Drama
長谷部浩の
「劇場で死にたい」

「日比野個展について」

糸井重里さま

私も「劇場に死にたい」にちょっと居候して、
展覧会について書きますね。

遅ればせながら、日比野克彦さんの個展に行ってきました。
パルコパート3の会場いっぱいに敷きつめられた絵を見て、
圧倒されました。
竜巻のような空気のうねりが、
一枚の絵から天井に向かって立ち上っている。
演出家のピーター・ブルックは、アフリカの村々を
たずねて、その辻に一枚のカーペットを敷き、
その上で俳優たちが即興演技をおこなうプロジェクトを
かつておこなったことがあります。
大地にカーペットが敷かれるだけで、
幻の空間が立ち現れる。
日比野さんの個展には、そんな呪術への傾きがありました。

会場内

かなり大きなサイズの絵画は、
額縁に納められてはいません。
カンヴァスのまま、投げ出され、リモージュで
かれじしんが焼いた陶器が重石代わりに置かれている。
近代絵画は壁に麗々しく飾られることで、
ようやく芸術としてのポジションを保ってきましたが、
日比野個展のプレゼンテーションには、ギリシャ人が
寝そべって休息しながら哲学を語る趣があって、
ぼくは、強靭な精神と、大人のくつろぎを
ともに受け取ったのです。

一枚一枚の絵画に目をそそぐと、
そこにはドラマの原型が凝縮されています。
人が描かれている。
なにもない空間に、ひとがさまざまな表情をしている。
それだけで、人間の内奥で激しくそして静かに流れていく
意識が伝わってくる。

僕はアンドリュー・ワイエスの絵を思い出していました。
そこには、自然の中で孤立を強いられた
人間のたましいがありました。
緊張をしいられ、いまにも傷をおったこころが
はじけようとしている。
そのテンションの銀の糸がはりつめているありさまを、
彼は描いています。

絵画1

日比野の新しい展開は、
もはや自然と人間、自然と人工の二項対立さえも
捨て去ってしまっている。
ただ、人がいる。
人と人が画面のなかでともに生きている。
人と人が関係性を作れないままに、
同じ空間に重なり合っている。
ことばはこころのうちに押さえ込まれたままで、
人が人の気配を意識しながら、かろうじてその時間を
やりすごしている。
ここには、絶叫も嘆きも笑いもありません。
ただ、こころが揺れている。
人が求めて止まないドラマが
ぎっしりと詰まっていたのです。
私たちの生の断面を、
シンプルにしかも力強く描ききっていたのです。

1999年1月12日

長谷部浩

伝言板
今後の展覧会巡回展の予定
・1999年5月中旬〜6月中旬 名古屋パルコ
・1999年8月12日〜9月12日 福岡アルティアム
・1999年秋 札幌パルコ
以上の予定で開催いたします。

 

1999-01-16-SAT

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