ITOI
ダーリンコラム

<好色な娼婦になりたい>

毎年のコマーシャルを総括するような番組があって、
ぼくは毎年春になると、そこにゲストみたいなかたちで
出演していたりするわけですが。
たいてい、ヒットしたCMに登場したタレントさんが、
特別ゲストとして招かれていて、
明石家さんまさんと、楠田枝里子さんに
おもしろインタビューをされる。

そこで、必ず、楠田さんから、
「このCMで苦労したところは?」みたいな質問がされる。
これは、基本的に楠田さんの訊きたいことというよりは、
台本にある「マル必」な質問なのだが、
いつも、ここで同席しているぼくは、困ってしまう。
ゲストは、だいたい、
「待っている間、すっごく寒い所だったので」とか、
「宙づりされている時に、その器具がくい込んで」とか、
「動物が言うこときかなくて何度もNGで」とか、
「商品を何杯も飲んで腹が苦しくなって」とか、
「冬の海に飛び込む場面が、心臓が止まるかと・・・」とか、
それぞれ、もっともらしく答えるのだけれど、
それ・・・・・
苦労でもなんでもないだろう?
と、
そばで聞いているぼくは思ってしまうのだ。
しかし、ぼくも大人だから、
そういうふうに口をはさんだりはしないのだけれど、
いつも、違和感を感じてしまう。

それは、この番組だけのことではないのだ。
たいていの場面で、何度となくくり返されている会話だ。
「はぁ、苦労したんですねぇ」というふうにまとめて、
その人なりその事なりの価値に、
裏付けをつけたようなかたちにおさめる。
こんなに苦労をしているのだから、認められて当然、とか、
華やかに見えるけれど、裏では苦労をしているのよ、とか。
どうして、そんなに
苦労を強調しなければいけないのだろう。

どうも、ぼくには、日本の「価値観」ってやつが、
ゆがんでいるように思えてならないのだ。
いや、「価値観」というよりは、「ギャラ観」かな?
賃金とかギャランティとかが、
苦労に応じてもらえる「我慢料」なんだと、
みんなが考えているのではないかと思うのよ。

苦労賃、我慢料、慰労金。
そういうお金のもらい方だけしか、ない、
わけじゃないだろう?
「働かざるもの食うべからず」・・・と言われてもねぇ。
働くってことが、苦労することとイコールじゃないでしょ。
むろん、働くことには苦しみに似たものが
いつだって付きまといますよ。
でも、苦しみに応じてお金をもらえるって法則はない。
苦しみが価値を生むってことは、ぜんぜんない。

苦しみに応じてお金を支払われるってのは、
奴隷の賃金システムじゃないんだろうか。
「みんな苦しいことや、つらいことを我慢して、
 それで生きているのよ」って考え方は、ウソだよ。
つらさ自慢をしはじめたら、誰だってつらいさ。
苦労が価値なら、冬場にホームレスやってる人は
大金持ちになってもいいくらいだ。

苦労を強調しなくても、仕事を語れるようになりたいなぁ。
真冬にずぶ濡れで泣き叫ぶシーンとか撮影するのって、
ぼくの近所にいる女優さんとか、
「うーれしいんだ、これが」って言ってるもんな。
苦労というよりは、快感があるんだと思うよ。
ぼく自身も、しょっちゅう眠いだの疲れただの、
ぶーぶー文句言ってるけれど、
その我慢に対して拍手をもらいたいとは思っちゃいない。
我慢をひとつもしなくて、価値を生み出せたら、
それが理想に決まってる。

誤解を招く表現かもしれないけれど、
ぼくは「好色な娼婦」になりたいんだ、きっと。



2001-10-29-MON

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