感心力がビジネスを変える!
が、
感心して探求する感心なページ。

第3回 
シャーマンと歌手は、
「いきなりなる」ものである。。



巻上 今までトゥバとかモンゴルで
ボロットさんのような低音を出す
歌唱法は知ってたんです。
似たような歌唱法はあるんだけど、
ボロット・バイルシェフみたいに、
いろんなレベルでの低い声を
何種類も出す人ははじめてだった。
それに、ほんとに驚いて。
たぶんそれは僕だけじゃなくて、
会場中がシーンってしちゃって(笑)。
彼自身にもシャーマニックな力があるんですよね。
みんなすごい感動してましたね。
田中 はぁー。
で、感動されて、

「友だちになろう」と申し込んだ(笑)。
巻上 すごい人だったんで、
これはもう、そばにいて話をしなきゃって、
ずーっと一緒にいました。
田中 ロシア語会話(笑)。
あー、そうですか。
で、ボロットさんも
巻上さんが歌われたのは聴かれたんですか?
巻上 いや、知らないですよ、そのときには。
「この日本人は何物だろう」
とか思っただろうね(笑)。
田中 「スパイかな?」とか(笑)。
巻上 で、アルタイ語教わったりしてね、
楽しんでたんですよ。
ボロットさんも奥さんと来てて、
ま、僕も妻を連れて行ったから。
田中 あ、家族ぐるみの
交際が始まったわけですね、そこで。
それで、最初に出会われて、その後どうなったんですか?
巻上 「世界口琴フェスティバル」
って長いんですよ。
5日間ぐらいやるわけ。
田中 5日もやるんですか(笑)。
巻上 うん。
その3日後ぐらいに、
フリー・ステージがあったのね、誰でも出れるやつ。
僕もいろんな人と組み合わせでやったんだけど、
「ボロットとやらなきゃっ!!」って思って、
「一緒にやらないか?」っていったら、
「うん、やろやろ」ってやったんですよ。
彼の声をちょっと物まねでやったのね、ステージ上で。
そうしたら、だんだん入り込んでって、彼の世界に。
それで、その世界を崩したりしてったら、
彼自身が面白かったらしくって。
なんかこう、一体感がすごくあったんですよ。
んー、ま、妻によると
「涙が出るほど良かった」って、言ってくれたのね。
で、僕自身はもう、ほんと感動して。
またボロットがすごい興奮してて、
テントの楽屋の裏のほうに来たら、
「一緒にコンパクト・ディスク作ろう」って。
田中 いきなりコンパクト・ディスクを(笑)。
CDがアルタイにあるんですか!?
巻上 「コンパクト」って言うんですよ。
「いやー、そんなにすぐ作れないよな」
って思ったんだけど。でも、確かにね、いい
なと思ってね。
それで、次の年、日本に呼んだんです。
レコーディングするために。
田中 調子いい人ですね、
ボロットさんもそういうところは。
で、すぐ来られたんですか?
巻上 すぐ来た。
田中 でも、アルタイからここまで、大変ですよね(笑)。
巻上 呼ぶの大変なんですよ、僕が。
だから、
僕が一生懸命やんないと呼べないんですよ。
田中 大使館通じて招待状とか、そういう話ですよね。
はじめて来られたのは一昨年ですか?
巻上 そうですね、
最初に来たのが、2000年ですね。
田中 そのときにコンパクト・ディスク作りの
ためだけじゃなくて、
公演もされたわけですか?
巻上 んーとね、1回か2回。
そんなにしなかったんですよ。
あとは、BSの番組に出たぐらいでしたね。
田中 今度のコンサートのチラシを見ても、
ボロットさんが「アルタイのスター」って
書いてあったんですけど、
「アルタイのスター」って、
どういう状態なのかなと思って(笑)。
巻上 わはははは!
そうだよね。
田中 テレビ、バンバン出てるとか。
巻上 出てる、出てる。
田中 あ、アルタイのテレビに。
えっ?
アイドルなんですか?
言ってみれば。
巻上 ポップ・スターですね。
田中 わ、ポップ・スターなんですか!
へぇー!
巻上 いっぱいヒット曲があるわけ。
最初のヒット曲っていうのは、
自分の故郷のことを歌った歌で。
兵役に行ってたときに書いたんです。
それを録音したのがね、
ラジオで流行ったんだって。
大ヒットしちゃったの。
それで有名になって、
それから何曲もいっぱいカセットをつくって。
田中 今ではもう「スター」ってことになってるんですね。
巻上 そう、はじめはノボシビルスクのスタジオで、
前衛的なエレクトロニクス使った曲を
出したりしてたんです。
田中 へぇー、はじめは民謡調じゃなかったんですか?
