COOK
調理場という戦場。
コート・ドールの斉須さんの仕事論。

第19回 間にあわない料理は、意味がない。


先行販売は、いよいよ終盤にはいりました。
たいへんご好評をいただいていること、
重ねてお礼をもうしあげます。
おそらく、数日中に、注文が終了いたします。
よろしかったら、ぜひ、
先行発売のページを、訪れてくださいね。

読みおわったあと、不意に大切な人に
「ねぇねぇ、今日、こんな本を読んだんだけどさぁ」
と言いたくなっちゃう本・・・
そんな風になっていたら、いいなぁと考えています。

今日は第6章からの抜粋紹介をしたいと思います。
ちょっとした言葉がかなり「効く!」ところなので、
もしよかったら、ゆっくり読んでみてくださいね!!

アイデアを実用化するということについて、です。
毎日具体的なものを生み出す工房にいるからこその、
アイデアと生産と組織との関係が語られてゆきます。





<※第6章より抜粋>


アイデアを思いつくことはとても大切ですが、
そこからが仕事になるのです。

アイデアの仕事量が一だとしたら、
そのアイデアが使えるか使えないかを見わけることに
一〇ぐらいの力が要るような気がします。
そして、最も大切な
「アイデアを実用できる生産ラインを作ること」には
、一〇〇ぐらいの力を必要とすると感じています。

アイデアは、実用化なしでは生きられない。
やれたかもしれないことと、
やり抜いたこととの間には、大河が流れている。

そして、料理を実用化するというのは、
自分が作れるという意味ではなく、
チームで生産できるようになるということです。
戦場のような忙しさの中で、他の料理の合間に
責任を持って作ることができるかどうかは、
とても大切なことでしょう。

料理人の意識としては、
「まばたきの間に、サービスは終わる」のです。
サービス中に、他のことを
すべて放っぽりださないとできない料理は、
どんなにおいしくできあがっても
「こんないい料理はできないだろう?」
というシェフの自己満足に終わります。
それでは、ほかのスタッフに
仕事のしわよせが行くだけです。

料理は一皿では終わらない。
だから、スタッフが力を合わせれば
無理なく生産をできるようなラインづくりまでが、
料理長の役割だと思っています。
調理場でのクリエイターの仕事は、
「商品化まで至って、
 はじめてなしとげられたと呼べるもの」
ではないでしょうか。

アイデアの核をわかっていれば、
シンプルに伝えられるとぼくは思います。
自分を誇示するために
発見したことを複雑怪奇に話す人も世の中にはいます。
しかし、実際に優れた料理人は
そういうことはしないでしょう。
そうする理由と必要がない。

自分が見てきた中で言いますと、
一流の料理人ほど、手順を非常に
シンプルに捉えているような気がします。
そうじゃないと、サービスの時間内に
作り上げることができませんから。

間にあわない料理は、意味がない。

ただでさえ何が起きるかわからない
サービスの時間帯なのだから、
既にわかっていることは
できるだけシンプルに伝えておかないと、
いざという時にパニックに陥りますよ。

「資本がないから事業が思わしくない
 という声をよく聞くが、
 それは資本がないからではなく、
 アイデアがないからである。
 よいアイデアには国境がなく、
 よい製品には国境がない。
 どの時代にも残るのは、独自の技術と製品だけだ。
 そして、うまくいっていない会社には、
 何よりも新規の開発や開拓がない」
これは本田宗一郎さんが著書に書かれていたことの中で、
ぼくなりに覚えている言葉です。
ほんとうにそのとおりだなぁと思います。

資本がないからというのは言い訳にすぎない。
アイデアがあればみんなが愛してくれる。
どこの国の人にも愛される。
すばらしい言葉です。ことあるごとに反芻しています。

新しいものを作ることで、マーケットができあがる。
マーケットに合わせるのではなくて、
マーケットを生みだすことが大切であって……
だから今日も、
いままでやったことのないことを試してみるしかない。

独創的なものは、
それほど遠く離れたものではないように思います。
高貴なアイデアでさえ、
一般的なもののすぐそばにあるはずです。

それまでにあるモノと、どこかで接点を見つけながら、
少しずつ発見をしてゆく。独創性を出していく。
一般性と独創性とのきわどい接点を見極めたものが、
ぼくの見つけたいものなのです。
独創性とありふれたものとの境界線にある商品こそが、
求められ、受け入れられるのですから。

独創性は、ふつうの人が
「あれを、マネしたい」と思うような気持ちから
かけ離れてしまうほどではいけないと思います。
それでは、誰も飛びついてくれないものになるから。
需要のないものは、商品にはなりません。

おおげさできらびやかで細工に凝ったものだけを
お客さんに提示してはならないと考えています。
もっとホッとするようなものを渡したい。

いまコート・ドールで出している野菜の煮込みは、
実はかなりの手が入っていて、
作るとなるとけっこうな技術が要るのですけれども、
「あ、これならわたしも作ることができるかもしれない」
と思いながら、お客さんは食べてくださっています。
それが大切なのです。

食べおわった方に、
「斉須さん、あの煮込み、とてもおいしかった。
 今度わたしも作ってみますね」
と言っていただけるのは、とてもうれしいです。
二週間ぐらいして、
「できなかった。
 鍋に入れてやわらかくなるまで煮込んだら、
 グシャグシャになっちゃった」
と言われたりもします。
やってみてはじめてわかる難しさなんです。

結果として「いいな」と思える歯触りのためには、
火を落とす時間を決めることと同時に、
火を止めてからどのぐらい加熱調理が進行するかも
把握しておかないといけない。
どこでブレーキをするかを
結果から逆算することこそがいちばん重要なので、
煮込みのタイミングをはかることは
難しく熟練を要するのです。

アイデアに日常性をすりこませることで、
お客さんと
コミュニケーションを取ることができるんですね。
超絶技巧の積み重ねだけでしか
できあがらないものを出していては、
お客さんは疲れてしまいます。

それに、味は「加えるもの」というよりは、
本来、自然に素材から「わきでるもの」のはずです。
味を飾りたてることは品格を失うことにつながる。
もしもできるものならば、ぼくは飾りを、
持ち味の一歩か二歩手前で抑えておきたい。

そうすれば、食べ手の中には、
絢爛豪華な料理を口にした時よりも、
数段も切れのよい思いが残っていくのではないでしょうか。
そのように料理された素材は、
自らを上等そうに見せているのではなく、
ほんとうに上等な姿でいるのですから。

あとは、自信を持ってお客さんの席に行けばいいだけです。



             (『調理場という戦場』より)





(※こちらの単行本先行販売ページも、
  ご覧になってくださるとうれしく思います)

2002-05-27-MON

BACK
戻る