ITOI
ダーリンコラム

<英語が自由自在にしゃべれる>

英語をしゃべれたり読めたりしないと、
いろんなところで、壁にぶちあたる。
毎年、正月の休暇旅行から帰ったときに、
「今年は、英語だな」と、小さく決意する。

ま、その後、何をやるということもなく来年を迎える。
この繰り返しである。
ぼくのライフワークとは、
「糸井重里でも英語がしゃべれるようになった!」
というキャッチフレーズの英会話教材の開発なのだ。
これは、ぼくがキャラクターで登場する予定である。
販売促進用のビデオ教材なんかも作るのよ。

「みなさん、こんにちは。
いま、ぼくが英語をぺらぺらしゃべるのを聞いていて、
どうせ吹き替えだろうと思っているのではありませんか?」
と、いやらしく英語で語りかけるのである。

「ごぞんじだったかどうか知りませんが、
ぼくは、海外に出るたびに
『無口な中年』を演じていました。
しゃべれないけれど悪いやつでもなさそうだ、という印象が
ぼくのできる精一杯の演技だったのです」
なんて続けるのだ。えっへっへ。英語でだよ。

これは、いつかやるからね!!!!!!!!
(ゆーないとさん並みの!!の連発)
「ほぼ日」だって、その教材を売り出すために発刊したんだ
という冗談を、ほんとにしてやるかんね!!!!!!
95歳になる前には実現してみせる。
文部省(っても、もうないんだっけ?)の推薦を
取り付けるために「インパク」だって引き受けた
という冗談を、ほんとにしてやるかんね!!!!!!!
なんつったって、1億セット売れる商品だからね。
しかも「渇ききった市場」はすでにあるんだもん。
そこに「ほんとに効果のある商品」があれば、
リバイス・ストラウスばりの夢が描けるわけだよ。

だけど、まだ、なのよ。
いつか、やってやる、と思ってるだけでさ。
だいたい、ぼく自身がしゃべれるようになってないと、
コマーシャルもできないでしょ。
超実証型のCMに出演するわけだからさ。

ま、それはそれとして、だよ。
ちょっと、この野望にい1ミリくらい近づくような、
大発見をしたんだよね。
すっかりお話かわるけどさ。

コアな「ほぼ日」ファンなら気づいてるでしょうが、
いま、うちのまわりって、
九州弁ブームなんだよね。
「なんばしょっとるとですか」みたいな。
鳥越さんが『あのくさこればい』の連載を開始したころ
そのタネは蒔かれたんだと思うんだけど。
いろんなことが重なりあって、とにかく
博多弁、鹿児島弁、熊本弁、長崎弁、宮崎弁、
そして、大分弁に佐賀弁ね。
なーんか、マネしたくなるもんで、
かなり無理して練習しているわけですよ。

先日も、メリー木村と金沢に行ってきたんだけれど、
その旅の間、ふたりで共同研究をしていてさ。
「このお菓子、食べますか」とか一方が言うと、
「こんお菓子ば食べるとですか? でいいのかな」と、
すぐに九州翻訳しては相手に確かめるようなことを
していたわけですよ。
「助詞の『を』が、つまり『ば』になるわけだよな」
というようなことから、
「外を見たらあめが降ってたよ。
これを九州弁に翻訳しよう」
「えーと、えーと。外ば見とったら雨降っとったですよ」
「そうかなぁ、それでいいのかなぁ」てな調子でさ、
激しいエクササイズをやっていたのだ。
苦しいのは、正解がわからなかったってことだけどね。
こげな原稿書いとる時も、九州弁とこで
タイピングがとまっちょりますもんね。

とにかく、相手はひとりだけだけれど、
会話をできるかぎり九州にしようと努力していたのさ。
その夜の講演も、
「こげなおおぜいの皆さんを前に・・・・」とか
話し始めようと思ったくらいなんだもん。
間違ってもいいから、とにかくしゃべる、ということを
ずっとやっているうちに、
そうか、と気が付いた。
このくらいの気持で英会話の練習をしたら、
すごい速度で英語がしゃべれるようになるぞ、とね。

九州弁の練習ならこんなに積極的なのに、
英語になると口が重くなるのはなぜなんだろう、と、
そのあとに考えてみた。
「九州弁の練習は、まちがっても恥ずかしくない。
まちがった部分に気づいて直すためにも、
もっとたくさんしゃべろうと思う。
しかし、英語の場合は、客観的な正解を知っている人が
あたりにたくさんいるような気がして、
自分だけがまちがった人間のように思われるのがコワイ。
まちがわないためにはしゃべらないこった、と、
無口になってしまうのかもしれない」
知らず知らずのうちに、
英語をしゃべれる人間が高等で、
しゃべれない人間が下等であるという価値観を
植え付けられているのではあるまいか。
だってさ、10歳くらいの小学生に英語で話しかけられて、
意味が分からなかったら、
自分のほうが劣っているような気になっちゃうんだもん。
これは、ぼくだけの傾向じゃないような気がする。

それと、九州弁を練習している時って、
「あそび」としてやっているんだよね。
あそびだから、転んだり失敗したりも楽しいわけだよ。
英語の時は、「あそび」じゃないんだよなぁ。
そこもおおいにちがうね。

そういえば、ここに例として九州弁を書こうと思っても、
いつもの調子で書けないものなぁ。
まちがったらイヤなんだろうね、書くときには。
「まちごうたら、恥ばかきますけんね」って感じ?

あそびとしての「語学」って考え方を、
もっと身にしみこませたら、ぼくだって
急速に英会話ができるようになると思いはじめたわけよ。
どんどんしゃべる、しゃべってまちがう。
まちがいを直す。直したら、それを利用してしゃべる。
海外で外国語を身につけた人たちって、
みんな無意識にこれをやっていたんだと思うんだ。
その国に恋人をつくれば会話は身に付くってのも、
この理屈だということでしょ。

ってことは、さ。
ぼくは、もっと九州弁をマスターするために、
どんどん九州弁あそびを続けた方がいいんだよね。
だって、いまの時点でも、
「オレたち、単語の数が徹底的に足りないな。
あと、慣用句をもっと知らないと
応用ができないから、言えることが限られてきてるな」
なんてことまでは気が付いてきてるもん。

まず、九州弁をもっと練習して、
ラングエッジを憶えて使うあそびを、たのしむ。
その過程で、どういうところでつまずくかについて、
そのつどチェックして、それを憶えていく。
そして、このメソッドをそのまま英語に応用する。
こういう計画が見えてきたわけですばい。

そういえば、ぼくは「釣り」を憶えるときでも、
これと似たような方法で、疑問と実践をくりかえして、
本を一冊まとめたくらいのまじめな人だもんね。
やればできるんじゃないかという気がしてきたよ。
自分を実験台にするってのは、
ぼくのいちばん好きな遊び方だから、ね。

じゃ、エブリバディ、九州弁ばモアモアスピークして、
みんなをサープライズさせるごたる日が来ちゃるこつ
エクササイズなプレイに邁進しますけんね。
なんかまちごうとるくさ?

2001-01-29-MON

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