ITOI
ダーリンコラム

<オレのほうが愛してる?>


かなり昔から、謎だなぁと思っていることについて、
とにかく書き出してみるけれど、
もともとずっと長いこと謎のままなので、
今回も答えにたどりつかないという自信がある。

とにかく、書きはじめます。

釣り雑誌の編集部の連中で、飲み会をやっていると、
たのしく釣りの話をしているうちに、
だんだんと軽い言い争いのようなことになって、
大げんかになったりもするのだという。

で、その争いのクライマックスでは、
「おまえなんか、釣りを愛してない」
「オレの方が釣りを愛してる」
「おまえより、オレのほうが釣りを好きだ」
というような、
どっちが、「より愛しているか」論争に行き着くらしい。

釣りに限らず、趣味の世界では、
おそらく、よくそういうことはあるのだろう。

それって、何なんだろう?
ずっと前から気になっていた。
「オレのほうが愛している」って、何なんだろう?
こういう「論争」を聞いたときに、
なんとなくおかしい気がするのって、どうしてなんだろう。

「オレのほうが愛している」という内容の歌もあった。
早川義夫が、ジャックスというバンドで歌った
『サルビアの花』という曲だ。
自分のほうが愛しているのに、
「キミ」は他の男と結婚してしまう、
結婚式での「キミ」の笑顔はうそっぱちだ、と、
その歌詞は断言しているのだ。
最後のほうなんて、桜の花吹雪散るなか、
主人公の「ぼく」は坂道を転がり落ちていく。
青春時代の身勝手な情熱を、ほんとに見事に描いていて、
ぼくはこの曲を、すごい傑作だと思っている。

でも、いくら「オレのほうが愛している」からと言って、
結婚の相手に選ばれるとは限らない。
それに、だいたい、どっちが「より愛しているか」なんて、
当事者に決めさせるというわけにはいかないではないか。

オレを選べ、とどうしても言いたい場合には、
オレのほうが愛しているということよりも、
オレのほうが責任を持つ、という宣言のほうがよさそうだ。
でも、しかし、どっちが責任を持っているかについて、
言い争うというのも、なんだか妙な光景のようにも思える。

だいたい、何をテーマにしているときに、
「オレのほうが愛してる」というセリフが出るのだろう。
とても大きなスケールで、
「ワタシは人間を愛しているんだ、キミなんかより」
というくらいのものもあるだろう。
人間全体、と言わないまでも、
「あの方は、国民を愛してらっしゃいます」とか、
「県民を愛するということについて自信あります」とか、
そういうセリフは、あちこちで語られてそうだ。
クワガタムシの愛好家の間では、
「奴はクワガタを愛してないんだよ!」なんていう
セリフが、きっと激しく語られていると思う。
おそらく、スターやらタレントやらの
ファンクラブ的な組織では、
ヒステリックなまでに、誰がどれほど愛しているか、
たえず計られているものなんだろうと思う。

なにか、意見や利害が対立したときに、
その解決方法が見えなくなったときに、
「どっちが愛しているか」が語られるのかもしれない。

「より愛している」側に「正義」がある、と、
ついつい考えがちになってしまうのだけれど、
たくさん愛していることと、正しいということは、
どうも、イコールで結べることでもないだろう。
それは、新選組のドラマなんか観てても、そう思える。
ややこしいものだよ、ほんとうに。

しかし、こんなふうに書いているぼく自身が、
どれほど愛しているか問題について、
馬鹿らしいことだと考えているわけではないのだ。
たとえば、いま紛糾中のプロ野球を見ていても、
「経営陣」が、「選手とファンの連合軍」に比べて、
どうも「野球を愛してない」ように見えてしまうのだ。
こうなると、彼ら経営陣の側からの視点で、
問題を考えることがかなり難しくなってしまう。
つまり、ここでは、ぼくは「愛」を問うているわけだ。

もともと、「ファンを抱えている選手」たちと、
背広を着ている「顔や声を知られてない球団の人」では、
選手のほうが、親しみと好意を持ってもらいやすい。
知ってる人はいい人、というような
身内びいきの目で問題を見ないように、
ぼくなりによくよく注意はしていた。
また、スポーツの現場で、
人に見られつけている選手たちは、
表現力の面でもとても優れているわけだから、
どうしても「球団経営陣」の側は不利だとも思う。
しかし、そこまで注意して見ていても、
経営側が「野球を愛してない」ように思えてしまうのだ。

愛のある側に正義があるとはかぎらない、と言う自分が、
愛を基準にして、判断することも、
こんなふうに、ありうることなのだ。
ほんとうに、ややこしい。

「ほぼ日」を愛してください、と、
ぼくは無意識でアピールし続けているのだろう。
だから、「ほぼ日」を愛してくれる人がいっぱいいる。
しかし、いちばん愛しているという人を、
いちばん大事にします、なんてことを、
ぼくはおそらく言うつもりはない。
では、愛さないでほしいのかというと、
そんなこともなくてねー。
「やさしく、思いやりをもってつきあっていく」、
というくらいの感じがいいのかなぁ。

ああ、やっぱり、書き出してはみたものの、
ぜんぜんわからないままでした。

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2004-09-20-MON

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