Drama
長谷部浩の
「劇場で死にたい」

新シリーズ
芝居のことば1 「初日祝い」

突然ですけど、糸井さんあての手紙のかたちをやめて、
「よくしらないだれか」に向けて
書き始めることにしました。
「敬語を基本とした文章」から、
でられない不自由さを感じるようになったからです。
うまくいくかどうかわかりませんけど、
まあ、そのうち落ち着くでしょう。

これから幕の内外について、
いろんなことばをきっかけに書いていこうと思います。
第一回目は、「初日祝い」。

お芝居の世界では、「初日祝い」といって、
第一日目のステージが終わった後、
関係者だけの小さなパーティが開かれます。
たいていは劇場のロビーに、
缶ビールやジュース、お寿司やサンドイッチを
テーブルにならべるだけの簡素なもの。

演出家が短いスピーチをします。
「ようやく初日を開けることができました。
……………(中略)………………
みなさんケガがないようにがんばりましょう」。
(芝居の世界には、ケガはつきもの。
それが一番心配なんですよね)

で、小一時間くらい、スタッフキャストが、
とりとめなくおしゃべりして、
はい、お疲れさまとなります。
盛り上げるでもなく、親密な感じがあって、
なかなかよいものです。

ぼくは批評家という微妙な立場ですから、

1、その芝居の出来がよかったので立ち去りがたい
2、演出家と親しい
3、制作が積極的に誘ってくれた

この三条件がそろって、はじめて
「たまには残ろうかな」てなことになるわけです。
一年に3〜4回ってところでしょうか。

絶対に残ってはいけないのが、
「出来が悪かった場合の打ち上げ」です。
これは、はっきりいって怖い。
もともと、打ち上げは、その芝居をささえてくれた
スタッフのためにあります。
舞台で見得を切る俳優さんたちと違って、
スタッフの仕事は、忍耐と寛容でできあがっていますから、
出来が悪かった場合は、その地道な努力が
成果を結ばなかった、ともいえます。
俳優さんだって、おもしろいはずもない。
あたりに険悪な空気が立ちこめ、一触即発のふんいき。

ぼくも20代の頃は、好奇心旺盛というか、
怖いもの知らずでしたから、
そんな場にのこのこ出かけていっては、
巻き込まれていやーな思いをしました。

芝居の出来がよければよかったで、打ち上げは、
名残惜しい絆がスタッフ・キャストに生まれていて、
部外者の出る幕はありません。

いずれにしろ、芝居関係のパーティは、でないほうが無難。
お芝居ファンのなかには、「のぞいてみたーい」
と思われるかたもいるでしょうが、
せいぜい楽屋までにしておいた方がよさそうです。

もっとも、一昨年、稲垣吾郎さんが、
いのうえひでのり演出の「広島に原爆を落とす日」
に出たとき、「これからテレビです」
と、疲れを見せずに、初日祝いを終えて、
劇場を去っていった後ろ姿には、しびれました。

次回は「楽屋とんび」です。


長谷部浩

1999-04-08-THU

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