ITOI
ダーリンコラム

<darlingに額縁>

前々から、ちょっとずつは言っていることなんだけれど、
ぼくは、自分のことを
「darling」と呼称させるようにしています。
誰もが普通に感じるであろうように、
自分だって、それはおかしいと思っているのです。

どこが、なにが「ダーリン」なんだって言われても、
なんの説明もできやしません。
この、わけのわからなさを、引き受けてみたかったのです。
人間、年をとってくると、いろんな
「なんともはや」な呼ばれ方をするようになります。
そのひとつが、「社長」でありますでしょう。
ぼくなんかでも、この「シャチョウ」という呼ばれ方は、
けっこう何度もされました。
いやだとか、やめろよとかいうほどのこともないので、
「あいよ」と答えていましたが、
かゆい感じはありました。
世間の「ブチョウ」やら「カチョウ」やら「センム」やら、
「センセイ」やら「ハカセ」やら「キョウジュ」やら、
「ママ」やら、「カントク」やらは、
ごく自然に、自分のことをそう呼ばせているようですが、
ほんとのところは、どんなふうに感じているのでしょうか。
なんにも感じてないかなぁ?

芸能の世界の人たちは、さすがに、
ロールプレイの達人だからでしょうか、
「大将」「若大将」「殿」「若」「ボス」「ミスター」、
などのような、シンボリックな呼称を引き受けています。
あ、プロレスの馬場さんは「社長」だったな。

なんか、これまでになかったタイプの役割名はないものか、
そう思って、ぼくは「darling」を思いつきました。
とんでもなく恥ずかしいと思いました。
しかし、これに決めた瞬間から、じわじわと馴れていって、
いずれは、「darling」の意味の部分が、
無化されていくだろうとの計算もありました。
計算というよりは、その無化されていく課程そのものが、
ぼくの「現代芸術」表現であると、考えていました。
メールアドレスを、darlingで取った時から、
その表現行為はスタートしました。
そしていまに至るわけですが、
時間の流れに沿って、
みごとにグラデーションで意味が薄くなっていくのを、
ぼくは感じています。
誰にも知られず、理解もされないまま進行していた
ぼくの現代芸術を、ぼくだけが鑑賞していたのであります。

そして、いまごろになって、
こういう種明かしのようなことを書いて発表することで、
ぼくの秘めやかな現代芸術に、
「額縁」をつけて作品にしたわけです。

「詩のかくれ場所」の楠さん、これがぼくの詩であります。
「まっ白いカミ」のシルさんや、
「あしたには消えてる歌」の枡野さんなら、
きっとこの額縁もおもしろがってもらえると思って、
自宅でサッカー中継を観ながら、
こんな雑文を書きはじめてしまいました。

そうそう、言い忘れてはいけないことがあった。
「なんとなく自分で呼ばせるのは恥ずかしいけれど、
世の中の人たちはよく知っているような呼び方」について、
なにがいいかなぁと考えている時期があった。
最初に思いついたのがdarlingではあったけれど、
まだ他にいい候補はないものかと探し続けてはいた。

あるところで、ぼくは、
「こんど、自分の呼び名をdarlingにしようと思うんだ」
と言ったら、近くにいた友人が、
「長谷川元吉さん
(映画カメラマンで、たしか父上は長谷川四郎さん)が、
ある時さぁ、撮影が終わってから、海に浸かって、
『darling』ってつぶやいたことがあったんだよ。
なんでそんなこと言ったんだっていったら、
『いや、まだ生まれてからこれまでに、
darlingって言葉使ったことなかったなぁと思って』と、
言ってたんだよ」
もう圧倒的な共感でしたね。
この話が、どこまで正確な事実かは知らないけれど、
やっぱりdarlingって言葉には、
何かあるんだと、確信いたしましたね。

今回は、ちょっとへんなことを書きたくなって、
書きました。

1999-06-18-MON

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