ITOI
ダーリンコラム

<忌野清志郎は好きなんだけど>

忌野清志郎は好きなんだけど、
どうも、彼が考えている「ロック」
についての理屈はわからない。
今回は、ぼくとちがう意見の人も
多いかもしれないけれど、
ぼくは、ぼくの考えを書きたいと思う。

「君が代」をパンク風にアレンジした曲が、
レコード会社の都合で発売を見合わせたというニュースを
新聞で知ったときも、なんだか、
またつまらないことを言いそうだなぁと、
ちょっと心配だった。
あんのじょう、ステージで、キヨシローくんが
「ロックがわからないレコード会社」のことを
声高に批判しているという追加ニュースがあった。

「国歌」を崩したアレンジでがなりたてて歌う
という表現は、
セックスピストルズが
『ゴッド セイブ ザ クイーン』でやったこともあるし、
もっと昔にジミ・ヘンドリクスが、ウッドストックで
『星条旗よ永遠なれ』をギターでがちゃがちゃにして
演奏したこともあったから、
特にすばらしいアイディアだとも思わない。

もともとの国歌に、批判をこめたアレンジを加えて
それを演奏することが、そんなにたいしたことだとは、
ぼくには思えないのだ。
ぼくは「君が代」のことをなにかすばらしいものだとも、
これを歌ったら大変なことになるとも思えない。
「君」が天皇を指しているからといって、
それを歌っているうちに戦争がしたくなるとも、思わない。
逆に、「君が代」をパンク風に歌うことで、
人々が、何か心に感じるとも考えられない。
だから、レコード会社が神経質になるのも、
ちょっとなぁ、とも言えるのだけれど、
レコード会社だって思想結社ではないわけだから、
論議を呼んでいる最中の問題に、
わざわざ挑発的な商品を出したいとは思わないだろう。
その後々まで、その問題について戦い続けるには、
覚悟も時間も人間もたくさん必要とする。
3番煎じのアイディアの曲について、
それだけのコストをレコード会社に支払えというのは、
ぼくにはお門違いだとしか思えない。
どうしても強く出したいという意志があるなら、
自主制作で出せばいいことだと思う。

忌野清志郎の「プロテストソング」については、
ぼくは、すべて「つまらない」という感想を持っていた。
風刺だとか、体制批判を前面にだした表現に、
なにか「ロックの思想」があるとか言われても、
ああそうですか、というしかない。
忌野清志郎が、わざわざ言わなくたって、
その程度のことなら、街頭インタビューの人たちだって
マイクに向かって言っている。

ぼく自身、忌野清志郎の歌には、
ほんとうに感謝しているくらいお世話になっている。
キヨシローの歌があったおかげで救われた魂は、
日本中に無数にあるにちがいない。
若い友人が、ひどく落ち込んでいたときに、
彼の『君がぼくを知ってる』という曲をすすめて、
ほんとうによろこばれたこともある。
それも、かなり最近のことだ。
キヨシローくんとは、なんども一緒に仕事もしてるし、
いつも元気でいてほしい人であることは間違いない。
しかし、彼の「プロテスト替え歌」は、つまらない。

たとえば「君が代」をパンク風に演奏することと、
『ぼくが何かわるいことをして
そのことで有名になってしまったとしても、
君がぼくのほんとうのことを知っている。
上から下まで、ぜんぶわかっていてくれる』
というような歌詞とを比べたら、
どっちが人間の自由に本当に触れているかが、
誰にもよくわかると思う。

たくさんの、ソウルに響く歌をつくって、歌ってきた彼が、
誰でもできるような「反体制」風の替え歌を歌って、
ロックだましいは忘れちゃいないぜ、
なんて叫んだとしても、ぼくにはサミシイだけだ。

いま。こどもも大きくなって、体力もなくなってきて、
ステージで大きなジャンプができなくなったいま、
「スローバラード」をつくった忌野清志郎がつくる歌が、
もっと他にあるはずだろう?
こういう言われ方をして、
本人がうれしいと言うとは思えないが、
ぼくは、あえて、言いたかった。

なんどもなんども生まれ変わることでしか、
ぼくらは生きていけない。
ロックとか、昔の忌野清志郎とかからも自由になって、
新しい名曲を、つくってほしい。
つくれないなら、つくれないキツさと正面から向かいあって
苦しんでほしい。
「ロックらしい」程度のことでニュースになって、
レコード会社の社長の名前を叫んで抗議しても、
ちっぽけなケツの穴しか見えてこない。

ぼくは、いまでも『RCサクセション』のレコードを、
大事に持ってるし、忌野清志郎の本当の復活を期待してる。

1999-08-30-MON

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