高山先生、 新型インフルエンザについて 教えてください。
本田 自分自身を守るためには、
そのための制度や施設を有効に使うことが必要なんですが、
いま、それを正しく使えていないという
問題がありますよね。

たとえば、救急が、いわゆるコンビニ受診と
呼ばれるような状況になっていたりするように。
現時点で地域医療の崩壊と言われているところに、
パンデミックがきたときには‥‥機能しないですよね。
高山 そう。救急に患者さんが殺到するんじゃないか、
新型インフルエンザ対策どうするんだと
言われることもあります。
ただ、そうした問題はまさに今、
対策を進めなくてはいけないことなんですよ。
ごちゃまぜにしてはいけないとわたしが思っているのは、
それは、新型インフルエンザ対策の問題なのか‥‥
本田 日本の医療の問題なのか。
高山 そうなんです。
たとえば、先ほど説明した
発熱外来を地域に整備してゆく対策ですが‥‥。
本田 新型インフルエンザの患者さんを専門に診る外来ですね。
高山 そうです。パンデミック期には、
集約的に診る場所を決めておいたほうが、
効率的だし、ほかの患者さんとの交差がない。
そういう利点があるんです。
ところが、なかなか進まない。
進まない理由はなにかといったときに、
医療従事者のやる気がないのかといえば、
そうじゃないんです。
本田 医療機関はすでに手いっぱいということですよね。
高山 そうです。
でも、この背景に見えてくるのは、
日本の地域における高齢化の進展と
医療過疎の問題なんです。

地域医療基盤の脆弱性があるとしたら、
それはなぜかというと、
医療という社会共通資本に対する
投資不足が見えてくるわけですよ。
本田 ええ。そうですね。
高山 じゃあその背景にはなにがあるかというと、
地方分権の立ち後れが見えてくるわけです。

メディアリテラシーの問題もある。
保健教育の問題もある。
新型インフルエンザ対策を進めながら思うのは、
社会の土壌として進めておかなくては
いけなかった問題が、この限界状況を前に、
見えてきているような気がしますね。

いま、新型インフルエンザ対策として、
「うがい、手洗い、咳エチケット」と言ってますけど、
じつはそれも「新型インフルエンザ対策」という
わけじゃないんですよ。
日頃から、みんなが心がけておくべき生活習慣なんです。
本田 ふだんのインフルエンザにも、
そうとう有効なわけですからね。
高山 そう、いまも必要なことなんです。
でも、実際には、ほとんどできていないですよ。
子どもたちはできていない。
あたりにかまわず咳をするし、べたべた触る。
学校から帰ってきて、うがいも手洗いもしない。
立ち食いをする。そういう社会になってますね、いま。

昔の内務省、厚生労働省の前身ですが、
内務省がスペインかぜと戦ったときのポスターを見ると、
いまわたしたちが「咳エチケット」と言っていることと、
おなじことを言ってますよ。
本田 そうなんですか?
高山 「『テバナシ』に『セキ』をされては堪らない」と。
本田 ほんとだ。しかも、五七五になって(笑)。
高山 「親と子の居間も隔てて身を守れ
 病の敵の宿に在る間は」とかね。



内務省(当時)のポスター
本田 歌になってる(笑)。すごい。
高山 結局、過去の記録などを、
半分興味本位で見ていて、わかってきたのは、
いまわたしたちが、咳エチケットとか
マスクとか手洗いとか言っているのは、
スペインかぜのときに、
みんなが確立した生活習慣なんだということです。
そのときに、強力なキャンペーンをはってるんです。
それまではマスクも市民のなかには
周知されていなかったんだけど、スペインかぜの教訓が
日本人にマスクの重要性を認知させたんでしょうね。
本田 ああ、そうなんですか。
高山 そして、手洗いしましょう、うがいしましょう、
あるいは栄養をつけましょうとか。
スペインかぜに立ち向かった、日本人の記憶なんです。
その記憶が少しずつ、伝えられながらも、
薄れてきているんです。

