ITOI
ダーリンコラム

<坊主と袈裟の関係>

「坊主憎けりゃ袈裟(けさ)まで憎い」ということばは、
たいていの人が知っているだろう。

Aというものを憎んでいると、
Aに関わるすべてのものが憎らしく感じるってことだよね。

逆に、「あばたもえくぼ」というのもあるね。

こういうことばが残っているのは、
「坊主が憎くても、袈裟を憎むってのはおかしいだろ。
でも、つい憎んじゃうもんなんだよね」という、
人間の矛盾について昔の人が考えたってことだ。
「ほんとは、ちがうんだけど、俺も、そうしちゃうんだ」
という困った立場を、そのまま述べているわけだ。

好きなタレントが登場するCMの商品を、
買いたくなってしまうのも、「坊主・袈裟」の法則だし、
嫌いな人が咳払いするというだけで、
咳払いそのものを気持悪く思えてくるのも、そうだ。

これは、もう、人間やっている以上、治らないね。
切らないで治る痔の薬があるとしても、
「坊主・袈裟」の法則は永遠だろうと思うんだよ。

ただね、問題は、「何が坊主か?」なんだ。
そして、「何が袈裟か?」でもあるんだ。
袈裟だと思いこんでいたものが、
実は坊主の体毛であった、とか。

前々から、「商品それ自体というモノ」の価値よりも、
商品の環境も含めて「商品の価値」なんだと
言ってきたけれど、
坊主それ自体というものが、
どこまでを指し示すのか、簡単にわかるものじゃない。
憎くてたまらない「坊主」というものの正体が、
果たしてあるのだろうかというのが難しい問題なのだ。

ま、仮にある坊主にだまされたとするよ。
その坊主が、大金をだましとったとしよう、仮にね。
で、逃げたのよ。
その時から、あなたはその坊主を憎んだ、と。
その坊主のことを想像すると、腹が立って仕方がない。
あの頭、あのもっともらしい口のきき方、
あのスクーター、あの抹香の匂い、あの袈裟・・・
思い出すだに腹が立つ。
その時以来、あなたは、坊主というものを見るたびに、
むかついている。
あの坊主でなくても、他の坊主でも同罪じゃぁ!と思う。

しかし、坊主頭が、大金をだましとったわけでもなければ、
袈裟が悪いことを考えついたわけでもない。
他の坊主は、あなたから憎まれる筋合いはないのだ。
ほんとうは、ね。
でも、怒り心頭のあなたからしたら、
他のもへちまもあるもんか、世界中の坊主は、
多かれ少なかれ、あの野郎と同じようなことを
企んでいるにちげぇねぇ・・・のである。

このココロを、無理やりに説明するとすれば、
「同じように見えるものは、同じようなものだ」
ということになる。
好きこのんで坊主頭にして、袈裟を着て、
同じようなお経を読んでいるやつらは、
同じような心根を持っているにちがいないというわけだ。
なるほど、とも思えるよなぁ。
クマも、同じように怖いもんな。
人間に危害を加えないクマ、なんかを
わざわざ探し出すよりも、
クマに見えるものは怖いと決めたほうが安心だ。
一度クマに噛みつかれた人が、
「あのクマとはちがうから」とか言って、
別のクマによろこんで近づくとは思えないものな。
そりゃそうだろうとも思うのよ、こういう考えって。

でも、やっぱり、袈裟はあなたに悪いことをしていない。
あの坊主以外の坊主を憎む筋合いはない。
さらに、あの坊主にも、いいところはあったりもする。
あなたをだますためにでなく、
仲良く語り合ったこともあるだろうし、
どこかの土産のかまぼこかなんかをもらったこともある。
そうなってくると、ほんとうに困る。
あなたは、何を憎んでいたのか、
ちゃんと言えるだろうか?

いろんなインターネットの掲示板を見ていると、
相手のことを知らないままに悪罵を投げつけあったり、
言葉尻をとらえて追いつめたり、
険悪になっていることがよくある。
ある袈裟の色が嫌いだという理由で、
その坊主を憎むというようなけっこう粗暴な感情で、
その場を戦乱状態にしていることがある。
大仁田のプロレスを観るような意味では、
おもしろいのかもしれないけれど、
あの荒涼とした場は、誰のためにもならないように思う。

ただ、こういう荒れ方というのは、
インターネット独自の暗黒面ではなく、
先に生まれた人々がつくってきたものだという気がする。
政治家や、成功者たちには、
スキャンダル攻撃がいつも仕掛けられるし、
嫉妬を元にした悪意の報道や、
売れるためならという理由でのウソや誇張が、
インターネット以前のメディアのなかに渦巻いていたことを
忘れていてはいけないと思う。
そのかたちの、幼稚の踏襲が、
インターネットのなかで行われているのだと、ぼくは思う。

どこまでがその坊主で、何が袈裟なのか。
いい袈裟をまとったいい坊主がいたら、
それはそれで、なかなか様子のいいものだろうし、
袈裟を脱いで在家になった坊主は、もう坊主とは呼べない。

イメージというのは生き物のように、
日々刻々と動いている。
いま現在の、あなたとそのこととの関係のなかで、
ほんとうは憎いとか好きだとかは決まるはずだ。

糸井重里を嫌いな方も、「ほぼ日」をよろしくね。
って、こういうまとめ方は、雑だな。

なんか、うまく書けなかったけれど、
また、考えます。ちょっと分散しちゃったなぁ。

2000-09-11-MON

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