ITOI
ダーリンコラム

<制度と平準化の関係>


へへへ。難しそうなタイトルを付けてるってことは、
手を抜こうっていう了見だよ、きっと。
自分にはバレバレなんだぜ。

てゆーかー、歯の「手術」が本格的なものだったんです。
歯の根が、縦に割れていたらしいんだね。
3年間くらい、割れたままになっていて、
その部分が歯茎をずっと刺激していて、
疲れたりすると痛むって状態だったらしいっす。
で、その周辺の歯茎を切開して割れた根を取り出して、
縫合して・・・という話聞いてるだけで
怖くなっちゃうような手術を、土曜日にやったのよ。
痛み止めの薬と、化膿止めの薬と、胃薬を、
定期的に飲んでいると、胃のあたりがどんよりするし、
だるいし、眠くなるし、しくしく痛むしって状態で、
キレのいい原稿を書いたりする覇気がないのよ。
しかも、なんだかヘンだなぁと熱を計ったら
7度3分あるじゃないか。
風邪も、やっぱりひいていたんだろうね。

先週は、妙に毎日がナーバスになっていてさ。
なんだか読者に向かって怒りの返信なんかを
数通も出していたよ。
馬鹿だよなぁとも思うんだけどさ。
オレは公僕じゃないし天使でもないって気持で、
限度を超えた失礼に腹が立ってくるんだよな。
前にもちょっと書いたけれど、
こちらにも人間がいて、うろたえたり
滑ったり転んだりしながら「ほぼ日」を
よろよろ出しているっていう
想像力が、ないんだろうね。
なんか、自分のほうは弱い立場にいて、
相手のぼくらは強い立場にいて、
弱い側の者は、強い立場のものに何を言ってもいいんだと
考えているのかなぁ。
・・・それって、「テロリズム」じゃないの。

しかし、そういう不機嫌の原因ってのは、
だいたいが、内臓関係の体調不良なんだ。
それは知ってるんだ。

だいたい、ごく一部の人間に向けてでも、
書く文章に怒りが入っちゃうと、
大多数の善き人々を不快にさせちゃうんで、
できるだけやめようとは思っているんだけどねー。
ただただご機嫌な、なにを言われてもにこにこしてる人、
なんているはずもないわけでさ。
選挙に立候補するわけでもないのだから、
全員に気に入られますようになんて姿勢では
いられるもんじゃないし。
苦労たえないよ、病弱の身には。

と、ほとんどの読者に関係のないグチを言いましたが、
難しそうに見せた本題に入ります。

世の中には、論点としては見えにくい「制度」の
問題が、実はたくさんあるわけでして。
これは、ある種、風が吹けば桶屋が儲かる的な、
不思議な影響を持つんですね。

例えば、税金の制度ですが、
ちょっと儲かっちゃった人々が、
どうしてクルマを買うかというのも、
税制のおかげだと言えるわけです。
クルマは、事業をするにあたっての必要経費ですからね。
ただの買い物ではないのです。
仕事に使うものとして、
「仕事道具」と認められてるからこそ、
みんなちょっと儲かっちゃった人とかクルマを買う。
服とかとは意味が違うわけです。
服は、仕事の道具じゃないんですね。

仕事の服として認められるのは、
「そりゃぁ、あんた普段に着るのは無理だべ」と、
誰が見てもわかるような、とんでもない衣装だけです。
たぶん、ですけど、小林幸子さんのあの有名な
衣装のシリーズなどは、税制的には
「仕事の材料」として認められているんだと思いますよ。

しかーし、
なぜこの服装を選んだかという「美意識」なりセンスは、
人気商売の人たちにとって、
かなり大きな要素だと思うわけです。
大げさに言えば、その人の「世界観」に触れるような
重大な部分が、服装であるとさえ言えるわけです。
だから、「普段着に着るのは無理だべ」な服で
タレントイメージを創る人も、いてもいいんだけれど、
なんでもなさそうに見える服装で、
「あの人、いいじゃない?」と思ってもらうってのも、
大きな仕事の一部分なんだと思うんですよ。

でも、普段っぽい服は、税金の控除の対象にはならない。

ここで、みんな思うでしょ。
「だけど、売れる前のお笑い系タレントでも、
けっこうしゃれた服とか着てるじゃないか。
あれは、経費じゃなく自前でじゃんじゃん買ってるの?」
と、ね。
ちがうんですよねー。
そういうのは、だいたい、借りた服なんですよ。
ファッション企業からのタイアップで借りたのもあるし、
買ったものもあるでしょうけれど、
だいたいは、「スタイリスト」という専門の
衣装係が「仕事」として探してきてくれて、
それを「仕事場というテレビなどの場」で、
その場だけ着て、タレントの人たちは登場するわけ。

いったん、スタイリストに、
「このタレントの衣装を考えて集めてくれる仕事」
というカタチで、仕事を発注すれば、
「普段着にも着られるような衣装」というものも、
仕事の衣装として成立するというわけだ。
番組やテレビ局から衣装費として予算化されることもあるし
タレント事務所から、契約したスタイリストに
衣装用経費として支払われることもあるだろう。
この仕組みのおかげで、
小林幸子風でない衣装も、
仕事に必要なものなんだということが、
認められるシステムができていった。
服装も表現なんだよ、ということが、
旧い制度をこえて事実上認められた、とも言える。

しかし、次の問題がでてくる。
ほとんどのタレントの着ている服が、
実はスタイリストという「専門家」の探してきた
「お仕着せ」なのだということだ。
つまり、
「あの人、ああいう服を選んでいるところも素敵」と
思って好きになったタレントの世界観は、
実は彼や彼女のセンスに関わりなく、
「お仕着せ」であるというようなことが、
いくらでもありうるというわけなのだ。
こうして、「かっこよさ」は、専門家の選んだ
間違いのないものばかりになっていき、
次第に「平準化」されていくのだ。

そして、タレントの着ている服をまねる
人々がたくさんいれば、タレントの仕事をしている
「スタイリスト」が流行をつくることも可能である。
かくして、ファッションは、
一人一人の人間の創造的なたのしみから、
ますます遠ざかって、
仕掛けられては消えていくものになっていく。
大事にするべきと言われている個性が、
育つには、ほど遠い状況が、どこまでも続いていく。

じゃ、どうすればいいと思う?
と、きかれても、ぼくにもわからない。
だけど、こういう現象も、
もともとは税金の制度から
はじまったのではないかと思うと、
制度と文化の関係ってのも、なかなか馬鹿にならない
大きなものなんだよなぁと思ったりする。

ま、最初の宣言どおり
たいしたことじゃなかったでしょ。

でもね、こういうことの延長線上には、
大統領の気の利いた発言を考え出す職業の人とか、
本人に成り代わって本人の世界を創っている人々の
仕事がどんどん増えて行くんだろうなぁとか、
広げて考えていくと、
けっこういろいろおもしろいんだよね。

2000-07-17-MON

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