・ぼくは、ぜんそくで苦しんでいたことがあるので、
 多田富雄さんの『免疫の意味論』という本が出たとき、
 なんだかからだに染みこむような感覚で、
 読んだおぼえがあります。

 免疫について研究してきた学者である
 多田富雄さんの最晩年を取材した
 ドキュメンタリー番組のエンディングに、
 ご本人のこんなメッセージが流れました。
 ほとんど全身の筋肉が動かせなくなっていて、
 特殊なマシンを使ってしぼり出したことばでした。
 <長い闇の向こうに何か希望が見えます。
  そこには寛容の世界が広がっています。予言です。>

 免疫というのは、
 落語のご隠居さんみたいな言い方をすれば、
 「おのれを守るために、
  外からやってくる悪玉を攻撃するしくみだな。
  ぜんそくのようなアレルギーというのは、
  いわば入ってきた通行人を、理不尽に攻め立てて、
  町に火を放って焼いてしまうようなことだな」
 というようなことになるのでしょうが
 (‥‥専門知識のある方、ご容赦を)
 「免疫寛容」ということも、あるんですよね。
 こっちは、ご隠居の説明はうまくできないんですが、
 無理にいえば「よろしいではないか」ってことかなぁ。
 「ここらのものを攻撃しちゃいけないよ」、というか。
 つまり、寛容、許し受け容れることが、
 人体のしくみに含まれているんですね。

 これを、多田富雄さんという人が、
 「長い闇の向こう」の「希望」として語った。
 そのことを、ふと、正月休みの間に思い出したんです。
 「寛容の世界」かぁ‥‥。
 たぶん、そっちのほうがうまくいってる、ということを、
 ゆったりと証明していかないと、
 お気楽な夢物語みたいに思われちゃうんだろうな。
 きっと、いまはまだ「長い闇」のトンネルのなかを、
 ぼくらはまだ走っているでしょうからね。
 

(2011年1月5日「今日のダーリン」より)