ITOI
ダーリンコラム

<職人の体内に蓄積された技術>

(また長くなっちゃった。我慢してくれ)
おそらく、これから書くことについての
本質的な部分は、
いままでいろんな学者の人たちが、
さんざん研究してきたことだとは思う。

技術というもの、
特に個人の内部に蓄積されていくような技術について、
ずっと気になっていたのだが、
夕べ受け取ったひとつのメールをきっかけに、
未整理のままでも書きとめておこうと思った。

そのメールというのは、
ジャイアンツの内野手、川相昌弘選手の
ウェブサイトの案内であった。
本人から直接ではなかったけれど、
管理人をやっておられる方の本文の最後に、
代筆と記されていたから、
いわゆるファンサイトのようなものではなく、
川相選手の強い意志によってつくられているものだろうと、
想像がついた。

『精密野球工学』というタイトルのそのサイトに
行ってみてあらためて川相選手のやりたいことが
よく理解できてきた。
川相選手は、川相ファンであるとか巨人ファンである
とかの垣根をこえて、
「見ず知らずの野球少年や野球好きたち」に向けて、
自分のいままで考えたり憶えたりしてきたことを、
伝えようとしているのだ。
彼の『技術』は、プロ野球チームの枠の外へ、
もっと盗まれていくべきだと川相は考えているらしい。

__以下約30行は参考までにね_______

ちょっと話はずれるけれど、
川相昌弘選手が、どういう人であるかということについて、
少しは知ってもらったほうがいいだろう。
川相選手は、犠打の記録を持っているということだけで、
地味な選手だと思われている。
いぶし銀というような形容をされることも多い。
巨人の、相次ぐ大型選手の補強で、
ベテランの域に入ってきている彼のショートの定位置が、
確実なものでなくなっているという現実は否定できないが、
ぼくは、川相昌弘の存在こそが、
現在の巨人の守備だけでない精神的な要だと考えている。

それは、贔屓目というだけのものではない。
彼の、根っこにある熱血とか懸命とかいう
心臓の鼓動のようなものが、
巨人というチームの体温を上げていることは、
少しでもあのチームに触れた人なら反対はできないだろう。

偶然のようにぼくがたくさん知っている
川相のエピソードは、
どれも、自然な自己犠牲の精神に満ちている。
悲壮な殉教者のようではなく、
「よし、俺があいつに話をつけてくるよ」というような、
江戸っ子な感じが(岡山なんですけどね)あるのだ。
高校生の頃から、そういうやつだったらしい。

それは犠打というものが、
戦略としてはディフェンシブであっても、
その行為の主体である打者にとっては、
きわめて攻撃的な意志がないと成功しないということと、
よく似ているのである。

若いときから、野球帽をかぶるとふけ顔だったから、
「じい」とか「オジー」とかあだ名されているけれど、
(大リーグの名内野手オジー・スミスからという説も)
川相昌弘は「熱くてコワイ火の玉」なのである。


__はい、ここまでが資料的な部分__________

川相選手は、現役のプロ野球選手としては、
信じられないようなホームページをはじめた。
いわゆるファンへの情報サービスなんかではないのだ。
「野球そのもの」についての情報を、
自分の頭と心と手を動かして
インターネットで伝えるという。

これもまた、まったく川相らしいやり方である。
内容がまたさらに川相らしい。
もっとも重要なコンテンツである
「『基本技術とは何か』を考える」は第0回が、
「基本の意味するもの」という題ではじまる。
その後、ボールの握りとか、グラブの使い方とか、
小学生から社会人まで、
知らなくてもいいことはひとつもないという
超が付くほどの基礎的な教室になっている。

しかし、徹底的に詳しい!のである。
自分の考え実践してきた技術の、
まちがいないエキスのところを、すべて、
野球を好きな見知らぬ人々に伝えてくれているのだ。

さらに、もうひとつのコンテンツの目玉は、
「質疑応答の広場」である。
野球に関する技術的な質問に限定するとはいうものの、
そこでの川相選手の答えは、ほんとうに暖かい。

質問:僕はファーストを守っているんですけど,
ショートバウンドの球がどうしてもとれません,
球からは目をはなさないようにしているんですが.
もしよろしかったらアドバイスいただけないでしょうか?

