ITOI
ダーリンコラム

<絶対のおすすめ本>

こういう言い方は、ちょっとないですよ。
「絶対」なんてつけちゃってるもん。
よろしかったら、とかじゃないんだもんね。
その理由のひとつは、648円という価格にもある。
いくらいい本だと思っても3800円とかだと、
絶対とは言いにくくなっちゃうもんね。
いや、ほんとにいいんだったら5000円でもいいけど。
やっぱり、買いやすいってのは、薦める方も気が楽。

もったいつけないで、まずは書名から。

『情報の文明学』 梅棹忠夫・著
         中央公論新社(中公文庫)
         ISBN4-12-203398-5

現代社会を語ったり考えたりするための
「幹」になる本だね。
枝も葉もいっぱいあるだろうけれど、幹ってすごいんだよ。

よく耳にしたり目にしすぎて、
通りすがりの看板みたいになっちゃったコトバのひとつに、
「情報社会」ってのがあるでしょう。
みんなわかったような気になっているし、
わかっているに決まっているという前提で、
その次のイメージを考えようとしたりしているけれど、
ほんとは、かなり理解するためにはむつかしい概念だった
はずなんだよね。
「情報社会ってことがわかっていたら、
そんなことは言わないでしょう?!」ってことを、
けっこうエライ人から町の人まで、
けっこう当たり前のように語っているよ、いまでも。

第一次産業といわれる農業中心の社会から、
第二次産業という工業社会に移っていった。
この歴史については、みんなけっこうわかるんだよ。
もう、ある意味で「終わっていること」だから。
でも、その工業社会が、
かたちのないものを中心にした「情報社会」へと、
必然的に変化していくなんていうなんてことは、
やっぱりリアルにイメージしにくくてもしょうがない。
「コンピュータが食えるか、固くて」だとか、
「ソフトがどうした、ハードがなけりゃただの幽霊だ」
「所詮虚業は虚業、実業の寄生虫だ」とか、
「景気が悪いから広告費から削減だ」とか、
過渡期ならでは発言にけっこう説得力を感じてしまうのも、
仕方ないことだと思う。
だって、いまだに政府の景気対策といえば、
建設事業の予算を増やすことだったりするしねぇ。

決定的に前の時代とちがう次の時代を、
前の時代に育ってきた人間は、理解しにくくて当然なんだ。

だけど、そう言っているうちにも、
時代は変化しているわけで。
情報産業を中心とした第三次産業の就業人口は、
数え方によってもちがうんだろうけれど、
日本全体の65%になっている。

現実がすごい速度で、変化してきているのに、
それに気がつけないのが人間だ。
工業社会に生まれ育ったら、
やっぱりその社会の論理で育つものだからね。

ところが、天才っていうのはいるもんなんだよねぇ。
あきれたちゃいましたよ。
この「知的生産の技術」でもおなじみの
梅棹忠夫先生という方は、なんと、
1962年に、いまの情報社会を予言した論文を
発表していたわけなんですよ。
東京オリンピックより2年も前に、
日本が工業的発展もできていない時に、
テレビなんかカラーテレビは高くて買えない時代に、
「はなまるマーケット」の薬丸くんが生まれてもいない時に
「情報社会」ってのが来る、と。
それは、どういう考え方をすればわかるかということも、
具体的にどういうイメージの社会であるかも、
ぜんぶ書き切っちゃっているんだよ。

アルビン・トフラーの『第三の波』が1980年だよ。
その20年も前に、「情報産業論」ていう論文は、
書かれていたんですよ。
1962年には、たぶん東京の首都高速だって、
できあがってなかったと思うよ。

しかも、この本のなかには、
クリエイティブの価値をどうとらえるかという、
ぼくらがいま頭を悩ませている問題への、
基本的な「解答の試案」まで書かれていたんだよ。
現代の新しい組織論に近いことも、
「放送人」についてしるした部分にあるしなぁ。
さらに、農業から工業へ、そして情報産業へという
進展のイメージを、
内胚葉、中胚葉、外胚葉という発生学的な比喩をつかって
説明したりもしている。
つまり、生きることそのものを保証する『食う』ことを
中心とした食料生産時代としての農業社会が、
内胚葉的な時代とすれば、
食うために「取る」「作る」の工業社会が中胚葉期。
そして発生学的には、次は「感覚」を中心にした
情報社会が、外胚葉期のように来るはずである、と。

ああ、ぼくみたいにへたな紹介で、
読者が「そんなもんか」と思っちゃったら困るなぁ。
とにかく、もう、なんつーの、
「ほぼ日」の基礎的教科書として採用したいくらい、
大事なことばかりが短くわかりやすく書いてあるのよ。
全国民に国家予算で配布してもいいんじゃないですか?
これだけのことを、ちゃんと理解している国民が、
次の時代をつくるよ、かならず。
工業社会型の教育や、企業理念で、
ずいぶんブレーキをかけられている創造力も、
きっと解き放たれると思うなぁ。

ま、一冊の本でなにかが変わるなんて思うのは、
学生っぽすぎるけれど、
「なーんだそういうことだったんだなぁ」と、
いま生きていることが簡単になるだけでも、
大きな価値があると思うなぁ。

なんの義理も利権もからんでませんけれど、
「情報の文明学」という本が、
まちがったように急に10万部くらい売れますように。

2000-01-04-TUE

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