。
5年余務めあげた立花隆氏の秘書を辞めた
佐々木千賀子さんの口からこのタイトルが出るや、
ぜったい他者(社)に渡すものか、
と昂ぶりを感じたのを覚えている。
ただ、刊行までに足掛け5年という年月がかかるとは
さすがに、そのとき予想はしていなかった。

佐々木さんとの付き合いは、
彼女が立花さんの秘書に就いた93年からになる。
当時、新潮社の出版部(という書籍の編集部)に
在籍していた私は、立花隆担当であった。
といっても、書籍の編集者としては新人に近く、
8年間編集記者をしていた「フォーカス」編集部から
異動して、まだ2年目という時期だった。
しかし、意外なことに社としては初めての立花担当。
ビッグネームになった氏に、
今さら原稿を依頼しても……という
老舗特有のカルチャーが真相なのだが、
本流の部署における
ニッチ戦略を狙っていた私にとっては好都合。
しかも、他社のベテラン担当編集者との
競合を考えると、フレッシュな秘書の登場は
願ってもないことだった。

93年刊行の
『マザーネイチャーズ・トーク 』に続いて、
翻訳を依頼した『アポロ13号 奇跡の生還』
あたりから、佐々木さんとは
「業務上」のやりとりが多くなってきたが、
やはり、一番の大仕事といえば、
96年から始まった東大教養学部での
2年間にわたる講義を一緒に手伝ったことだろう。

じつは、『秘書日記』の中には書かれていないが、
この講義に参加できたのは、
佐々木さんの“一言”のおかげでもあった。
前年の暮れに、腸閉塞で入院していた佐々木さんを
見舞ったときのこと。
立花さんが、新年度の4月から
教養学部で講義をする。
正式に決まったことであり、すでに数社から
記録したいというオファーも届いている、
と教えてくれたのだ。私はその情報を知らなかった。
編集部に戻るやすぐに立花さんに電話をすると、
どこから聞いたのか、という質問。
もちろん、ニュースソースの秘匿ということで
勘弁してもらい、
正式に新潮社もオファーをすると宣言。
たしか、「おたくは3社目だ」と伝えられた。

東大での2年間は、
ほぼ毎週講義に参加することになる。
「立花隆ゼミ」の運営をとおして、
学生たちとの関わりも自ずと深まっていったが、
何よりも立花さんの彼らへの優しさと思いやりには、
私も佐々木さんも正直意外に感じられたものだ。
ゼミ活動の成果としては『環境ホルモン入門』と
『二十歳のころ』を上梓できた。

立花さんの東大での任期が終わったころ、
事務所は本年限りで辞めて欲しい、
と佐々木さんは引導を渡されるのだが、
その話を聞いたとき、ともに激動の日々も終わったな
とガラにもなくセンチメントな寂しさに襲われたのが
忘れられない。

あとは、ベストセラーを保証された原稿を
早く仕上げてもらうことに、
私としては全力を注ぐだけだった。
出版部より移った文庫編集部で新たに企画し、
立ち上げた、「新潮OH!文庫」の創刊時
(2000年10月)の目玉として目論んでいたのだ。
だが、編集者が思うようには執筆もはかどらず、
けっきょく原稿が仕上がる前に、
私のほうが新潮社を辞めてしまった。
そのあたりの経緯は
『秘書日記』の“あとがき”に記されているとおり。
つぎの版元でも刊行まで実らなかった。
まず、こういったケースでは、企画自体がお蔵入り、
と相場も決まっているが、
昨年になって、著者の方に変化が訪れた。
急に気力が増してきたとでもいったらよいのか、
「書き手」として、原稿を読む目も高くなり、
同時に手もついてくるように成長してきた。

過去の原稿は潔く葬り、
文字通り一気呵成に仕上げたのが年末。
年初に手入れをしてもらい、ゲラになってからも、
初校・再校とガンガン著者校が入り
――ボス直伝というべきか――
3月刊行にこぎつけることができた。
不思議なことに、本になってみると、
この時期が必然だったような気もする。
佐々木さんが立花隆という人物を、
対象としてクールに表現するには、
エイジングともいうべき醸成する時間が
必要だったのだ。

様ざまな偶然が重なり、
こんな長丁場の仕事になってしまったわけだが、
「こんな贅沢、できるうちが花よ」と、
小さな声で開き直ることにしている。

2003-05-27-TUE

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