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ダーリンコラム

<人間の歴史年表の長さは、60km?>

こんちゃーっす、ひまおじさんです。

かなり前から、人間の歴史ってものが、
「文字で書かれた記録」に偏りすぎていると
思うようになってましてね。
文字が生まれる前の、とんでもなく長い時間に、
しっかり目を向けなくちゃなぁと考えていたんです。
ちょっと前の時代までは、
文字が読める人間の数なんて、
ほんとに少なかったんですからねー。
ほとんど「歴史」というと、
文字で書かれたものをもとにしての研究でしょ。
それはそれで、ある。
でもね、中国のことにしても、
ギリシャやローマにしても、
古代史って言われている時代が、
「人間」という意味から考えたら、
つい先日のことなんですよね。

きっかけは、数年前に、吉本隆明さんが、
「10万年とか100万年とかいう単位での
 人類の歴史が、
 ちょっとずつ築いて来たものがあるわけでさ。
 それを、ざっと原始時代みたいに言って、
 なんにも生み出さなかったみたいに考えるのは、
 現代の人間の傲慢っていうものでさ」
と、語っていたことでした。
文字やら、ことばやらに表される以前の
人間の文化が、
人の表情だとか、歌だとか踊りだとか儀式だとか、
方法だとか、感情の持ち方だとか、
からだに近い部分に、蓄積されていた
長い長い時間への「畏怖」とか「尊敬」とかが、
なくちゃいけないと、思ったんです。
だって、「やさしくされる」なんてことは、
人間の最高のよろこびだし、それを交換しあえることは、
文字もことばもない時代から存在する
とても豊かな文化でしょう。
10万年前の人間が、
文字やことばが発達してなかったから、
ほとんど類人猿みたいなものだったなんてことは、
ありえないわけです。
それはもう、最近の研究のおかげで、
ますます証明されてきているわけですよね。

だけど、一般的に、人間の歴史というと、
なんだか、西暦の数え方についつい影響されちゃって、
「2000年くらい」ってイメージで
とらえちゃうんですよねぇ。
いや、あたしは、そうだった。
だから、西暦以前の歴史というだけで、
もう古代扱いですよ。
「歴史以前にも、たいした歴史があったんだね」
なんて、感心されちゃう感じです。
ローマやギリシャは、まぁ、歴史の始点のあたりにある
という認識かもしれないですね。
いや、あたしはそんなつもりでいました。

100万年とまではいわなくても、
10万年前といっても、
もうただただ暗い未開の時間というイメージ。
もうしわけなかったなぁ、そんなこと思っちゃって。

で、かろうじて「歴史」のなかに入れてもらえそうな
「メソポタミア文明発祥」とかいう時期が、
紀元前9000年とかいうことです。
エジプト文明とか、中国の黄河文明とかについても、
紀元前数千年と言われています。
で、いまの西暦というやつが約2000年だよね。

一方、ですよ。
類人猿から二足歩行する人類の祖先が枝分かれしたのが、
600万年前であるといいます、ぼくは知らなかったです。
250万年前には石器を製作していたとか、です。
5万年くらい前に、圧倒的な
人間の文化のあけぼのがあったという説も、あります。
それにしたって、5万年ですよ!
すごい大昔から、われわれの祖先は生きて来たわけです。

西暦以後の時間の単位としては、
1世紀が100年ですよね。
「個人」の人生というか、人間の一生からすると
100年は、いかにも長いように思えるけれど、
人類の歴史の長さを考えたら、一瞬にしか過ぎない。

ぼくなんか、まぁ平凡なひとりの人間としてさ、
どうしても自分の一生というモノサシでしか、
歴史を計れなくなっちゃっているんですよね。
だから、どうしても、いつまでたっても、
西暦2006年くらいの数字を、長い時間として
イメージするのがせいいっぱいなんですよ。
ま、それに無理やりに、
メソポタミアの9000年をおまけするって感じかね。

考え方としては、人間のずっとやってきた長い時間を、
想像したいんですよ。
なのに、どうしても自分の一生を目盛りにしてしか、
万年の単位の時間を計れないから、
ついつい「1万年」と「百年」とを、
同じように「長い時間」という引き出しに入れて
把握しちゃうのでした。

どうしたら、長い時間をちゃんと長い時間として
イメージできるかなぁ、と、
ずっと考えていたのですが、
ふと、思いついたんです。
時間の長さを、実際に
ノートに長さととして描いてみようとね。

とりあえずは、
1年を1cmという長さに置き換えてみようと、
小学生のように計算しはじめました。

人間の一生は、長生きの人で
だいたい100年として、100センチですね。
明治が始まったのが、1メートル4センチほど前のこと。
徳川幕府が開かれたのは、4メートル前です。
このくらいでも、ノートに記せませんが、
部屋のなかで実感できる長さですね。
近代のスタートという産業革命は‥‥
1837年に、初めてそのことばが使われたんですか。
2006から1837を引くと169。
1メートルと69センチか、たったの!
西暦2006年は、2006センチ、つまり21メートルだ。
これだと、まだ一般的な建物のイメージでいける。

じゃ、メソポタミアを計算してみるか。
紀元前の9000年と、西暦の2000年を足して、
11000ねん、11000センチは110メートル!
世界最速のレベルの選手が10秒で走るような距離。
これも、長いですよー。
ここまでが、「いわゆる・人間の歴史」ですかね。

で、5万年は?
人間の「意識のビッグバン」が起こったという
5万年は、5万センチだから、500メートルです。
さぁ、すごい距離になりましたね。
この「意識のビッグバン」が起こったとされた
500メートル前という地点は、
「メソポタミア←→現在」の距離を5回分なんです。
ついでだから、計算しておきましょう。
二足歩行が始まった600万年前というのは、
60キロ遠くだということになり、
石器が確認できるという250万年前は、25キロ向こう。
25キロというと、東京と横浜くらいの距離ですよね。

ワンアイディアでひっぱりすぎかもしれませんが、
もうちょっとだけ続けますわ。
ぼくらの歴史意識は、10センチやら1メートルやらの、
とても短い長さの内にあることが多いのですが、
実際の人間は、そういう単位の外側にあるような
遠い遠い道のりのなかで出来上がって来た。
そういうイメージが欲しいために、
時間の量を、長さに置き換えてみたのですが、
どうでしょうか。

ぼくは、ごく気軽に、
来年の「ほぼ日手帳」に、ほんとうの人類の歴史を
グラフのように表現できたらいいなと
考えていたことがあったのですが、こりゃ、無理だわ。
さっきからの1年1センチという刻み方を、
1年を1ミリにしても、
5万年前の「意識のビッグバン」は、
50メートルの距離になっちゃう。
人間の一生を、10センチで表現できるのはいいけれど。

一般的な歴史年表の、過去のはじっこのほうには、
ものすごい長さの省略がある、ということだけでも、
情報共有しましょうか。

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2006-10-02-MON
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