ITOI
ダーリンコラム

このごろ、たまに「みうらじゅん」先生に会うようになった。

学生だった頃からのともだちなので、
先生と冗談で呼んでみるのだが、
ひょっとすると、本気で先生と呼んでるひとが、
ぼくのことを失礼なやつめと思うのかもしれない。
時は過ぎゆく、である。

彼のデビュー間もない時期の本が見つかったので、
ぱらぱらめくっていたら、
「原案・糸井重里」とあって、
さらにぼくが「あとがき」まで
書いているではないか。

忘れてたよ、10年以上も前のことだもの。

ぼくは、「あとがき」で、この本の(「原作」ではなく)
「原案」という妙な立場をとっている自分について、
なんだか生真面目な文章を書いている。

『三浦純という青年は、ヘタでもドジでも、
ひとりでやっていくべき人間なのではないか。おそらく、
私はそういうことを感じていたと思うのだ。
たとえそれが、
カマボコの板にフェルトペンで書いたようなものでも、
三浦純には自分だけの看板が似合うのではないかと、
いまも私は思っているし、
たぶんあの頃もそれに近いような気持ちを抱いていたはずだ。
二十三だか四だったか、
それくらいの年齢の美大出身の青年が、
小さいとはいえ自分の看板を掲げて仕事をしていくというのは
たいへんなことではある。
どんな失敗も、他人のせいにするわけにはいかないのだし、
あらゆる間違いは借金として
青春のエネルギーを食いつぶしてしまう。
しかし、すべての栄光は誰に恥じることもなく
自分ひとりのものであると
宣言できる権利を持つことができるのだ。
三浦純がどっちに転ぶか、私は興味を持っていたのだと思う。』

カマボコの板にフェルトペンで書いたような看板。
ぼくは、そういうものをぶらさげたまま、
ここまで生きてしまったし、
三浦君も、ほんとにそんなふうにやってきた気がする。

こういう考え方を、
いまのぼくは必ずしも正しいとは思わないが、
「負けるな、カマボコ板!」と、
いまでも本気で思ってしまうのだ。

就職のシーズンに、面接問答集を片手に、まじめに
演技の練習なんかしている学生を、
おりこうちゃんだとは思うが、
いっしょに遊ぼうとは、言いにくい。

みうらーっ、コンピュータ買えよォ。
もう、酒もいっぱい飲んだだろ。
新しいことして、遊ぼうぜ。

1998-06-23-TUE

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