ITOI
ダーリンコラム

<ショートケーキの分け方などについて>

「ほんのちょっとだけトクをしたい」という気持ちは、
実にありふれたもので、
たぶん誰にだってあると思う。

ショートケーキを分けるときに、
ほんのちょっとでも大きいほうをとろうとする気持ち。
タクシーのメーターが、止る寸前でかちゃっと動くときの
とても損をしたような気持ち。
値切るときの、最後の10円みたいなものというのは、
とてもインパクトが強いものだ。

よくよく冷静に考えればわかるのだけれど、
その「最後のほんのちょっと」が、
あっちにあろうが、こっちにこようが、
ほんとうはたいしたことないはずだ。
ショートケーキを、他人より
5グラム余計に食べたからといって、
何がどうしたということはない。
だけど、人というのは、
「ほんのちょっとトクをしたい」と、
強く強く思ってしまうのである。

これを「人間というのは欲の強い生きものだ」というと
なんだかちがうような気がするのだ。
シンプルな欲の問題だったら、
「最後のほんのちょっと」なんかよりも、
もっと根本的なところで争うだろうと思う。

ショートケーキでも、タクシーのメーターでも、
「最後のほんのちょっと」の行方について、
「自分のものにするべきだ」の言い分というやつは、
けっこう頑固な論理で武装されているように思えるのだ。

「ほんとは、オレはかまわないんだけどね、
 おまえのようなものが、
 不当にちょっとトクをしてしまう
 (それが通るような世の中になるのが)
 オレは気に入らないんだ」というような、
「正義感」みたいなものが
あるような気がしてならない。
こうなると、分量の奪い合いというよりは、
きわめて観念的な「正義の戦い」である。
だから必死になるのだと思うのだ。

シンプルに、欲にまかせて
「最後のほんのちょっと」を奪い合ってるのではなく、
世の中はこうあるべきだ、ということについて、
戦っているのだから、負けたくないのだ。
たぶん‥‥ね。

居酒屋のコップ酒に、受け皿がある。
コップになみなみと酒を注いで、
最後にほんのちょっとこぼれさせて客に出す。
「お客さんのほうが、ちょっとトクしてますよ」
というメッセージが、あの受け皿にはあるわけだ。
こぼれた酒の分量は、ほんのほんのほんのちょっとだ。
しかし、このごく少量が客の側に利益として
上乗せされたということが、とても大事なのだ。
逆を考えてみたら、恐ろしいことだぞ。
「おっと、お客さん、こぼれそうだから」と、
いったんコップに注いだ酒を、
ほんのちょっとだけ減らされたら、暴動が起こるよ。
それは、店のほうが「不当にちょっとトクをする」と、
客の側が感じてしまうからだ。
「そんな理屈の通らない世の中は、あっちゃならねぇ。
 だから、オレは暴れてやるんだ」と、
冗談みたいだけれど、
そのくらいの怒りを呼び醒してしまうだろう。

もともと、「ほんのちょっと」というのは、
ほんとうに「ほんのちょっと」なのだけれど、
そこに「観念」の背景がくっつくと、
「ほんのちょっと」が、無限大になってしまうのだ。

よくある、土地の争いとかも、きっとそうだ。
家と家との境界線が、
5センチはみ出してるとかの問題にしても、
その5センチで何もできないとしても、
金額に換算していくらにもならないとしても、
「相手が不当にトクをする」のが、許せないから、
「自分が不当にソンをする」ことは、
絶対にあってはならないから、
激しく揉め事として成立するのだと思う。

オソロシイのは、観念ってものなんだよなぁ。

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2005-09-12-MON
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