解答:「球から目を離さない」のは,とても好い事です.
これは全ての野手に共通の問題ですが,
グラブで巧く捕るのか,或いは,捕れなくてもいいから,
後ろへそらさない様に,前へ落とすのか,
を逸早く判断する事が大切です.これは,
試合の流れや状況で,瞬間瞬間に変化していきますから,
常に得点差や,アウトカウントなどが,
頭に入っていなければなりません.これは特別に
難しい事ではなく,キャッチボールや壁当てをする時でも,
こうした事を考えながら,練習すれば決して飽きませんし,
実戦でも大いに役立ちます.「一点差,九回裏,二死満塁,
あっ,ファーストへゴロが……」などと呟きながら,
練習すれば,中々面白いですよ.
 如何にボールを捕るか,についての最終的な問題は,
「グラブ捌き」という事になりますが,
基本は「柔らかく」「力を入れずに」
「グラブを常に下から下から使う」などです.
特に,グラブを「上から下へ」使って,
ボールを押さえ込む様な状態で,捕ろうとすると
必ず失敗します.「下から・下から」が原則です.
身体全体,特に「肩」「肘」「手首」に無駄な力が
入っていないか,常に確かめながら,練習を続けて下さい.
(1999.9.19)


質問者の身になって、こころから伝えたいと思って
質問に答えようとしていることがわかると思う。

現役のプロの選手が、これだけ熱心に
「技術を伝える」ことで、
野球のたのしさをシェアしようとしているのだ。
少しでも彼を知っている人間なら、
いかにも川相のやりそうなことだと思うだろう。
ここでも、また、地味で一所懸命で熱いのである。

ぼくは、この川相選手のホームページを、
偉いの立派だのとほめそやして終わるつもりはない。
ある高度な技術を獲得した「職人」の、
限界と可能性を考えるための、
ひとつのケーススタディなのだと思うのだ。

個人の技術で生計を立てている人たちを、
職人と呼んでいいと思う。
芸人も、工業的な技術者も、スポーツ選手も、
みんな職人として技術を磨いて
さらに高度な位置をめざし収入を得ていく。
そして、年齢が加算されるにしたがって
円熟味を増していくとはいえ、
どこかから、その個人の発揮する技術は、
「前の時代のもの」として陳腐化していったり、
もっとエネルギーのある若い世代に
取って代わられていくのが宿命である。
スポーツ選手の場合など、
肉体が老いていけば技術は発現できなくなるし、
俳優でいえば、若者を演じることはできなくなる。

個人の体内に蓄えられた知恵や知識や技術は、
その個人の体内に死蔵されてしまう可能性が、
とても高いのである。
「徒弟制度」の時代には、伝えられた技術は、
「競争社会」では秘密にされたまま
消えていくことが多くなるだろう。
(プロ野球界で天才的な職人として活躍し、
競争社会であることを存分に意識しながら
生きてきた落合博満の技術は、
永遠に開示されないままなのだろうか?)

鳥越俊太郎さんが、ことあるごとに言う
「生産の現場が脆弱になっている」日本というのは、
個人に蓄積していく技術が伝承されにくい
「半端な競争社会システム」に
遠因があるのではないだろうか?

職人の個人的な市場性は、
確実に衰退していく。
プロ野球の選手はメディアの下請けとしての
解説者という就職口を探すか、
指導者や指揮者としてプロ野球界に残る道しか、
考えられないのがいままでのケースだったと思う。
だが、野球が好きで野球について詳しくて、
野球の指導をする力量のある職人たちの道は、
他にもあるのではないのだろうか?
その答えは、まだ見えてはきていないが、
案外、この川相選手のしていることの先に、
なにかがあるのかもしれないと、
ぼくは期待している。

しかし、川相さん、いくら基本に忠実でも、
「野球」についての資料を辞書的に掲載するのは、
ちょっと地味が激しすぎますぜ。

「精密野球工学」はこちら↓
http://www1.neweb.ne.jp/wa/hanjyouan/Baseball.htm

2000-02-21-MON

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