DAD
昼間のパパは、男だぜい!

第1弾 
「なーにがタイタニックでぇ怒濤篇」

偶然、銚子の寿司屋で、見せてもらったこのビデオ。
スケソウダラの漁をする船が、荒波に揺さぶられながら、
大海を突き進む場面が、あんまり凄くて、
ダビングしてもらってきました。
もう、制作したチームも解散しているそうで、
「インターネットでの放映」の許しもいただいたので、
特に凄い場面だけでもリアルビデオで流すことにしました。

プロのカメラマンでは撮影ができないので、
仲間の漁師さんがカメラを回したそうです。
こうやって、獲った魚を、みんなは食べているのさ。
映画の特撮シーンなんて、これに比べたら、
なんでもないっつー感じです。
ぼくは、観ているだけで船酔いしそうでした。

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洋上録画
北転船操業記録
「極限の漁場」
1988年(昭和63年)1月

上のタイトルからしてスゴイです。
ひらがなは“の”しかありません。
ビデオ映像は下の2種類です。
インターネットへの通信速度に応じて、
(28.8kbpsバージョン)か(64kbpsバージョン)を
クリックして「極限の漁場」を旅してください。

Real Video・その1
「全速力で移動中の第52萬漁丸」
(28.8kbpsバージョン)
(64kbpsバージョン)

Real Video・その2
「第52萬漁丸、発達中の低気圧に遭遇!」
(28.8kbpsバージョン)
(64kbpsバージョン)

RealVideoのお知らせ
インターネットへの接続速度が速いひと
(ISDNや、専用線)は、「64kbpsバージョン」を、
遅いひと(アナログモデム使用)は、
「28.8kbpsバージョン」をクリックしてください。

「リアルビデオ」ってナニ? という方は、
ここ(「プラグイン幼稚園」)に解説があります。
簡単にいうと、テレビのような「動く・音のでる」
画面が現れるようにする仕組みです。

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「極限の漁場」のナレーションから……。

ベーリング海は年間をつうじ強風が吹きすさみ、
あるいは、濃霧が一面をおおいつくす過酷な自然条件です。
しかし、一見不毛と思われるこの海も、
無限と思われるほどの海洋食糧資源に支えられ、
予想外に豊かな自然の海でもあるのです。

毎年冬になると、このベーリング公海は、
外国漁船のたまり場になるのです。
韓国、中国、日本、ソ連船団など、
漁場は戦場と化すのです。

夏でも摂氏15度ていどまでしか上がらない、
このベーリング海を舞台に、
自然条件の厳しさのなかで戦う人と魚の物語。
ベーリング海は荒々しく危険な海ではありますが、
私たちに豊かな海の幸を与えてくれる
恵みの海でもあるのです。

第52萬漁丸(北方トロール機船)は、
昭和62年12月27日、家族に見送られながら浦河港を出航。
スケソウダラを求めての出航である。

しぶきの中に
様々な想念が浮かび
からみ合い 消えてゆく……

ねむりなき 熱い血は
魚影を追う
男達の叫びなり……

北洋の本当の厳しさを知らない人にとっては、
なにもかも幻をかきたてる光景だと思います。
北の海の長い冬、この海に生きて数十年。
いく人もの尊い人命がこの海に消えていったことも
忘れてはならないのです。
人間の予想をはるかにこえる自然条件の危険な海。
私たちは今日この日に感謝して、
安全な航海と大漁を念願し、
そして、第52萬漁丸の乗組員のご健康を
ご家族ともども祈っているのです。
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制作スタッフ
撮影   通信長:佐藤常夫
撮影協力 斉藤実
演出助手 甲板長:千葉良夫
照明係  機関員:内山啓二、若林哲郎、司厨長:田村忠孝
事故防止担当 船長:竹林重義
助監督  機関長:小林三明
総監督  漁労長:小笠原照一

協力 第52萬漁丸乗組員御一同
参考資料 海員誌、その他
音楽 海道3万キロ南極物語
制作協力 釧路ビデオセンター

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どうだ! まいったか!
つーか、凄い世界でしょ。
東京湾にカワハギ釣りに行ったくらいでゲロゲロ吐いて、
蝋人形だか地蔵になってたオレらはいったいなんなんだ。
こーいう映像見ちゃうと、おかずの魚、残せないよね。
あと、プロカメラマンじゃ撮影できないんだよ。
あの無間地獄のなかじゃ、人間もたないって。
制作スタッフが乗組員じゃなきゃダメってのが、
すごく納得できますね。

1999-02-05-FRI

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