ITOI
ダーリンコラム

<沈みゆく船で恋をする>

30年も会ってないのに、
いまでもはっきり友人だと思っている友人がいて、
彼がある日突然メールをくれた。

姪が広告業界に就職したいという。
そう甘い世界でないと思うが、
もし少しでも時間がとれるようなら、
業界のリアルな実情などを話してやってくれないか。
・・・というようなことを、
とても遠慮がちに、ほどよいユーモアをまじえて
書いていた。

その姪という人がどういう考えを持っているのか、
まったくわからないけれど、
友人の性格からして、
会って虚しくさせてくれるような人ではないだろうと、
ぼくは思ったし、とにかく、
その友人に会うのと同じなんだ、というつもりで、
大学生の姪という人に会った。

何を話せばよいのか、よくわからないけれど、
とにかく、いまの広告界の産業構造を理解させようと、
ぼくはぼくなりに説明した。
彼女の「つもり」というのは、
会う前にぼくが想像したのとは少しというか、
だいぶん違っていた。
いわゆる就職先として大手の代理店や、
有名なプロダクションに入りたいというような考えでは、
どうやら、なかったようなのだ。
むろん、ぼくが広告界に大きなコネクションを持っていて、
就職の世話をするようなことができるわけはないから、
行きたい先が大きかろうが小さかろうが、
実際的にお役に立てないことにはかわりがない。

たくさん話しているうちに、
広告の華やかそうな世界に憧れているというよりは、
コミュニケーションや表現やプランニングという
あたりに興味があるのだとわかってきた。
「だとしたら、企業の中に入って、
広告を発注する側のほうがクリエイティブでいられる
可能性はあるんじゃないかな?」
ぼくは、どうしても広告業界から遠ざけようとする。
「でも、宣伝でない他のタイプの仕事につく可能性も、
大きいですよね」と、一見当たり前の反論もある。
「それはそうだけれど、広告以外の場面でも、
本当に大事なのはクリエイティブな考え方だし、
むしろ営業の人たちのほうが、
戦略や戦術や独創性やということに近い場所にいる、
とさえ言えると思うよ」俺も、しつこいなぁ。

広告業界は、いま大転換の時期で、
いままでのような希望に満ちた業界ではない。
それは代理店や制作プロダクションの大小に関わらずだ。
大は大なり、小は小なりにつらい季節ではある。
そういうことを、また構造として説明して、
「ま、他に、どの業界がいいぞってことでも
ないんだけどね」と、さらに本音を重ねる。
いま考えてみると、ぼくの言い方は、
世界は地獄しかないぞと言ってるみたいだったなぁ。

「よくわかるんですけど」やや躊躇しながら、
ゆっくり言葉を選んで、友人の姪は語り出す。
「それは、経営者のほうの問題で、
現実には、その危機的な会社のなかで、
広告を作り続けている人はいるわけですよね」
それはそうだ。
誰かが、それをしている。
「だとしたら、業界や企業がどういう状態にあっても、
私は、やってみたい種類の仕事をしたいんです」
あ、そうか?!

沈んでいく船に乗るなという意見は、
娘を心配する母親のような考え方がベースにあるが、
どこもかしこも危機的な状況なのであればなおさら、
好きな仕事をやりたいという考えは、まっとうで健康だ。
こういう考えは、ぼくにはなかった!
かなりショックを受けた。

そういえば、ぼく自身、
この業界はもうダメだよとか言っているわりには、
広告の世界での「希望」の持ち方を考え続けている。
クリエイティブが何より大事だとか、
声を枯らさんばかりに言っているのも、
『現実には、その危機的な会社のなかで、
広告を作り続けている人はいるわけですよね』と、
同じことをしているのだったよ。

タイタニック号が沈んでいくのを知っても、
好きな女性への恋心を消し去ることはできない。
世界が明日滅ぶと知っても、
飲みかけの紅茶を、捨てるわけにはいかないのである。

ぼくは、それをすっかり忘れていたような気がする。
彼女は、安心や安定が欲しくて
就職活動をしていたのではなかったのだ。
好きな仕事をする道について、
仕事することそのものをよろこびにして、
生きていきたいということを、言っていたのだ。

そのことに気づいた時には、ほんとうに驚いたし、
ぼくは、なんのために彼女に
「広告業界に行くのは難しい」だの、
「広告業界は、これからたいへんだよ」とか、
説明しようとしていたのだろうかと、反省した。

ぼくは、この姪を紹介した叔父である友人のことを、
あらためて思い出していた。
その友人がいま、この姪の立場なら、
そういうことを言いそうだと思って、
あらためて30年ぶりに彼に会いたい気持ちになった。

2000-04-17-MON

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