ITOI
ダーリンコラム

<自分の都合>

またまた乱暴な思いつきを、
書くだけ書いてみようと思う。

「可処分時間」について考えていた時間の
副産物みたいなものだ。

電気洗濯機が登場したときに、
洗濯の手間から主婦が解放されて、
「自分の時間」が生み出された、という考え方がある。

同じように、自動車の性能が向上していくと、
速度が増していって、早く目的地に着いたりする。
ここでも、「自分の時間」が生み出さされている。
新幹線のことなど考えると、
もっとわかりやすいかもしれない。
新幹線登場以来、ぼくら乗客は、何十年かけて、
約1時間も、「自分の時間」を得ることができた。

書いていて、ちょっとヘンだと思う。
その時間ってやつを、
ぼくらは「ちょっとしかもらえてない」わりには、
関係者のずいぶん長い時間が、
そのちょっとのために費やされている。

また、考えを極端にしてみるというぼくの方法を、
ここに持ってきてみよう。

「洗濯にかかる時間を0にする洗濯機があれば、
そいつは理想の洗濯機である」と、言えるよね?
そういうものは、ないか?
あるんだなぁ、これが。
洗濯屋さんという「システム」が、その洗濯機だ。
機械のかたちはしてないけれど、
お金を払いさえすれば、ぼくらは洗濯にかかる時間を、
ほんとうに0にすることができる。

用事があって遠くに行かねばならない人には、
「そのための人を雇う」という方法があれば、
目的を達成できて、そのために使う自分の時間を
0にすることができる。
新幹線や自動車がどう改良されようが、
これにはかなわないだろう。

思えば、インターネットというものも、
ある意味では、通信の時間を0にするための道具として、
さかんに用いられているわけだ。

ここから乱暴しちゃうんだけどさ、
こういう必要な時間を0にしたがる発明とか開発って、
みんなアメリカが先頭に立ってやってるよねぇ?

たぶん、時間ばかりでなく、空間も、
限りなく0にしていこうとしてるんじゃないかな、
アメリカ流ってやつは。
なんでも隣にあればいいのに、ってな考え方。

ヨーロッパだって、アジアだって同じだよ、と
言われるかもしれないけれど、
んなこたないでしょう?
時間とか空間とかを限りなく「なくす」方向に
世界を進めている巨大な勢力ってば、アメリカでしょう。

書き出しでは、そういうテーマだとは
夢にも思わなかったでしょうけれど、
今回言いたかったのは、
じゃ、なんでアメリカは、時間と空間を0にしたがるのか?
ってことを考えてみたわけです。
こっちが本題なのよ。

それは、おそらく、アメリカという国ができたとき、
「時間」と「空間」という、
『世界をかたちづくるための資源』が、
アメリカにはなかったからだと思うんだよね。

神話もなければ、苔も古びた煉瓦もない。
わけのわからないくらい有り難い寺院もなくて、
発生さえ疑わしいような信仰もない。
アメリカには、つまり歴史という、
「現在を生み出す材料」がなかったわけだ。

さて、自分たちに、そういう材料、資源がないときに、
「がんばんべー」と、レースをやっていくためには、
どうしたらいいか?
「ちがう方法で勝つどー!」と開き直ることだよね。
つまり、ホームランバッターのいないチームが、
足を使ったり、作戦を緻密に立てたりして戦うように、
「ないもの」に依存するのでない試合を、
やっていく必要があったのだと思うんだよね。

アメリカという若者のセリフを、
寓話的に作ってみれば、こんな感じかな。
『歴史なんて俺たちには、ないよ。
だって、いまここから始まるしかないんだから。
しかし、歴史ってなんだい?
ただの時間の積み重ねじゃないか。
時間を積み重ねてきて、人間は何を得たんだ?
できたのは、俺たちにとって居心地の悪い、
階級的で差別的な社会だったんじゃないかい。
伝統、歴史・・・そんなものを大事にしてるやつらは、
この大陸に渡ってくる勇気も必然性もない人間たちさ。

くそくらえ、時間!
そんなものは、なんの価値もない。
くろくらえ、空間!
俺たちは、どの場所でも自由に行き来できるんだ』
なんか、臭いセリフだなぁ、ま、いいか。

つまり、新しくアメリカという新世界を舞台にして、
世界(親としてのヨーロッパ)と勝負していく若者は、
大切なものと考えられていた「時間」というものを、
相対的に「ろくでもない、なくすべきもの」の位置にまで
引き下げていくことで、
自分たちの新しい歴史を生み出していったのだ。

思えば、この国も、「自分の土俵」を、発明したわけさ。
時間と空間を、限りなく0にしていくという、
ぼくらの「当然のように考えられてきた目的」は、
アメリカが勝つための相撲の取り口だというわけだ。

勝ち負けがからむと、どういうルールで戦うかが、
とても大事になってくる。
みんな自分のいちばん戦いやすく勝ちやすいルールで、
試合をしようと考える。
「速いこと」「近いこと」を軸にした価値観は、
アメリカの都合で生まれたものなんじゃないかね。

「アメリカは後発の文化だから、
負ける試合をしないように、
時間と空間の相対的な価値を下げていった」
というふうにまとめられそうだ。

いまの時代は、かなり長いこと
アメリカのイニシアティブで動いてきたから、
時間と空間を0にするための工夫や発明が、
大きな価値を生み出すしくみになっている。

だけど、そういう価値観のもとで、
「アメリカ流」が稼ぎ出した金は、
「時間がかかっていて簡単に同じものがつくれない」ような
ブランドや、芸術や、伝統やらを買うために
たっぷり使われるようになっているのではないか。

インターネットという、多分にアメリカ的は道具に、
毎日触れているぼくらは、
おそらく、「どうしようもない時間」や、
「どうにもならない空間」を無くそうと努力するのでなく、
そっちにこそ、「ぼくらの都合」があるのではないかと、
信仰のように思っているほうがいいような気がする。


ま、みんな、「自分の都合」でいろんなことを
考えたり実行したりするものですね。

2001-03-05-MON

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