COOK
調理場という戦場。「コート・ドール」の斉須政雄さんの仕事論。
最新の記事 2006/05/15
 
第28回 想像力が料理をつくる

味覚は生理で納得するものです。
言葉ではわかってもらえません。

体にすりこむように
慣れ親しまなければならない。

お客さんの料理への理解は、
すこしずつと覚悟しなければなりません。

「ファミレスやコンビニの
 まがいものの食事を
 おいしいと感じてしまっていた」

ぼくは、こういうかたにも、
ゆくゆくは摂理に即した
料理の真価を理解していただきたいのです。

時代の潮流が機械を選んだので
少数派かもしれませんが、
自分たちの料理がいいと思っていますから、
食べてもらいたいのです。

お客さんが
料理の本質に至るまでには時間がかかります。

一晩の料理だけでは
料理の全貌を垣間見ることは
できないかもしれません。
それでもわかってもらえるように
行動しなければならない。

味覚の前提から
伝えなければならないときもある。
自己満足にひたってはいられません。
レストランとして
生き抜いていくべきなのですし。

ただ、
マスコミにとりあげられることには、
注意しなければなりません。

たとえば、
テレビで料理人やレストランが紹介される。
見ていると、善意からの特集でさえ、
短時間で起承転結をつける
ある種の「やらせ」が混ざりがちなのです。

あるがままの姿は
途方もない長時間の平凡な蓄積にある。
切り捨てる細部にこそ真骨頂がある場合が多く、
なかなか映像にできないのではないですか。

ぼくは自分の頭で
ものを咀嚼したいので
映像よりも文章のほうが好きです。
文章には映像がついていないので
想像して理解するしかない。
脳天に飛びこんできます。

想像力が料理を作りあげます。

想像力の奥ゆきは
「ひとりの時間にものを思う分量」
にあるとぼくは生理で感じています。

若い人がいいのは
「ひとりの時間にものを思う分量」の多さを、
生活に丸抱えしているところなのです。

仕事が終わり、
ひとりの部屋で孤独に
あれこれその日のことを考える……
これがあるからこそ翌日に調理場で
「昨日のことを考えてきている」
と思える言動に出会うのです。

反芻するように
想像や反省を重ねる時間こそが
料理人を作りあげるのではないでしょうか。

ぼくは家庭を大切にしていますが
ときどき彼らのように
圧倒的な孤独な時間を重ねたくなります。

世の幸福が家庭のだんらんに
代表されているのはわかるし、
若い人は若い人で孤独を
イヤに感じているとわかりますが、
そこで学ぶもののおおきさは、
ものすごいものなのですね。

(次回に、つづきます)


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