ITOI
ダーリンコラム

<イワシやサバの諸君>

「腐っても鯛」という。
これは本当だろうか?

『ハート オブ ゴールド』という
ぼくの好きなニール・ヤングの曲があった。
ま、金のように錆びない心、みたいな訳をイメージして、
「そうだそうだ」と若い人だったぼくは、頷いていた。

「腐っても鯛」も、そんなふうに思っていたわけよ。
言葉ってすごいなあ、とあらためて思うんだけど、
この「腐っても鯛」っていう言葉を知らなかったら、
鯛だと思われていた人たちに対する見方が、
きっと違っていただろうと思うのだ。

しかし、もうこんないい年になって、
ハッと気がついたのだ。
「腐ったら、鯛もゴミだ」と。

鯛だと思われている人が、
自分でも自分のことを鯛だと思っていたら、
きっと「腐っても鯛」だと、
いつまでも自信を持っているにちがいない。

しかし、腐りかけた鯛よりうまい鯖を、
その人たちは認めなければいけなかろう。
「鯛であること」は、ほんとうは意味を持っていない。
いくら、「キミたち、イワシはねぇ・・・」と
尊大に振る舞ったところで、
言われている新鮮な鰯は、平気である。

ぼくは、「腐っても鯛」という言葉を、
なんとなく憶えていたために、
鯛の奥深いすごさをじっと見つめなくてはイケナイと、
ずっと考えてきたもんだ。
何かあるのだろう、きっとすごいのだろう、
奥の奥には隠れているものがあるのだろう、と。

しかし、そういうものは、ない。
と、考えを改めようと思う。
年をとってもすごいなぁと思える人たちも、
実はいっぱいいて。
でも、その人たちは、
鯛としてなんか生きてないもの。
大衆魚というか、鯵や鯖や鰯として、
泳ぎまくって経験を積んできているもの。
邱永漢さんや吉本隆明さんは、
鯛だったことはないし、背びれや尾びれが
取れかかっていたって自分で海を泳いでいる。
そういう人たちは、きっと、
「鯛も腐ったらゴミになる」と言っても、
そりゃそうでしょうと、当たり前のように言うだろう。

腐った鯛は、「ほんとは俺は鯛だし、すごいのよ」と、
いつも言いたくて、
過去の平目と舞い踊った竜宮城の思い出なんかを語る。
だけど、いまのあなたはゴミですがな。

いやいや、誰かのことを当てこすってるんじゃないですよ。
世の中ぜーーーーんたいのこと。
例えば、銀行のことと考えてもいいし、
偉そうなおっさんのことを想像してもいいし、
かなわないなぁと思っている取引先のことを考えても、
大学教授のことを想像しても、いいわけですよ。

いまを生きて、自分の力で泳いでいる魚は、
やっぱり腐らないんだよなぁ。
鯛じゃなくても、鰯でも鯖でもいいんだよなぁ。
100キロ先で寝ている鯛を、
毎日100メートルずつ前に進んでいる鰯が追い越すのに、
1000日しかかからないのさ。
3年以内に、鰯は鯛の眠っているところを追い越す。
まるで「ウサギとカメ」の教訓みたいだけれど、
止まっていることと、動いていることの違いって、
こんなに大きいっていうことだよね。

「腐っても鯛」は、ウソだ。
止まってる鯛は腐る。
鯛が腐ったら、ただのゴミだ。

つまんない例だけどさ、野球チームなんかで、
OBの言うことを聞くなっていうじゃない。
あれも、こういうことなんだろうね。

全世界のイワシ諸君。
生きて毎日なんかやるって、すっごいことだぞー。

2001-04-02-MON

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