Drama
長谷部浩の
「劇場で死にたい」

演劇評論という仕事(その2)

糸井重里さま

先日、お目にかかって、
雑誌や新聞に発表する文章とは、違った文体で書くには、
手紙のかたちがよいのではとお話ししました。
もちろん、平易にはなったと思うのですが、
なかなか破調にはなりません。
どうも身構えてしまうんだよなあ。
それには、糸井さんが年長だというところも、
関係しているかも知れません。

で、第二回。

演劇評論家とは、どんな仕事なのか。
簡単にいってしまえば、お芝居を見て、その評を書く人です。
書き始めた頃、26歳の私はこう考えました。
渡辺保さんや扇田昭彦さんに憧れて、批評家になろうと思った。
でも、彼らのまねをしていては、自分の居場所はないだろう。
だったら、芝居を見て、多くの批評家は、「こう書くだろうな」
と予想できることは、はじめっから捨ててしまおう。
それがどんなに正統で、すばらしいものでも、あきらめよう。
そこで、とりあえず飛び道具として、
モノについて書き始めました。
戯曲評、作品評ではなく、装置、小道具がその芝居のなかで、
どんな意味を持つのかを切り口にしました。
時代は、モノが洪水のようにあふれた
バブル期のとばくちでしたから、
そう無謀な方法ではなかったように思います。
もうひとつは、少なくとも劇作家、演出家が
思いつかなかったことを書こうとしました。
彼らの代弁をしても意味はない。
観客がお芝居を受け取ってはじめて演劇は完結するのだから、
作り手の意図と違っても、いっこうにかまわないではないか。
今思えば、傲慢で、ばかばかって感じですが。
それから、あっという間に15年あまりが過ぎて、
今の具体的な仕事についていえば、
「短」、「中」、「長」、「急」の4つのジャンルに、
じぶんでは分けています。

「短」
新聞や雑誌に書く原稿。400字3〜10枚で、
舞台評や批評的なエッセイを書く仕事です。
日本経済新聞、日曜日アート欄の「せりふの流儀」や
専門誌テアトロの劇評、セゾン劇場パンフレットの「心ごころ」
なんかがこれにあたります。

「中」
単行本の解説や固い雑誌の原稿 400字20〜50枚で、
個々の舞台評ではなく、テーマを設けた論文の体裁をとります。
現代日本戯曲大系13巻(三一書房)の解説・解題、
Japanese Book News(国際交流基金)の
「Japanese Theater in the 1990」(英文)、
これから書く仕事では、日本劇作家協会に依頼された

「日本の現代戯曲」(仮題)の時代解説など。

「長」
じぶんの単行本の仕事。「いっさつまるごと」です。
短、中で描きためた連載の原稿をまとめる場合と、
新たな書き下ろしの二種類あって、
「4秒の革命」(河出書房新社)は、前者。
「傷ついた性」(紀伊國屋書店)は、後者。
9月にアスキーからでた「盗まれたリアル」は、
インタビュー集ですが後者。
今は、久保田万太郎論を準備しています。

で、「急」というのが、やりたくなりました。
電子メディアのなかの仕事です。
雑誌の入稿は、月刊誌だと発売1カ月前。
映画には試写会、音楽にはサンプル版があって、
完成品の批評が、公開・発売日に読めますが、
芝居だけはそうはいきません。
いきおい翻訳物を別として、
台本もあがっていない段階での紹介記事が多くなります。
面白いものが、書けるわけがない!
AOL(アメリカン・オン・ライン)、日経ネットのステージ欄に
劇評を連載していたのですが、芝居が千秋楽を迎える前に、
発表できるのは楽しい。
これまで締め切りの関係で新聞に独占されていた分野が、
一気に解放された感じです。

そんなこんなが私の仕事です。
今度は「批評は芝居の批判をするべきか」について
書いてみたいと思っています。
悪く書かれてうれしい人はいません。
だからといって、提灯記事を読者が読みたいわけはない。
もっとも「ほめ殺し」っていう怖い文章もありますけどね。

糸井さんからタイトル提案のメールをいただいたら、
一気に書いてしまいました。
あ、もう2時過ぎです。
差し迫った仕事に戻ります。
糸井さんも無理をなされず、御身御大切に。

平成十年十一月四日
長谷部浩

1998-11-14-SAT

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