佐藤 博報堂を辞めて
五年なんですが、
独立して最初の仕事が
「Smap」だったんです。
CDジャケットも
広告キャンペーンも
コンサートグッズもやりまして……。
糸井 その流れも、よかったね。
佐藤 昔なら
コンサートのグッズは
触れないところを、
確信犯でぜんぶデザインしました。

新聞の十五段広告を作る勢いで
ティッシュをデザインしたり、
「十五段広告も
 ティッシュもバッジも
 みんなおんなじメディアだ!」
という、思いきりフラットな
とらえかたをしたんです。
糸井 昔の人は
「じゃあ、
 ラジオのほうは、
 おまえやっといて」とか、
「おまえは新人だから
 チラシをやっておけよ」
とかいうわけです。
代理店だとだいたいそうですよね。
佐藤 そうでした。
ずっとそうでした。
糸井 でも、
チラシのほうが、
十五段広告よりも
重要な場合がありますよね。
佐藤 はい。
街をメディアにすることを考えたり、
「極生」も商品開発から
やっていますけど
「状況をデザインする」
のはおもしろいですよね。


TSUTAYA TOKYO ROPPONGI は
「お店のディレクションぜんぶ」
ですから、
ポスターなんて作っていないんです。

お店のなかで使うもののデザインとか……
そこでTSUTAYA の未来を
見せることが広告になりますから。

そういうことの延長で
二年前ぐらいに
NHKの『トップランナー』という
番組に出た時に
「たとえば幼稚園とかをやってみたい。
 教育とか医療とか、
 アートディレクションの力が、
 ほとんど利用されていないところで
 なにかをやってみたい。
 ぼくはデザインの力を
 とても信じているから」

というような話をしたんです。

教育のカリキュラムをいじるより、
アートディレクションのアプローチで
解決できることだって
たくさんあるかもしれないですから。

そこでは
「たとえば幼稚園とか」
といったのですが、翌日に、
幼稚園界の電通みたいなところから
電話がかかってきたんです。
「昨日テレビ見たんですけど」と。

きいてみると、
幼稚園のプロデュースって、
ほとんど広告代理店と一緒なんですね。
あそこに頼んでおけば、
ぜんぶをやってくれるという
代理店のような会社があって
「五億円でぜんぶやっといてね」
みたいなことも、あるそうです。

園舎から遊具から園服から
揃えてくれる会社があるんです。
五社ぐらい大きな会社があるなかで、
ぼくが一緒にやっているのは
「ジャクエツ」というところです。

もともと幼稚園をやっているお寺で、
遊具を作ったらいいのができて、
隣の幼稚園に譲るというつながりで
はじまったとききましたが。

糸井 もともとはお寺なんだ。
今も最初の幼稚園は、やっているの?
佐藤 今もやっています。
そこはフラッグシップとして
ショールーム的な
幼稚園になっていて、
全国から見学が来たりする……

考えてみれば、
ふつうの地主さんが
いきなり建築家に
頼むなんてできないから、
プロデュース会社があっても
不思議ではないわけですよね。

「ぼくはふつうの園舎を
 やりたいわけではないんです」
 
「これからは少子化でどう考えても
 幼稚園はつぶれていくだろうから、
 そういうことも
 考えないといけないと思います」

というようなことを話しました。
新しい教育のビジョンを話せる、
危機感を持っている
新しい世代の園長先生がいるところなら
できると思うといったら、
ひとり、いたんですよね。
糸井 幼稚園をやるきっかけとしても、
独立して最初に「Smap」を
やったのは経験としては最高だね。

なにかを決めることには、
やっぱり
大貫くんの影響も、あるんでしょう?
佐藤 はい。
それと、大貫さんとは
ちがうことをやろうと、
ずーっと思っていましたからね。

だからぼくの場合には
「ノーアイデア」というか……
それがアイデアなんですけど。
糸井 わかるわかる。
佐藤 大貫さんのは
トンチ系じゃないですか(笑)。
こんなこといったら怒られますけど。

そこにはアイデアが
前面に出ているすごさがあるわけですけど、
ぼくはもともとグラフィックデザインが
すごく好きだったんですけど、
そもそも、広告を作ることが、
なんでこんなに
たいへんなことになるかというと……。
糸井 トンチが浮かぶまでが苦しい?
佐藤 はい。
広告のアイデアの最高峰が
大貫さんだとはわかっていたし、
ぼくは大貫さんのアイデアは
すばらしいと思うんだけど、
それ以外の人のいう
「アイデア」に対しては、
ずっと「ちがう」と思っていたんです。

「そんなことじゃなくて、
 真っ赤な色がポーンとあるとか、
 そういうことで
 解決できることもあるはず」
というようなことを
五年以上は考えていたのですが……
長い間、コンセプト化することは
できませんでしたね。
糸井 それはものすごいことだなぁ。
佐藤 ホンダの「Step WGN」も
そんな実験のひとつだったんです。
あれはアイコンで
コミュニケートしようというものです。

「Smap」も「極生」も、
コミュニケーションと
商品を一体化させたかったんです。
みんないそがしくて
広告なんか見ているヒマがないから
「そうそう。それです!」
というものにしたいなと。
ぼくもすごいせっかちですから。
糸井 「広告までが商品だ」
ということですよね。
佐藤 はい。
イメージ上の
パッケージデザインみたいな感じです。

「Smap」「apple」「NIKE」
……そう言った時に浮かぶイメージを
パッケージにしたらいいんじゃないかな、
と思いました。
「ストーリーとかトンチとか、
 そういうのは要らないんじゃない?」

と。
糸井 『タイタニック』のシンボルは
「羽ばたくように手を広げた女を支える男」
だけど……あれがほとんどの
意味や物語を予感させていますよね。

大貫くんのつくる最高峰の部分は
ああいうものだし、
ぼくもああいうものを作れた時には
そのつどガッツポーズを
していたような気がします。

ただ、もっと古い映画でいうと
『二〇〇一年宇宙の旅』に
モノリスという
「意味は自分でつけろよ」
というものがあるからこそ、
あの映画自体が
「なんだかわからないけど、
 なんだかすごいもの」
に見えるという装置が、
昔からあるんです。

可士和くんのやることは
きっと昔からちゃんとあったと思うんです。
だけどそれを
「これでいいんだ、これでやるんだ」
と決心できるまでには、
とても長い時間が必要だったといいますか。
おもしろいなぁ。その過程自体が。

(つづきます)
2005-04-19-TUE
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