ITOI
ダーリンコラム

<バカの往復>

ここ2週間ばかり、この『ダーリンコラム』をさぼった。
なんとなく、頭の中が忙しくなっていて、
大掃除中みたいな感じの日々が続いているので、
ちょっと余裕がなかったのだ。

そんな状態は、いまも変わらないのだけれど、
日曜日の夜中にいつもやっていたことを、
3週間も休んでしまうと、
もうずっと書かなくなりそうなので、
とにかく書きはじめてみることにする。
文字通り「ぐだぐだ」と、とにかく書きはじめてみる。


「ほぼ日デリバリー版」で、
あらためてヒットしているのが
『ガキのころはバカだったなぁ』だ。
こどものころの自分(たち)が考えていたこと、
やっていたことを思い出して、
「バカだったなぁ」とおもしろがる投稿企画だ。

これ、途方もないバカらしさを遊ぶために、
「ガキ」といわれるような
こども時代の思い出にかぎって集めているような
ところもあるのだけれど、
実際、自分がけっこうないい年になって思うと、
ガキのころどころか、
「青春時代はバカだったなぁ」だとか、
「中年のころはバカだったなぁ」なんて具合に、
過去のことについてはぜんぶ
「バカだったなぁ」と言えるように思う。
だからといって、
いまの自分が「バカじゃない」かと言えば、
決してそんなことはなくて、
きっと今の自分も、またこの先の自分に笑われるのだ。

ぼくが思うに、人はずっとバカなのだ。
バカという言い方が悪ければ言い直してもいいけれど、
つまり、人はいつでも「まつがっている」のだと思う。

「そんなことは、あんたの場合だけだろう」
と言いたい人もいるかもしれないけれど、
ほんとにそうかなぁ?
ぼくはぼくの過去にあった、
自分で思い当たるバカさについて、
けっこう具体的に思い出すことができるけれど、
あんまりバカでなかった過去を持つ人も、
まれに、いるのかもしれない。

バカでないということが、いいことだとは限らない。
誤解をおそれずに言えば、たとえば、
あらゆる恋愛はバカでなくてはできないと思う。
ってことは、バカがいなくなったら、人類は消滅します。

さらに、さまざまな職業にしても、同じことだ。
もし親しいともだちが「歌手になる」と言ったら、
たいていは「やめておいたほうがいい」と忠告するだろう。
うまくいく確率なんて、ほとんどないのだから。
野球のように打率で表現したら、
一割にも満たない成功率なんだろうと思う。
しかし、現実にぼくらはたくさんの歌手を知っている。
バカだった人たちが、みんなを楽しませている。
みんなが確率のことを考えてあきらめていたら、
世の中から歌手なんかいなくなってしまうはずなのに。

恋愛して、結婚にまでこぎつけた人が、
「ああ、結婚なんかやめておけばよかった」と、
かつての自分のバカに気づくというケースもあるだろう。
歌手であるという状態にまではたどりついたけれど、
やがて歌手として食いっぱぐれていく人もいて、
「ああ、歌手なんかにならなきゃよかった」と、
振り返って自分のバカをうらんでいる人もいるだろう。
しかし、ほんとに、やめておけばよかったのかと言えば、
やっぱりそういうもんじゃないとぼくは思うわけだ。

あらためて半世紀以上も生きてみると、
ほんとに自分はバカのままだ。
それはわかっている。
でも、昔のバカなところは、
いまの自分にはマネができないという残念さもある。
だったら、バカのままで突っ走ればよかったのかといえば、
それもちがうのだ。
ちょっとでもバカじゃなくなりたくて、
バカはバカなりに努力していたり、懲りたりしているのだ。

書いていて、集中してないなぁとつくづく思うのだけれど、
言いたいことがないわけじゃないのだ。
「バカ」と、「バカじゃない」は、
光と影のようにセットになって世界はできている。
そんなふうなことが言いたいらしい、オレは。
バカがいけないわけじゃないし、
バカこそがいい、ということでもない。
バカじゃないほうに顔は向いているのだけれど、
ついついバカやっちゃうのよね、というくらいが、
なんだかちょうどいいような気もする。
バカ世界と非バカ世界の往復運動が、
活発に行われているって感じが、最高なんじゃないかなぁ。
そんなことを言っているぼく自身、いまは、
ちょっとバカ度が少なすぎるような気がしている。

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2004-04-19-MON

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