Drama
長谷部浩の
「劇場で死にたい」

「第二回鶴屋南北賞、受賞!」

糸井重里さま
聞きましたか。
野田秀樹さんが、『Right Eye』で
第二回鶴屋南北賞を受けました。
南北賞は、現役のジャーナリストが審査員をつとめると
聞いていますから、まさに「今」に与えられる賞なので、
きっとうれしさもひとしおだと思います。

小学館からでている戯曲雑誌「せりふの時代」冬の号に、
『Right Eye』が掲載されています。
「おまけ」として、野田さんの話を私が聞いてきました。

「『戯曲』という言葉の響きは文学よりだけど、
いい演劇は、いい現場が生み出すものなんだと思う」

机の上で書きつけたことばを、
稽古場でゆたかなものにしていく。
野田さんの考えを、できるだけ細部を
具体的に話してもらいました。
400字詰めで、40枚の「長編インタビュー」ですが、
読んで下さればうれしいです。

さらに「おまけ」の「おまけ」として、
NODA MAP結成後、『キル』(1994年)から、
『Right Eye』(1998-99年)までを
私なりに解説してみました。
以下がその原稿です。

かなり長文なので、インターネットにつないだままでは
読みにくいかもしれません。興味のある方は、
ハードディスクに落として、プリントアウトしたほうが、
疲れないと思います。

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『速度の演劇、ふたたび』
長谷部浩

もう、6年前のことになる。
『定本・野田秀樹と夢の遊眠社』(河出書房新社)という
野田の作業日誌をまとめた本のお手伝いをしたとき、
巻末に私は、
「めまいの都---野田秀樹、あるいは速度の演劇」
と題した文章を書いた。
集団、劇作、演出、演技いずれをとっても、野田秀樹の
まわりには、ぶんとうなりをたてるような速さが
感じられた。彼じしんがひとつの磁場となって、
人の目には到底捉えられない速度で移動している。
ことばも、からだも、もののかたちも、
その意味を固定される間もなく、次の場所へ
テレポーションを繰り返している。
今を逃したら取り落としてしまうのではないか、
瞬きする間さえ惜しい、観客にそう思わせる演劇が、
80年代の東京を疾走していたのである。

1992年に夢の遊眠社を解散。
ロンドン留学後、
1994年『キル』で活動を再開した野田秀樹は、
演劇の文法を一変させた。
『キル』で彼がわたしたちに差し出したのは、
人間の輪郭がかげろうのなかで揺らぎ、
まさに消え去ろうとするときの美しさだった。
主舞台で物語が進んでいるあいだにも、
ひとはかたときも休まなかった。
たとえば、テムジンとシルクが恋を語っているとき、
他の役者はモンゴルの羊の群となって、
ふたりの周囲をたゆとうていた。
結髪がテムジンに処刑される衝撃的な場面では、
舞台奥をシルクはくるくると回りながら
死の舞踏を踊っていた。
そこには、ひととものに込められた、たましいを、
純粋なかたちでいとおしむこころの傾きがあった。
速度はゆるやかになって、舞台上のものどもは、
観客にしみとおってきたのである。

『キル』に続く、『贋作・罪と罰』(1995年)、
『TABOO』(1996年)もテーマはそれぞれ異なるものの、
季節の移り変わりを、ひとのこころに影のように
落としていくもくろみは変わらなかった。
人間は関係性のなかで、孤立を余儀なくされる。
けれど、四季を通しておだやかな波動を与える自然は、
どこまでもひとを見放したりはしない。
しかも、その自然とは、田園に旅をしたり、名だたる公園に
足を向けなければ感じられないものではない。
流れる雲や鳥のさえずりのように、ふだんの毎日のなかに
じっとうずくまって私たちが気づくのを待ってる。
これらの作品は、そう静かに語りかけてきたのである。

一群の作品をつらぬくのは、「ネーション」の概念である。
わたしたちの未来は、国家の枠内にはない。
政治、経済、とりわけ文化の未来は、ネーションの束縛を
越えたところで、思い描かれなければならない。
少数者を異質なものとして排除したり、ついには
迫害したりするナショナリズムとは、無縁な21世紀が
待ち望まれるとき、たとえば『キル』の青空は、
国境と歴史を超越して、ひとを見つめつづけてきたと
野田秀樹は考える。
『キル』の文化帝国主義、
『贋作・罪と罰』のテロリズム、
『TABOO』の天皇制は、
ひとびとをひとつの旗印のもとに結集させる。
そのときわたしたちの自由は、無惨にうちくだかれる。

こうした静かな語りが、一転して熱をおびはじめるのは、
番外公演として上演された
『赤鬼』(1996年)からである。
ここでは、村のへりに住み被差別を受ける人々が描かれる。
外国からやってきた西洋人=赤鬼と
コミュニケートしようと試みるのは、
差別を受けてきた兄妹と、村から疎外された詐欺師だけだ。
異質な存在に拒絶反応を示し、敵愾心をあらわにする村人。
赤鬼と懸命にこころを通わせようとしつつも
その難しさに絶望する妹が、対照的に描かれる。
国境を越えて文化交流をする。
そんなお題目が、いかに摩擦と混乱と不快を
ぬぐいさったところで唱えられているか。
漂流した大海原で、妹はやむなく死んだ赤鬼の肉をたべる。
人肉食によって、その血と肉をわがものとする、
その絶望的な事態を突きつけたところに、
トランスナショナルな文化とはなにかについて考え詰めた、
野田の懸命なあがきさえ感じられた。

