Drama
長谷部浩の
「劇場で死にたい」

新シリーズ
芝居のことば3 「着到板」

「ちゃくとういた」と読みます。
歌舞伎座の楽屋口を入ると、右手に頭取部屋があり、
その窓口に木製の板がおかれています。

取材のために何度か訪ねただけですが、
公の用事できていても、
楽屋口を通るときは、なぜか緊張します。
木戸を突かれるのではないか、
呼び止められて放り出されるのではないか。
歌舞伎の世界で私は、
まったく顔が知られていないこともあり、
まるで不安神経症にでもかかったように、
こわばってしまいます。
それゆえ、この着到板、
じっくり観察したことがありません。

昭和三十五年に平凡社から刊行された
「演劇百科事典」には、
「長方形(寸法は出場俳優の人数によって異動がある)の
白木の板に、狂言の場割順に出勤俳優の名が記され、
その上に小さな穴があって俳優は楽屋入りの時、
その穴に竹の釘をさす。
これによって俳優の出勤状態がわかるので、
頭取は始終これに注意を払うわけです」
とあります。
私がかいま見たところでは、今も歌舞伎座では、
この形式をとっているようです。
ダイヤモンドゲームのピンを思い浮かべて下さい。

新しい劇場では、そのかわりに、
剣道場や相撲部屋にあるような、名札が掲げられています。
俳優さんは、楽屋入りするときに、これを裏返し、
楽屋を退出するときに、もとに戻します。
もう、ずいぶん以前になりますが、
シアターコクーンの楽屋に、取材があって
野田秀樹さんを訪ねたとき、同行した朝日新聞の
今村修さんが、大阪に転勤になることもあって、
「外でめしでも食いながらやろうか」と
相談がまとまりました。

三人で楽屋口をでるときに、
野田さんは、名札をくるりと裏返しました。
そのとき、
「ああ、これをひっくり返すことは、私にはないのだな」
と、急に寂しくなった思い出があります。
いつもは、考えたこともなかったのですが、
こころのなかの「幕内の人間ではない」という札が、
そのとき裏返されたのでしょうか。
友人の会社を訪ねて、通用口からでるとき、
タイムレコーダーを押して退社するのを見ても、
格別、何も思ったりはしないのですが。

これもずいぶん以前になりますが、
先代の片岡仁左衛門さんを、京都南座の楽屋口で
見かけたことがあります。
春先、風は冷たく、
老優はひとりステンカラーのコートを着て、
どなたかを待っていた様子です。
着到板の釘は、もう抜かれていたのでしょうか。
俳優というより、学者の風情が漂う。
私は黙礼し、肩をすれちがい、鴨川べりにでました。
街の音がかぶさってきました。

長谷部浩

次回は「開帳場」です。

1999-05-11-TUE

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