巻上 そう、それから、
「この歌手は伝統的なものやったらいい」と思った
演出家の人がいたんですよ。
ノホンさんって人なんだけど、
ボロットにアルタイの伝統的なものを勧めてね。
田中 もともと伝統芸の人なのかなと思ったんですけど。
最初はアルタイのポップ・スターだったんですね。
巻上 そうです、そうです。
というのはね、アルタイのポップ・スターのときには、
ロシア語のものを歌っている。
ところが、アルタイ語のものを
歌うようになったんですね。
田中 英雄叙事詩が2000年続いてるっていうのが、
凄いなって思ったんですが。
それって、楽譜とか無いわけですよね。
巻上 そうそう、口伝ですよね。
で、なんでそれ出てきたかっていう
理由があるんですよ。
それはペレストロイカですよ、やっぱり。
田中 あっ!
ゴルバチョフのお陰ですか。へぇー。
巻上 ソ連邦の崩壊が、
伝統音楽を各民族ができるようになった
きっかけなんですよね。
だからモンゴルのホーミーであるとか、
トゥバのホーメイであるとか、
アルタイのそういった歌唱が出てきた。
田中 あー。
あっ、音楽の自由化も
ペレストロイカで起ったわけですね(笑)。
巻上 カザフスタンとかも、
まだロシア連邦の中にあったんだけど、
独立してったりとか。
10年ぐらい前から、
また各民族が自分たちの伝統を
見直す動きが起ったわけですね。
で、そういう人たちがだんだん世界に出ていった。
そのへんはね、知られざる世界だったわけ。
田中 なるほどなー。
暗黒地帯だったわけですね(笑)。
巻上 そう。
ブラジルの音楽は知ってます、
ペルーの音楽は知ってます、
アフリカの音楽は知ってます、
だけど、わりと共産主義の世界っていうのは、
あまり知られてなくて。
むしろ古いかたちで温存されてたとも言えるわけ。
手付かずで。
田中 あっ!
冷凍されてたみたいな感じなわけですね。
巻上 そー、そうそうそう(笑)。
田中 「ソビエト」ひと山いくら、みたいな感じの
扱いをされてたけども、
実はしっかり冷凍保存されてたわけですね。
巻上 いっぱいあるんですよ、それが。
バシコルトスタンとかね。
カルムイックってとこにも喉歌みたいなの、あるし。
それから、ウクライナにもね、独自の音楽あるし。
けっこういろいろね、
聴くべきところがいっぱいあって。
田中 ソビエト共産党時代は、
あんまり自由に表現できなかったけれども、
それを伝えていってた動きが着実にあったわけですね。
巻上 その中でやってた人がいるんですよね。
だけど、あんまりおおっぴらにできなかったと思います。
田中 じゃあ、ひっそりと隠れたところで、
「ウ〜」と唸ってた人がいるわけですね、倍音で。
巻上 いたんでしょうね。
ま、そういった民族の強い力ってね、
途切れないんじゃないかって思うんですよ。
例えば、ボロットが言ってたんだけれど、
アルタイって、
シャーマンが多いところで有名なんですよね。
で、シャーマンがね、
全員焼き殺されちゃったんですよ。
田中 はぁー、ロシア革命以降ですか?
巻上 ソビエトの共産党によって。
で、もうほぼひとりもいなくなったと
言っていいんだけど、
今、新しくほとんどのことを知っているっていう
シャーマンが、現われてきてるんですって。
田中 えーっ。
それは、誰かから、受け継いで?
巻上 教わったわけじゃないんだよね。
シャーマンっていうのは、
なんかもう知ってるわけ。
田中 あ、いきなり(笑)。
巻上 いきなり知ってるわけ(笑)。
だからね、いくら全員殺しても、
生きてるんですね。
凄いなと思って。
田中 根絶やしにできないわけですね。
ボロットさんっていうのは、シャーマンなんですか?
巻上 自分ではシャーマンって言ってませんよ。
うん、でもやはり歌を歌う人には、
どこかしらシャーマニックなところがありますよね。
彼の吸引力から見てね、
凄い力を持った人だと思いますね。

<ワンポイント考察>
ボロットさんが兵役にいた場所が、またすごいんです。

「バイコヌール宇宙基地」

NASAよりも本格的な迫力があります。

「バイコヌール宇宙基地で、そっと喉を唸らせた」
これだけでポエムですよ。

シャーマンも歌手も突然なってしまうものなんですねえ。
見えないものを操る力持ちとして似てるんでしょうね。
血はこわいわ。
 

2003-05-21-WED

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