担当編集者は知っている。


『いらっしゃいませ』
(朝日新聞)
夏石鈴子著
出版社:朝日新聞
価格:1300円

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〜筑摩書房ツルミさんのコメント〜

大槻さんの夏石さんへの思いが伝わってくる、
素晴らしい原稿です!
思わず読みながら私の背筋が伸びました。
この文章を読んで、そして、夏石さんの
『いらっしゃいませ』を読んでください。
『いらっしゃいませ』は受付嬢小説ですが、
「受付嬢??」「ふーーん」なんて、
バカにしてはいけません。
会社員は読むべし、読むべし。

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担当編集者/朝日新聞 大槻慎二

この小説は朝日新聞社の出している
季刊の文芸雑誌「小説トリッパー」に連載された。
私の仕事は、
主に文芸単行本を作ることで回っているが、
三年前からこの雑誌を任され、活動の基本はすべて
この雑誌に置いているといってもいい。
雑誌をバトンタッチされた時まず考えたのは、
連載小説の中に、
その作家と作品が大きくなってゆくのに、
雑誌が同調できるような一点を探ることだった。
そのような気持ちでいるときに、遅きに逸したが、
ばったりとしかいいようのない
タイミングで読んだのが、夏石鈴子さんの
『バイブを買いに』だった。

私は驚愕した。
そしてなぜ今まで読まなかったかを恥じた。
そこに書かれている小説は、
主に男女の関係にまつわっているが、
いままで読んだ小説のどれとも違う。
性の機微の「デリケート」さが、
女性の側から「力強い姿勢」で描かれている、
といったらよいか。
とにかくありえない二つが絶妙に共存しているのだ。
ああ、迂闊。まだ間に合うか……。

もう手紙を書くしかなかった。
そして御自宅近く、馬事公苑の脇にある
喫茶店でお目にかかったのは二〇〇一年の春、
とても良く晴れて
気持ちのいい土曜日の昼下がりだった。
私は迷わず長篇小説を依頼した。
この作家のおそらくは初めてになる
長篇を読みたかった。
三月に一遍出る雑誌で
ペースを掴むのは大変でしょうが何枚でもいい、
始められるところからスタートしましょう、
とお願いした。
テーマや題材については徐々に相談、ということで。

実際連載がスタートしたのは翌年の春季号だから、
その時から一年弱かかったか。
「これで行きます」という話をきいた時点で
ズシリと手応えがあった。
ご自身のキャリアでもある出版社の受付嬢という
主人公の設定からも非常に興味がそそられたが、
それ以上にこの題材を描こうと思った真の動機
(不親切ですが「一冊の本」という朝日のPR誌の
五月号をお読み下さい。夏石さんご自身が
お書きになっています。短いエッセイですが、
お読みいただければむやみに要約できないことも
御理解いただけると思います)
と、
「知ってますか。受付嬢の足元のカーペットって、
 擦り切れて穴が空いているんですよ」
という夏石さんが発した言葉のリアリティーに
圧倒された。

夏石さんと話していると、自然、背筋が伸びる。
大きな言葉になってしまうが、大袈裟ではなく
この作家の持っている「生きることの倫理」に
ピリピリと感電するのだ。
夏石さんは現役の出版社の社員であり、二歳と四歳、
二人の子供を育てる母であり、作家である。
そのどれひとつとして疎かにできない状況にある。
会社の激務と幼い子供を育てること、
これを想像するだけで、ふつう人はまいってしまう。
「二足のわらじ」という古い常套句は、
彼女を前にしてもう終っている。
その「生きることの倫理」こそが
『いらっしゃいませ』という小説を屹立させている。
「受付嬢小説」というのがこの本の惹句であるが、
その入口から入って触れる人間の大事な肌触りは、
読むものに「初心」とは何だったかを
強烈に思い起こさせる。

2003-05-19-MON

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