ITOI
ダーリンコラム

<なにかくだらないことを>

この「ダーリンコラム」2週続けて休みました。
ちょっと忙しすぎたかもしれない。
しかも、いまは何日か続いての37度程度の微熱で、
ちょっとコンジョーが足りなくなっています。
体調のよくないときっていうのは、
どうしてもココロがひ弱になっていて、
つまらないことが気にかかったり、
いつもならなんでもないことにヒリヒリしたりします。

そういうときに、何が必要か、といえば、
「ユーモア」であります。
若いときは、「ユーモア」って言葉が嫌いでさぁ。
ナンセンスとか笑いとかってのは好きなんだけど、
「ユーモア」ってのは、言葉として好きじゃなかった。
ひらがなで書く「ゆ〜もあ」って感じがいちばんダメ。
あの、ループタイって言ったっけ?
ネクタイの代わりにつける紐みたいなやつ・・・・
あれの匂いがすんだよなぁ、「ゆ〜もあ」って。

だけど、その「ゆ〜もあ」っていうのとはちがった
「ユーモア」ってものが、どうやらあるような
気がしはじめているんだよな。
原義をたどったり、研究したりはしないんだけど、
なんというか、「たいしたことないよ」って感覚。
これが、どうも「ユーモア」の正体のように思えるんだ。
どんな人にも、
口角泡を飛ばして議論することだってあるだろうし、
ちょっとの笑いも許されないような場面も確かにある。
だけど、「それがどうした?」って、
つい思っちゃうのが、人間のおもしろさだって気がするんだ。
その「それがどうした?」を表に出しちゃうのは、
ユーモアとはちがうわけよ。
そういうのは、「反抗」っていうのねん。
「反抗」というのは、ユーモアなんかあっては困る。
必死さとか、これ見よがしの不服従とか、
笑っちゃいられないムードがなくちゃいけない。

「ユーモア」と真剣さってのは、
まったく相いれないものかというと、
どうもそんなこともないようで。
両方持ちあわせている人ってのを現実に見ると、
要するに「さじ加減」ってやつなんだろうなぁと思う。
料理の話と同じでさ。
栄養学に忠実でも、料理としては最低ってこともあるし、
「どうだうまいだろう!」と勝負を挑むようなものには、
食指が動くものじゃない。

ぼくがお会いして「すっごいなぁ」と思った人たちってのは、
たいていが、あまりにも真剣で、しかもそれと同時に
「ちょっとふざけている」という特徴があるようだ。
宮大工の小川三夫さんなんかも、
新婚時代の奥さんが、まっすぐ寝てないのが気になって
「もっと緊張して寝られないのか」と言ったってくらいの
おそろしい人ではあるんだけれど、
おもしろいんだよ、なんか、話が。
飲み屋なんかでは、モテるらしいぜ。
山本一力さんも、時代劇に登場する職人のように
分(ぶん)に厳しい人ではあるのだけれど、
しゃべりの行間に「それがどうした?」というような
しれっとした諦観のようなものも感じさせる。
九十三歳とかの日野原重明先生も、
ときどき、「ガキっぽい」笑顔を見せる人だったなぁ。
吉本隆明さんも、真剣な顔をして、
突拍子もなくおかしいことを言う。
「そんなこた、どうでもいいことでさ」というセリフが、
よく耳にここちよく届いてくる。

こうしてみると、ぼくなんかは、
傍目で見たらずいぶんふざけた人間なのかもしれないけれど
・・・・ちょっとねー。
もとが、「ふざけた人」と思われすぎていたから、
それをゼロにリセットしようとして、
真剣さを表現しすぎていたのかもしれない。
いや、そんなふうに言うのも体調のせいかもしれないけどさ。

さっき、日韓友好の番組がいっぱいあるなぁと思いながら
テレビを観ていて、
ちょっと思いついたことがあるわけよ。
『日韓共通挨拶集』っていうんだけどさ。

・お疲れさむにだ
・おはようごさいますむにだ
・ありがとうございますむにだ

っていうの。
これ、もっと互いの国の人どうしが険悪な関係にあったら、
すっごい「悪い冗談」とか言われちゃうと思ったんだ。
でも、いまみたいなムードのなかだったら、
どっちの国の人も、「お疲れさむにだ!」とか
言いそうでしょ。
くだらないなぁとも思うけれど、
このくらいのくだらなさが混じってこその友好だよなぁ。
そう思ったわけ。

ほんとは、もっとくだらないことを
たくさん書こうとしていたんだけれど、
それはそれで、また別の体力が必要なので、
このへんしておきますむにだ。

2002-06-03-MON

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