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ダーリンコラム

<まぶたの裏メモと「ほぼ日手帳」

3月、本格的には4月はじまりの「ほぼ日手帳」も、
「ほぼ日」での販売は、終わりまして。
まだ、全国のロフトで売ってますなどと、
案内をしているような昨今であります。
ちょっと落ち着いたところで、
あらためて、この「ほぼ日手帳」について、
書いてみたくなったのでした。
また、例の「おじさん」に登場してもらって、
しゃべってもらうことにしました。

「ほぼ日手帳」は、便利だよ。
いまさら言うのもヘンだけど、便利だ。

これは、ちょっとした秘密でもあるんだけどね、
「便利だ」と思えば思うほど便利になるんだよな。

どしてかというと、使う機会が増えるからさ。
使う機会が増えるとさ、
あとで必要になるメモも、増えるんだよ。

これは、親しいともだちみたいなもんでさ、
「いいやつだな」と思うと、頼りにもするじゃない?
頼りにされたともだちのほうも、
「なんとかしてやろう」とがんばるわけだよな。
そうすると、また「いいやつだな」と思うだろ。
そういうのと同じことだよ。

だから「ほぼ日手帳」も、どんどん使ったほうが、
どんどん頼りになるやつに、なっていくんだよな。

「だったら、他の手帳でも同じですか?」なんて、
余計なことを訊いてくるやつがいそうだね。
答えて差しあげましょう、同じです。

問題は、つきあいたいかどうかだけだと思うんだよ。
書き込むスペースが、少しだけの手帳っていうのは、
「用件だけを聞いてくれる同僚」みたいなものだな。
スケジュールだとか、誰と会っただとか、
「記録すべきことだけを聞いてくれる人」だ。
こういう人のほうがいい、という場合もあるだろう。
そういう人は、おそらく小さくて軽い手帳を使うよな。
そして、それを使っているうちに、
「便利だなぁ」って、思ってくることだろうよ。
それでいいのだ。そういうことなのだ。

「ほぼ日手帳」が1日1ページのスペースを
とっているということはさ、
「いっぱい聞いてくれるともだち」みたいなものだよな。
仕事のことも含めて、なんでも、
いつでも「聞く耳」がここにあるってことだ。
食べた料理の感想まで書いておいて、何になる?
と思うかもしれないけれど、
書いておきたいと思ったら書いておけばいいんだ。

ともだちと会ってしゃべるってのは、そういうものだろ。
考え途中のことを、「どう思う?」って話したり、
失敗だったことでも「聞いてくれ」ってこともある。
有能な秘書だの、電気不要の時間管理ソフトだのって、
「モノ」っぽく決めちゃうのは、もったいないよ。

そうなると、いつもそばにいるともだちとしては、
「ほぼ日手帳」は、ちょっと重くて
でか過ぎるんじゃないかという意見もでてくるね。
知ってます知ってます、そうも思うもん。
だいたい、おじさんだってさ、
散歩のときまで「ほぼ日手帳」は持って歩かないよ。
あたりまえのことだけどさ。
でもね、もっと小さくしたら散歩のときにも
持って歩くかといえば、そんなこともないんだよな。

しかし、散歩のときってのは、
おもしろいことを思ったり考えついたりするからね。
こういうときこそ、メモがあったらいいとは思うんだ。
じゃ、紙っぺら一枚と、ちびた鉛筆を持って、
散歩に出かけたらどうだろう。
それも、いずれはやってみるかもしれない。
で、家に戻ってから、
「ほぼ日手帳」のカバーに挟み込むなり、
空いたページに写すなりすればいいんだろうな。

しかし、そういうことよりも、
おじさんがおススメするのは、
まぶたの裏にメモをして、それを
消さないように気をつけながら帰ってきて、
「ほぼ日手帳」に書き写すという方法だね。

もちろん、これ、正確に記憶することなんかを考えたら、
すっごくあいまいで、たよりないやり方だと思うんだ。
でも、どうやって忘れないようにしようかと、
順番を考えたり整理したり、
印象的なイメージを想像したり、
おもしろいことばを
繰り返しまぶたの裏に書いたりしてると、
ただの思いつきの肉付きがよくなってくるんだよ。
で、「ほぼ日手帳」には、その絵やら、ことばやらの
強調したいイメージを大きく描いて、記録しておくわけ。

これは、実に役に立つね。
このまぶたの裏のメモと、「ほぼ日手帳」のコンビで、
どれだけ、仕事したり、
考えをおもしろくしたり、できたことか‥‥。

こういう使い方がうまくできるようになると、
なんだかうれしくてねぇ。
ふつうにスケジュールを書き込むのとかが、
まったく「おまけの機能」みたいに
思えてきちゃうんだよなぁ。
ま、そこまで言うと自己営業妨害になっちゃうけどさ。

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2007-03-05-MON

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