今回、咳エチケットのキャンペーンをはりながら、
ぼくはしみじみ思うんですが、
あのスペインかぜのときに、
39万人の日本人が亡くなったんです。
その死に、ほんとうに多くの涙が流されたと思うんです。

あのとき、もう二度と
こんな悲劇を繰り返さないという思いで、
人びとは、手洗い、うがいの生活習慣を
日本人のなかに定着させてきたわけなんですよ。
その先人の悲しみに応える責任が、
ぼくたちにはあるんだと思うんです。

もう、二度とこういう悲しいことが起きないように、
まずは自分たちで自分たちの身を守ろう。
そういう、過去からのメッセージなんです。

それを、いま、新型インフルエンザ対策のときに、
できなくてどうするんですか。
そう、ぼくは思うんです。
本田 ほんとにそのとおりですよね。
これまで、このことをどなたかに話す機会ってありました?
高山 いや、厚生労働省の人間が
こんなことを言ってもねぇ(笑)。
本田 そんなことはないでしょう。
もったいない。
たくさんの人にお伝えしたいですね。
高山 ぼくは、エイズの患者さんを診ていて、
一部の患者さんに共通したキャラクターが
あると思っているんですね。
それは薬の飲み方の指導などをしているときに、
他人ごとのような顔をしているということなんです。
本田 それはわたしも感じます。
どこか自分のことじゃないような。
高山 薬の飲み方を説明しているのに、
なにか、自分のこととして受け止められていない。
それをわたしは「自らの身体に対する無関心さ」と
呼んでいるんですが、エイズの患者さん以外にも、
とくに若者たちにまん延しつつあるような気がします。

佐久総合病院というのは、昔から、農村に分け入って、
市民の人たちに健康教育をつづけてきた病院なんですが、
そこでもいま、身体に対する無関心さというのが
ひとつ、壁としてあるんです。
手を洗わない子どもたち、うがいをしない子どもたち、
病気になったら誰かが治してくれる。
本田 ええ、ええ。
高山 そういう無関心が、現代、世代を重ねるほどに、
日本人のなかに広がっているような気がします。
新型インフルエンザに立ち向かうときの
最大の敵は、それだと思うんです。

咳エチケットをやりましょう、
マスクをしましょう、という以前に、
まず大切なのは、身体に対する関心を取り戻すこと。

大やけどをしなければわからないというのは
人間の性(さが)だとは思うんだけど、
ただ、連綿とつづいてきた
スペインかぜの悲劇に対する記憶を、
あらためて、いま憶い起こして、
身体に対する関心を取り戻すという作業が、
新型インフルエンザのほんとの意味での
リスクコミュニケーションだと思うんです。
本田 身体に関する関心を取り戻すことの大切さ、というのは
わたしも最近痛感しています。
いま、あらためて思うんですが、
健康手帳も、そのゴールはここなんだと思います。
高山 そう。そうです。
あれも自分の身体に対する関心を取り戻す作業でしょう。
自分がどういう病気をもっているのか。
飲んでいる薬すら言えない患者さんが、
たくさんいるわけですよ。
どんなワクチンを打ったのか、
もう覚えていない人がたくさんいるんです。
でも、そうじゃいけない。

自分のからだは自分のもので、
いちばん最初に自分のからだをいたわるのは
自分自身であって、
お医者さんでも看護師さんでもないんです。
本田 自分を大切にして、自分を守る、ということが
どれほど大切か、ということを
お届けしたいですよね。

今日は貴重なお話をありがとうございました。
最後に、先生が医師としてこれからやってみたいと
思っていらっしゃることについて
教えていただけませんか?
高山 そうですね。じゃあ、話を大きく飛ばします。
わたしは日本イラク医学生会議の団長を務め、
3回イラクに行ったことがあるんですね。
サダム・フセイン政権のときのことです。

当時、バグダット大学病院に行くと、
混乱した状態で、もう、ぜんぜん医薬品がないんです。
注射器は、生物兵器の開発に使えるということで
輸入が禁止されていたんです。
消毒薬は、化学兵器の開発に使用できるということで
輸入が禁止されていたんです。

