ITOI
ダーリンコラム

<ダーリン改めドラゴン?>

いつも、たいしたことを
言ってるわけじゃないのですが、
今回は、特になんの意味もないようなお話を。

『今日のダーリン』だとか『ダーリンコラム』だとか、
ほぼ日刊イトイ新聞には、
ダーリンという言葉がよくでてくる。
ダーリンとは、あはは、糸井重里のことだ。
そうです、オレのことです。

「ほぼ日」をはじめるときに、
自分がどういうものであるのか、
なんとなく決めておきたいと思った。
社長なのか、ボスなのか、編集長なのか、大将なのか、
親方なのか、兄さんなのか、なんでもよかったけれど、
上だの下だのを感じる言葉じゃないほうがいいなと思った。

ダーリンと呼ばれるのはどうだろう、と思ったのだった。
愛する人に、甘ったるく呼びかけるときに、
ダーリンという言葉は使われるようだ。
ようだ、というしかない。
ぼくはそれなりに長い人生のなかで、
ダーリンと呼ばれたことなどなかったのだから。

ぼくがいちばんよく憶えているのは、
美空ひばりさんが、結婚していたころ、
夫である小林旭さんのことを
「ダーリン」と呼んでいたことだった。
父親のことをパパと呼ぶこと、
母親をママと呼ぶことも、
ぼくの子どものころには、
決して一般的なものではなかったくらいだ。

しかし、いまの若い女性たちは、
恋人や夫のことを、わりとふつうに、
ダーリンと呼んだりしているらしい。
「うちのダーがねぇ」などとも言ってるらしい。
いいのわるいのじゃなく、ちょっと感心しちまった。

一生、ダーリンと呼ばれないであろうオレだから、
あえて、自分をダーリンと名付け直すのはどうだろう?
と、もう、ね、現代芸術みたいな意図だった。
ダーリンと呼ばれるはずのない関係のなかで、
ダーリンという言葉が行き交ったら、
おそらくダーリンという言葉の意味は、無化される。
まったく、もともとのダーリンという意味なんか、
跡形もなく消えてしまう。
それが、なんだかおもしろそうだと思った。

なにかの撮影の仕事のときに、
そばにいた人と、そのことについて話していた。
それが誰だったのか、忘れてしまった。ごめん。
「カメラマンの長谷川げんちゃん
 (元吉氏。詩人の長谷川四郎の長男でもある)が、
 海につかりながら、『ダーリン』ってつぶやいたんだよ。
 なんだ、そりゃ、って言ったら、
 『言われたことのない言葉だと思って、言ってみた』
 って」
正確にそういう話だったのかどうかも、
うろ覚えだから、まちがっていたらもうしわけない。
ただ、いいなぁと思った。
同じようなことを、ぼくも思ったばかりだったので、
なんだかおもしろくなってしまった。
ここで、決心がついた。
ぼくは、自分でダーリンを名乗ってやれ。
人々にダーリンと呼ばせてみよう、と。

それから、6年以上が過ぎたわけだ。
何度でもダーリンと名乗り、
何度も何度もダーリンと呼びかけられているうちに、
ぼくはもう、すっかり
ダーリンと名乗ったり、ダーリンと呼ばれることに、
慣れ切ってしまった。
近くで「ダーリン」という声が聞こえたら、
振り返ってしまうくらいに、ぼくはダーリンになった。
呼びかけられても恥ずかしくもない。
すごいものだなぁ、習慣というのは。

池畑慎之介という人が、ピーターであったりすることも、
こういう習慣のくりかえしによって、
自然なことになっていったのだろうなぁ。
(まったく余談中の余談だけれど、
 ジャイアンツの捕手阿部慎之助の名前は、
 父親がピーターの名前を意識して命名したという話だ。
 阿部慎之助の父といえば、野球の選手だ。
 どうして、ピーターの名前を息子に付けたんだ?
 そんなにピーターが好きだったのだろうか?
 ピータンかなんかと間違えたのではなかったのか?)

はじめは、ダーリンと呼ばれることの
気恥ずかしさと戯れようと思ったはずなのに、
自然になってしまったのでは‥‥ダメじゃん。
かといって、呼ばれ方を、あらためて考えるのも
むつかしいんだよなぁと思っていた。
「イトイさん」というふうに、戻せばいいのかなぁとも
考えてはいるのだけれど、
ダーリンという呼び方があったときの、
妙な軽さというか、お気楽な感じがなくなるのも
もったいないとも思う。
だって、『今日のダーリン』は
『今日の糸井重里』あるいは『今日のイトイ』だし、
この『ダーリンコラム』も、
『糸井重里コラム』『イトイコラム』になっちゃう。
なんだか、不気味になまなましいような気がするのだ。

そういうことで、漠然と、悩んでいたのだけれど、
ポスト・ダーリンの呼称候補が生まれてきた。
つい先日、金曜の夜中、
『野球 その素晴らしき世界』というテレビを、
「ほぼ日TVガイド男子部」で観た後、
唐突に、ぼくの口をついて出たのだ。

「今日から、オレ、ドラゴンにするわ。
 ぼくのことを、ドラゴンと呼んでくれたまえ」
なんでそんなことを言ったのか、自分でも知らない。
しかし、糸井重里であるぼくは、
どう見てもダーリンでないように、
どこをどうご調整してみてもドラゴンじゃないだろう。
わかっておるわい、そんなことくらい。

しかし、ダーリンの時代の例から類推できるだろう。
自分から恥を忍んでドラゴンを名乗り続け、
人には「ドラゴンと呼べ」と強要しているうちには、
ぼくは自然にドラゴンになってしまうのである。

とりあえず、ここで宣言してみるわ。
ぼくは、これからはとにかく「ドラゴン」です。
そのうち、このページの看板も
『ドラゴンコラム』になるんじゃないかと、思います。

では、また来週。
ドラゴンでした。

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2004-06-28-MON

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