〈2015年10月22日の今日のダーリン〉

・昨日、定期的に送られるようにしていた
 あるサプリメントを解約した。
 これは、何年も続けていたものだった。
 送られてくるときについてくるさまざまな印刷物にも、
 ネットに掲載されている案内ページにも、
 「解約」についての方法は見つからなかった。
 探して探して、ようやくこれかなと思えたのが、
 「お問い合わせページ」、というものだった。
 ここに、数量の変更やら支払い方法の変更などとともに、
 「解約等」という文字が見えたので、
 「問い合わせ内容」という項目のところに、
 「○○○の定期お届けコースを解約します」と記した。
 ほんとうは、問い合わせをしているつもりはないのだが、
 そういう形式でしか解約のメッセージを伝えられないので
 しかたなく「問い合わせ」したということだ。
 だいたい一日経ってから、
 「お問い合わせありがとうございます」
 という内容の返信があった。
 よく読むと「ご解約を承りました」いう内容もあった。 
 これまで、何度か解約をしようと思っていて、
 先のばしになっていた理由は、この面倒くささだった。
 やっとここに至って、晴れ晴れした気分ですらある。
 
 以前にも、ある個人の有料メールマガジンの購読を、
 やめようと思って、その手続きをしようと思ったら
 どこにも解約の方法が記されていなくて、
 どうしたらいいのかと尋ねるメールを出した。
 むろん、購読中止はできたのだけれど、
 なんだか、あんまりよくない後味になった。
 
 「出口」がはっきりしていないということは、
 定期的につきあっている人を放さないためには、
 都合のいいことなのかもしれない。
 しかし、「出口」を見えにくくするのはだめだと思う。
 宗教や政治の結社のようなものの場合は、
 「出ることは考えられない」ようになっていそうだが、
 商業やらビジネスやら趣味やらのつきあいというのは、
 「退席はご自由に」のよさがあるはずなのだ。
 「出口(やめ方)」を明るくしていないものとは、
 あんまりつきあわないようにしようと、ぼくは思う。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
「ほぼ日」は、入口も出口もありません。入口が出口かな。