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ダーリンコラム

<大事にするものがほしい>

大事にするものがほしい。
なんか、いまって、そういうことを、
みんなが無意識で思っているのではないだろうか。

つい最近、ぼく自身が小さなアクセサリーを手に入れて、
それがうれしくてたまらないのだ。
あきっぽい人間だし、
ものを大事にすることが、あんまり得意でないので、
いつか「ああ、あれね、どこかにしまってあるよ」なんて、
しらっと言うのかもしれないけれど、
いまは、そのアクセサリーを持ったことが
うれしくてたまらない。

いつごろだったかも忘れたけれど、
なにかの本で、アメリカの先住民たちは、
「自分の石」を持っていて、
それをとても大事にしているのだというような話を読んだ。
その石というものを、それぞれの人が
どういうふうに手に入れるのだろうか、とか、
石の材質やカタチに、なにか条件はあるのだろうかとか、
本人が死んだら、石はどうなるのだろうか、とか、
知りたいこともたくさんあったのだけれど、
誰かに質問することもなく、そのままになっていた。
ただ、「自分の石」というコンセプトは、
とにかく気に入ってしまって、
なにか自分にとっての
「自分の石」みたいなものがほしい、
と、いつも思っていた。

コレクションとかにはあんまり興味のないぼくが、
ちょっとした化石をほしがる気持ちのなかには、
「大事にするべき理由」がある、のかもしれない。
そういえば、エジプトのピラミッドのある場所には、
たくさんのピラミッドのかけらが落ちていて、
それを拾ってきたこともある。
「簡単につくれない、大事にするべきもの」が、
たぶん、ぼくなりに欲しいのだろう。

いま、身の回りのほとんどが、「粗末にできるもの」だ。
使い捨てのさまざまな商品はもちろんだけれど、
無くしてもすぐに同じようにそっくりのものが、買える。
そんなものばかりに囲まれている。
大量につくられる、大量に買える、大量に捨てられる。
そういうものが、ほとんどになってくると、
「粗末にできるもの」だけしか見えなくなってくる。
おそらく、昔々には、
「粗末にできる」ことというのは、
快感があったのではないだろうか。
あらゆるものが粗末にできない場合には、
なにかを粗末にできることが、
ぜいたくの極みだったと思うのだ。
しかし、いまの時代に「粗末にできる」ことの快感はない。
へたをすると、何もかもが粗末にしたりされたり
し合っている状況を見ていて、
自分が粗末にされていることに気がついて、
落ち込むくらいが関の山かもしれない。

しかし、そういう時代だからこそ、
なにか「大事にするもの」がほしくなるのだ。
考えようによっては、恋人がほしいと思うのも、
「大事にするもの」がほしいということなのではないか。
異性に何かしてもらおうと思ったら、
ほとんどのことは、お金で済むことばかりである。
しかし、それでは、やっぱり「粗末にできる」のだ。
たいていの人は、それではいやだから、
ほんとに恋人がほしい、と思うのだろう。
家族だって、「大事にするもの」だ。
かけがいのない家族というやつは、実は、
「なければめんどくさいこともないのに」と
感じさせるくらいにコストの高い「大事にするもの」だ。
しかし、だから、それがほしいのだ。
犬や猫やらの、ペットも「大事にするもの」だ。
これも、めんどうと言えば、実にめんどうだけれど、
「大事にするもの」がいる、という気持ちは満たされる。

仕事の相棒としてコンピュータを使っている人は、
たぶん、かけがえのない「大事にするもの」として、
自分のマシンをかわいがっているにちがいない。
宝石や腕時計を「大事にするもの」として、
買い集めている人たちは、買い物というよりは、
プロポーズをしているような気持ちで
宝石や時計に接しているのではないだろうか。
こういう場合は、お金で買えるけれど、
「粗末にできる」ものではないということになるだろう。
サッカーの大ファンが、ある日に観て感激した試合は、
カタチこそないけれど「大事にするもの」だろう。
片思いの人からかかってきた電話は、
内容の如何に関わらず「大事にするもの」にちがいない。
親に向かって悪態をつくアホな子どもも、
親には「大事にするもの」である。

そうなのだ。めんどくさかろうが、はかなかろうが、
「大事にするもの」がある人は、うれしいのだ。
クールに、効率的に、あらゆるものを
「粗末にできるもの」として扱えるくらいの、
大権力を持ったとしても、それは、
あんまり、うれしくないことなのかもしれない。

「粗末にできるもの」として売り出していく商品や、
会社や、人間も、あるような気がする。
そのほうが、使ってもらえる機会が増やせそうだからだ。
しかし、そこからやがて「大事にするもの」に
変化していかないかぎり、ただただ便利に粗末にされて、
捨てられるだけなのだと思う。
値下げ競争だとかも、そういう目で見ると、
わかりやすいような気がする。

いまの時代、ほんとうにみんなが欲しがっているのは、
やっぱり、その人の「大事にするもの」なのだ。
それを想像しながら、しばらく過ごしてみる。

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2005-11-14-MON

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