注射器も消毒薬もなければ、
完全に医療はストップします。
本田 そんな状況だったんですね。
高山 そう。そして、もう、薬もない。
そこで見た小児病棟の風景をぼくは忘れられないんです。
ベッドの上にふたりずつ患者さんが寝ていて、
ぎゅうぎゅう詰めで、でも、なんにもできることがない。
消毒薬がないので、腐っていく臭いがひどいんですね。
発電所が爆撃で破壊されて電力の供給がないので、
エアコンが効かず室温は50℃近い。
そういうなかで、子どもたちが死んでいくんです。
それでも、患者さんたちは来るんですよ、病院に。

バグダット大学の医学部長は、
ムハンマド・アラウィ先生というかたで、
わたしが「なぜ薬もないのに病院を開けておくのだ」と
問いかけたところ、その先生が、
ひじょうに印象的なことを教えてくださいました。

薬がないから、点滴がないからということで、
医者があきらめるようじゃ、だめだと。
薬も点滴もメスも、技術にしか過ぎない。
ほんとうに必要なのは、
医師が患者さんのそばにいることだ。
かたわらにいて手を握ってあげるだけで、
患者さんたちは、安心して逝けるんだ、と。

その、自分たち医師が持つ、
もっとも崇高な技術を提供できるかぎり、
病院を開けるんだ。
そういうふうに彼は言って、
そして、バグダット大学病院の医師たちは
ずっと、最後まで患者さんを受け入れつづけたんです。
本田 すごい。

1997年夏、ムハンマド・アラウィ先生と。
日本イラク医学生会議のイラク訪問団団長として
バグダット大学医学部に医学書を寄贈した折りに。
高山 わたしは医師になる前に、アジア各地を放浪し、
いろんな地域の医療現場を見たり、
実際に働いたりしてきました。
そうした経験から、
わたしの信念になっていることなんですが、
なにもできないとしても、患者さんのそばにいることが、
医療従事者にとって、すごく大事だということです。
医学的にできることは、もうなかったとしても、
お医者さんにできることは、まだたくさんあるんですよ。

わたしは病院の医療安全管理室というところで、
トラブル事例にも接しているのですが、
憤っている患者さんやご家族、ご遺族というのは、
そのときお医者さんがいてくれなかったから、
あのとき看護師さんに声をかけたのに
立ち止まってくれなかったとか、
そういうことが、医療に対する不信の原点となっている。
そばにいてくれなかったというのが、
すごく大きな問題なんですよ。

ぼくは、技術偏重の医療者と
患者や家族が期待していることとが
すれ違いはじめているのではないかと、
そう思うんです。
本田 なるほど。
高山 じつは、医聖ヒポクラテスも
おなじことを言っているんです。
すなわち、医療で一番大切なのはクリニークである、と。
クリニークというのは、
患者の枕元で話を聞くことだそうです。
クリニークはその後クリニックと呼び方が変わって、
それを、明治時代の先人は「臨床」と訳したんです。
すばらしい訳ですよ。
つまり、患者さんのかたわらにいるということなんです。

新型インフルエンザ対策も
原点はクリニークであるべきだと思います。
ひじょうに辛いとき、
医療者へのアクセスラインがあること。
たとえば、
自分の子どものはじめての病気が新型インフルエンザで、
どうしていいかわからない、すごい不安だというお母さん。
電話をかけて、専門家のアドヴァイスを受けられる。
これもクリニークだと思うんです。
あるいは、どこに発熱外来があるかが周知されていて、
そこへ行けばきちんとお医者さんの診察が受けられる。
本田 それがわかっているだけでも、
安心できるということはあるかもしれませんね。
高山 だから、ひとりの医師としてという、
さきほどの質問に答えると、
新型インフルエンザ対策を進めるひとりの臨床医として
わたしが心がけたいと思っているのは、
患者さんに寄り添っている、
それが実感できる医療体制であることが
原則なんだということです。

(おわります)

2009-04-14-MON