ITOI
ダーリンコラム

<「よかれと思って」がねぇ‥‥。>

「よかれと思って」というのが、あぶないんだよねぇ。
「よかれと思って」ってのは、
善意っていうか、優しさっていうか、
いいことを付け加えているわけだからさ。
される側も、断りにくいんだよね。

小さいことで言うとさ、
屋台のソース焼きそばに、もやしを入れるというケースね。
キャベツと焼きそば、それだけでいいんだよね、ほんとは。
仕上げに紅しょうがと青のりをトッピングして、完成。
だけど、そこに一工夫して、栄養なども考えて、
「よかれと思って」もやしを入れちゃう人がいるんだねー。

いやいや、そのもやしを
「たいそう気に入りました」っていう人もいると思うよ。
いることはいると思うんだけどさ、
あたしは入れないでほしいというほうだね。

期待があるわけさ、ソース焼きそばを食うときには、
ソース焼きそばを食うときなりの。
その期待を上回ろうと思って、もやしが行くんだね。
上回ろうとしたら、下回っちゃうことが多いよねー。

トイレットペーパーの使い終えた切り口を、
三角にたたんでおくのも、
「よかれと思って」することなんだろうね。
これはこれで「ああ気の利く人だな」と、
思われる場合もあるだろう。
次の人が取り出しやすいとかね、
「気配り」みたいなものを感じるんだろうね。
でも、「俺の前の誰かが触っていきやがった」と
機嫌を悪くする人もいるわけだ。
ちなみに、あたしはどっちでもいいと思ってるほう。

自分で、自分に「よかれと思って」することも、
困ったことになる場合があるねー。
旅行の荷物ね。
あれも必要、これも要る、これもあったら便利、
それがなかったら大変大変‥‥とばかりにパッキングして、
重いし、でかいし、使いやしないし。

長々しい説教なんかも、
もともとは「よかれと思って」していることなんだろうな。
あんたのことが心配だから言うんだ、ってね。
少なめに済ませることができなくなっちゃったりするよね。

ニュースなんかで事件として取りあげられてる、
凄惨なリンチなんかでも、
悪い心だけでやるものは、そう多くないと想像するね。
「いじめたいから、いじめてやれ」というリンチには、
逆に限度があるような気がするんだよね。
「ちょっといじめていたら、反抗的な目でにらんだぞ!」
というような場合は、
相手が反抗的でナマイキだからさらに殴った、とかさ、
こっちには非がないみたいなリクツがついてるもんだ。

ひっどい話なんだけどさ。
「やられてる側にも、やられる理由がある」
というリクツは、リンチしてる側が、
社会秩序を守る側に立ってるみたいに思ってるわけだ。

こないだのボクシングの子のことなんかだと、
怒ってもいい内藤選手の怒りを超えて怒るのも、
「よかれと思って」なんだろうね。
なんに対しての「よかれ」なんだか、わかんないけどさ。
「怒るのは内藤以内にしよう」なんて、
新聞の見出しに書いてあったらかっこいいんだけどね。

「こういうのを許しておいたら、
 社会が成り立たなくなっちゃうでしょう!」
というのも、「よかれと思って」言ってるんだろうなぁ。
こうなるとね、
ソース焼きそばのもやしのレベルじゃないからね。
粛清とか、断罪とか、抹殺とか、始末とか‥‥みんな
元は「よかれと思って」のはずなんだよなぁ。

国家への反逆、利己主義、非国民、裏切り者。
そんなふうに名付けられたら、あとはもう、
天罰でもなんでも受けるか、
謝罪して反省していかにもおとなしく生きるしかない。
「そんな時代もあったんだ?」ってさ、
びっくりされちゃうかもしれないけれど、
いまだって、それのソフトなことは
いくらでも行われているじゃない。

「よかれと思って」って、
「やらないほうがいいかな?」というフィルターを、
いったん通してからやったほうがいいと思うんだよなぁ。
そりゃ、さ、ソース焼きそばのもやしからはじまって、
恋愛相談やら仲人やらリンチやら国際紛争に至るまで、
「よかれと思って」の功罪は、
罪のほうがだいぶん多いような気がするんだよね。

「過ぎたるは及ばざるがごとし」というけれど、
及ばざるくらいだったら、まぁ、いいほうだよね。
過ぎたるが、いろんなものを破壊するからさ。

「足らざるは、過ぎたるよりずっとマシ」くらいに、
足らざるのほうを重くみておいたほうがよさそうだよ。

それなりに、長いこと「ほぼ日」をやってきていて、
ああ失敗したなぁと反省することは、
たいてい誰かが「よかれと思って」やったことなんだよね。

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2007-11-05-MON
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