ITOI
ダーリンコラム

<横尾忠則先生の授業>

今回は、また整理しきれてないことを書きます。
自分のメモがわりに書くものなので、
読む人には迷惑かもしれませんが、
なにかのヒントにもなりそうなので、
がまんして読んでくれてもいいかな、とも思います。

NHKの「課外授業・ようこそ先輩」という番組で、
横尾忠則さんが故郷の小学校のこどもたちに、
絵の授業をしているのを見た。

おなじ番組で、ぼくは、
人生のなかで指折り数えるほどの疲れを感じて、
敗残兵のように東京に帰ってきたのだけれど、
横尾さんは、「楽しかったから、疲れなかった」と、
いつものこどもっぽさの残る表情で語っていた。
生徒のこどもたちも、
「もっとやっていたかった」とか、
「絵が好きになった」とか感想を述べていた。
素晴らしいことだ。

むろん、教えるテーマのちがいやらなにやら、
いろんな条件のちがいはあるのだろうが、
そういうことじゃなく、
横尾さんが自然に持っていて、
ぼくが持っていないものを見せてくれたと思った。

遡って、ぼくの課外授業のことをちょっと言う。
ぼくは、ことばの授業をしたはずだった。
詩を、かたちにとらわれずに自由に作れるように
なってもらえたらいいなと思って、
考えを組み立て、なんとかわかってもらおうと、
なんだか必死にこどもたちに対面していた。

点数をつけたら何点になったかは知らないけれど、
ともかく授業を終えて、
ぼくは、教室の黒板の上に掲示されている
大きな文字の詩を見た。
谷川俊太郎さんの、詩がそこにあった。
卒業をモチーフにした、ちょっとお茶目な、
たのしそうな詩だった。
自由に巣立っていくひな鳥を描写するように、
卒業という公の「行事」をからかうように、
巣立ちの気持ち良さを描いていた。
「だけど」と、ぼくは読みながら思った。

谷川さんには失礼だけれど、
この教室に貼ってあるこの詩を、
いいなぁと思うのは、生徒たちではなくて、
これを掲示した先生の方なのではなかったか。
失礼千万なのだけれど、
『谷川さん、この詩、こどもの耳に届くように
書いてあるけれど、先生に選ばれるだけですよ。
こどもには、この詩の意志は届かないと、ぼくは思う』
というようなことを考えた。
その考えは、こどものなかから生まれるものではない、
というふうに思えたのだ。

ぼくは、まるで、そこにいない谷川俊太郎と
無理心中するように、虚しさの濁流に飛び込んだ。
失礼だよなぁ、まったく。
でも、ほんとにそう思ったのだから、正直に書く。

おとなのことばの岸に、おとなのことばを投げ込むと、
反応が返ってくる。
こどものことばの岸に投げることばは、
卒業のことを書いた谷川さんのものでも、届かない。
もっと他の谷川さんの詩で、
こどものことばの岸に届くものは、きっと
いくつもあるのだろうけれど、
あの詩は届かないだろうと、ぼくは生意気にも思った。
もうしわけないです、谷川さん。

ぼくの授業の評判は、そんなに悪くもなく、
観たという人から、おほめのことばもたくさん頂戴したが、
ほんとうのことを言って、ぼくの気持ちは、
いつまでも晴れなかった。

最後に(しなくてもよかったのだろうが)
こどもたちに詩を書いてもらう、ということをして、
授業の仕上げをするという段取りがあった。
そこで、いままでなら、なんのことなく、
ことばをちょうどよく並べて詩を書いていたはずの
こどもが、「書けなくなってしまった」。
それを、ある意味で授業の成功ととらえる人もいた。
書けなくなったことが成功、というのは、
やっぱり、なんだかおかしいと思う。

横尾さんの授業を終えたこどもたちは、
みんなが絵が描けるようになったよろこびを語っていた。
それを目にして、やっぱり、ぼくの方法は
とてもまちがっていたか、下手だったのだとわかった。

やっぱり、ぼくの方法は、
こどもたちと対面していたのだと、気がついた。
ぼくのやり方は、たんぼに稲の苗を植えるように、
こどもたちのこころに、ぼくの考えを移植したのだ。

ところが、横尾さんは、
横尾さんの考えを植え付けるのではなく、
こどもたちのなかに始めから存在していた芽に、
太陽が照りつけたり雨が降ったりするようにと、
自然の力を信じて、見守っていただけなのだ。
必ず、勝手に育っていくものだと、
信じている人の育て方だったと思うのだ。

きっと、ぼくは、
苦しみながら学ぶ時代が長かった人間なのだろう。
楽しいとか、うれしいとか言いながらも、
向上心とか、負けず嫌いな気持ちを利用して、
いろんなことを学んできたのだと思う。
たぶん、横尾さんにとっての絵を描くことは、
そういうものではなかったのだろう。

ぼくのコミュニケーション論の基礎になっているのは、
「ディスコミュニケーション」である。
通じっこない人間どうしが、どうやったら、
ましなコミュニケーションができるかを研究したり、
工夫したりするというのが、
ぼくの哀しい「交通論」ではあるのだけれど、
それでいいことと、悪いことと、どっちもある。

不通からスタートする交通論ってのは、
実は、愛されなれてない人間の発明なのかもしれないと、
ちょいと自分を客観視してみたりして。
甘え方が下手な人間のコミュニケーション論というのは、
たぶん、豊かさに欠けます。
おそらく、ちょっと前に語りかけていた
「通俗」への興味も、そのあたりに関係あるのでしょう。

また、根底から考えるチャンスができて、
うれしい気持ちもあります。
いずれ、ぼくは学校を開こうと思っているのですが、
美術の「横尾忠則先生」は、もう、絶対に
参加してもらおうと思いました。

あ、ついでに言っておきますが、
この頃、「えろうなったのう」だとか、
この「ダーリンコラム」だとか読んで、
このおっさん落ち込んでるんじゃないかと、
想像している方がけっこういるんですけど、
そうじゃないんです。
じっくり考えたい時期ってのは、
羽抜け替わり中のペンギンみたいなもんで、
けっこう見た目には寒いんですけど、大丈夫なんですよ。

ほんとに書きっぱなしでした。
見直しもせずに、掲載してしまいましょう。

2001-04-10-TUE

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