ITOI
ダーリンコラム

はじめからいつでも言い訳できるように、
「ほぼ」日刊と宣言しておいたにもかかわらず、毎日、
しっかり更新を続けているではないか?!

平均の睡眠時間は、絶対に5時間以下だ。
2時間とか3時間しか眠れない日も、かなり続いていた。
そういう時には、よくないことに
眠らないことが自慢になってくる。
これを、ぼくは「不眠ナルシズム」と名付けている。

一生懸命な俺、に、ちょいとうっとりしてしまうのだ。
ばかだね。
でも、そういうことが間違っているということぐらい、
年の巧でわかってはいるわけよね。

だから、がつがつしないでゆっくりやっていこうよ、と。
言いたいのだけれど、
どうもそういう気分にもなれないでいる。
おもしろすぎるのだ、毎日の仕事が。
理由はいくつかある。すべてはわからないけれど、
いくつかなら思いつく。

1最終的な決定が、
 じぶんたちの話し合いでできること。


 思惑も政治もなしに、
おもしろいからおもしろいということで、
いろんなことを決められる。
時には、「つまらないけど、それでもいいや」
なんていうとんでもない判断も
ありうるわけだ。この次はがんばろうぜ、なんつってね。
原稿と、編集部の関係が 
親子みたいなものなのだ。

2文章なんか書いたことないという人たちが、
どんどんバケていくたのしみ。


ものを表現することをなめてはいけないとは思う。
しかし、厳しく修業をしなければ
表現ができないということではないだろう。
どう言うか、については、だんだん上手になればいいんだ。
なにを言うか、なら、誰だってできるはずだ。
はやい話が、キティーちゃんの人形をみて、こころから
「かーわいいーっ!」と思ったのなら、
それは表現として成立していると思う。
思いもしないで書いた上手風の文章より、
思いはあったのだけどうまく言えなかった文章のほうが、
ぼくには気持ちがいい。 
わかることだけ感じたことだけ書けばいいじゃん、
というだけで、
みんなが筆者になっていく。
これを見ているのがたのしくてしかたがないのである。
(じぶんについても、それは言えるね。
 プロのはずなんだけど)

3たのしみにしてくれる人が、もう現れているということ。

しばらくの間は、誰にも知られなくってもいいか、
と思ってはじめたのだけれど、
意外なところから「たのしみにしてます」
なんて言われる。
感動しましたでも、よかったですね、でもない。
「たのしみ」を作っているという実感は、
ぼくにははじめてのものだ。
おいしいコロッケ屋のおじさんになったような気分なのだ。

4関わってる人々が、たのしそうであること。

ほとんどただ働きで、
きつい仕事をさせられているはずなのに、眠い目を
しながらも、みんながいきいきしているのがわかる。
しかも、それぞれのスキルが、
じわじわと見えるほどの速度で
アップしているのだ。
ま、これは、これから疲労がたまってきたときに
どうなるか、心配な面もあるんだけどね。

こんなとこかなぁ、いま思いつくのは。
まだまだ、あちこちに
ご迷惑もたっぷりかけているはずだし、
新婚時代みたいなところにいるせいで、
いいことばっかり見えているのだろうが、
いまは、とにかく、
「ほぼ」の特権を活かす余裕がないのです。

でも、どっかで、あえて更新を休みますから、
たのしみに待っててね。

1998-07-03-FRI

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