『赤鬼』は、段田安則、富田靖子、野田、
アンガス・バーネットの四人によって演じられた。
ここで、詐欺師、妹、兄の三人は、ときによって、
差別する側の村人を演じる。しかも衣裳を取り替えたり、
暗転があったりするきっかけはなく、唐突な役柄の転換が
めざましいかたちでおこなわれたのである。
そこには、壮大なテーマ、永遠に続く物語を
叙事詩のように語っていくのではなく、
断章形式で切れ味よく見せていこうとする
たくらみがあった。

青空や海に代表される自然は、一般に、
悠久の時の流れのシンボルとされるが、
『赤鬼』に至って、
時はすべてを和解に導く回答とはなりえなかった。
急激な役柄のスウィッチに見られるように、
切断された時のなかを私たちは生きている。
答えを未来に先延ばしするのではなく、
瞬間瞬間の真実を問いただしていこうとする
激越な姿勢が認められたのである。

『ローリング・ストーン』(1998年)は、
現在への絶望が色濃い作品である。
救いや希望としての自然は影をひそめて、
国境にこだわり、血縁に縛られ、恋愛にこころを乱す
ひとびとの欲望がむきだしに描かれる。
ラストシーン、ひとびとは凍りついた川を渡っていくが、
慰めの火は絶えたままで、未来は暗がりに閉ざされている。
役者たちはエネルギッシュに動き回るが、だれもがじぶんの
人生は徒労に終わるだろうと知ってしまっている。
彼らは、こころのなかに石をかかえこんだまま、
もっと自由をと、声にならない叫びをあげているのだ。

今回上演された『Right Eye』は、
国家によりそってじぶんじしんのアイデンティティを
求めるのではなく、まさしくじぶんじしんのからだに、
自由の意味を問いかけた作品である。
野田秀樹は右目を失明した。
そのことによって、ふたつの考えがじぶんのなかで
せめぎあっていると自覚した。
ひとつは「正義」や「ヒューマニズム」によって、
規制されるひとの行為である。

功名心から兵士によって射殺される村人の写真を
撮りたいと考えた戦場カメラマンがいる。
彼は報道の自由によって守られている。
しかし、彼をスパイと認定し処刑する
クメール・ルージュの兵士も、
まさしく「正義」を遂行しているのだ。
報道の自由と社会正義がぶつかっている。

また、報道の自由をふりかざして、
夏目雅子の病室を見張るパパラッチがいる。
彼女は最後の夏、抜けるような青空を見たいかもしれない。
けれど、カメラマンのぶしつけなシャッターから
じぶんを守るためには、病室のカーテンを
閉め切っておかなければならない。
ここでは、のぞき見をする権利と、
ヒューマニズムの論理がせめぎあっている。

このふたつの挿話には、ちがいがある。
ひとはこの10年のあいだに、人間としてのプライドを
失ってしまった。その無惨さは無惨さとして認めよう。
しかし、と私はたちどまる。
パパラッチのあさましさをひっくるめて
その自由を認めなければ、私たちは凍った川を
渡ろうとしている社会に対して、個人の自由を
主張できないではないか。

右目とともに、正しい目は失われた。
「正義」などはもはやない。
残された目に映るのは、蛮族の放埒がはびこる現実である。
それを「ヒューマニズム」の論理で処断するのではない。
のぞき見の欲望は私たちのなかに確かにあるのだ、
そう認めた上で、生き方のスタイルや行動の自由を
野田秀樹は訴えている。

『Right Eye』は、自由を、
ことばで語りかけているだけではない。
演劇の文法を柔軟に運用することで、
劇作、演出、演技によって、自由を訴えている。
インタビューのなかで紹介された役柄の転換だけではない。
断章形式は、演じるものじしんによる語りによって
自在につながれ、過去のカンボジアとも現実の日本とも
いい切れない曖昧な領域、マージナルな空間が、
幻のように舞台に現れる。
それは国家が容易には立ち入れない場所、
個人の無意識が自由に活動する妄想の世界だ。
そこで行われるさまざまな出来事がリアリティを持って
成立するためには、肉体の速度を野田秀樹は
ふたたび取り戻さなければならなかった。

日比野克彦の衣裳は、役者のからだの線をむきだしにして、
肉体の躍動感を観客にダイレクトに伝えている。
堀尾幸男の装置は、アイリスをカメラのシャッターのように
開閉させるとともに、布のカーテンをその前面において、
妄想の世界の立ち上がりを助けている。
小川郁雄の照明は、光が私たちの現実に
どうかかわっているかを考えさせる。
そして、選曲・効果の高津幸男は、断章形式によって
つながりを失いがちな観客の意識を、巧みにつなぎとめる。

私は『Right Eye』に、人間の内部にある速度を
確かに感じ取った。80年代の野田秀樹が
移動の速さで速度感をもたらしたとすれば、
90年代の野田は、ひとの精神のなかにある
自由の速度を伝えようとしている。
それはかたときも立ち止まらず、
スペースを求めて動き回る。
さまざまな関係によって、押しとどめられようとしても、
息の根をとめられるまでは、その動きを止めない。
ミクロの世界で素粒子がたえまない運動を
続けているように、絶望も滑稽も断念も
そしらぬ顔をして、自由は生きている。

カンボジア語で「おはよう」をなんというか、
私は知らない。けれど、戦場の兵士も、カメラマンも、
稽古場の役者も、客席の観客も
「おはよう」といって一日をはじめる。
自由を主張しはじめる。今の私には、
それが何よりも大切なことのように思えている。

長谷部 浩

1999-01-26-TUE

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