COOK
調理場という戦場。
コート・ドールの斉須さんの仕事論。

第16回 時間と生き方が、才能のサポーター。


今日から、ほぼ日紙上で、
『調理場という戦場』の先行発売をはじめております!
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「本のカタチで、いちはやく読んでいただきたいなぁ」
という気持ちで一杯になりながら、
今回の抜粋紹介をお届けいたしますね。

前回は、数店経たのちの第3章をご紹介したのですが、
今回ご紹介するのは、更に最近のお話になります。

第7章。
いよいよ東京で「コート・ドール」を開店することを
決意をした前後の話を伺っている場所です。
どうぞ、じっくり読んでくださいませ。





<※第7章より抜粋>


才能というもののいちばんのサポーターは、
時間と生き方だと思います。
才能だけではだめだと思うのは、
「時間や生き方なしでは、
 やりたいことの最後までたどりつかない」
とぼくが感じているからなのです。
仕事に合った生き方を持続できるかできないかが、
才能の開花するかどうかの
別れ道を決定するように思います。

生き方は才能が発芽するための
バリアのようなものでしょう。
どういう意識で道のりを走ってきたかによって
与えられるごほうびが、成就する夢なのだろうと思います。

「この人は、すばらしいのではないだろうか」
そう感じられる人なのに、
うまくいかなくなってしまうという例は何人か見ました。
うまくいかなくなってしまうのは、
栄養のような生き方を
自分に注いでいなかったからなのではないでしょうか。

若い頃の才能だけで押しきることのできることは、
少ないのではないかと思います。
生き方をスパイスにして
積み重ねたものこそが大事だと思います。
才能はプレイヤーから湧き出てくるものですが、
生き方はトレーナーから影響を受けるものが多いでしょう。

プレイヤーとしての意見と
トレーナーからの意見のふたつの大きなブレが、
経験というフィルターを通して融合する……
そうして生まれるものが、
ほんとうの才能だとぼくは考えています。

料理の世界に入ったあとに、それこそ
何十年も仕事をやって階段をのぼってゆくのだから、
その間に才能を生かしてくれる人に会う。
場所に恵まれる。
そういったトータルな生き方が加味されるわけです。
好きという無垢な心を持ち続ければ、
きっとうまくいくのではないでしょうか。

才能だけをふりまわして
無残にやられてしまう人たちを見てきました。
いまも、いっぱいいることでしょう。

ある程度の実力がつくまでは無傷でいないと、
思いきり才能を開花させるまでにも行き着かないものです。
そうやって、ほとんどの人間は、芽を摘まれていく。
生き方を伴った才能の操縦ができないあまり、
上から押さえつけられてやられてしまう人が
実は、とても多いような気がします。
手仕事の分野では、特にそういう面があると思う。

だから、いいものを持っているなという人に会うと、
才能だけを先に出して急ぐことはないんだよ、
と言ってやりたいような気持ちになります。
それよりも、生き残っていて欲しい。
毎日研磨していないと技術は育たないし、
何よりも、リングから去ってしまえば、
もうこちらの現場には、戻ってこれないのだから。

レストランの中で必死になっている時期には、
ぼくは自分のことだけでも、手一杯でした。
並走している人が
いつのまにいなくなっていることがよくありました。

自分も、
まだ手が届かないレベルの所に行きたいと願っていた。
走っていた。並走している人も必死だった。
だけど、レースの道から逸れてしまった。
もう戻ってこない。
常にリングの中にいないと、
才能を開花させるための時間を積み重ねられない。

自分にしても、
能力を持ちあわせていたわけではなかったけれども、
いつもリングの中にいました。
調理場で毎日仕事をしていたら、
さいわいにいつも、迷った時に
「斉須、こっちだ」
と言ってくれる人が出てきてくれたのです。
ぼくは、「はい」って、素直についていった。

フランスで、日本から食べ歩きに来ていたオーナーから
「斉須くん、きみが日本で仕事をやるのを、お手伝いしたい」
と言われた時も、考える時間はいただいたものの、
結局、「はい」って。
それでぼくはコート・ドールで働くことにしました。

最初は、やっぱりこわかったですよ。
いつ、ちゃぶ台をひっくり返されるようなことが
起こるか、まったくわからないから。
そういう例をたくさん見聞きしていましたし。

フランスには、日本からたくさんの人が、
人買いのように料理人を探しにきていましたからね。
誘われた中でひとりの人に決めて
ついていった理由は明確にはなかった。

このあたりは、そうですねぇ……
まったくつじつまのつかない話なんです。
ですから、ぼくは、若い人に、
「あの人についていけばいいと、
 最初からわかっていた。勘が優れてた」
なんて言える資格はありません。
いつダメになってもおかしくないものを
常に抱えながらの青春でしたから。
ぼくが持ちつづけた夢は、
「フランスで出会った人たちのような
 仕事を、日本でもやりたい」というだけでした。

お店を開くとしたら、
万全のスタートは誰にだってできっこない。
もっと万全になってからと考えていたら、
いつまで経っても
お店を開かないままで終わります、きっと。

だから、わからないままでも
コート・ドールで働きだしたと言いますか……
その思いすらも「いま思えば」の話ですから、
当時はきっとぼくが
「とにかく行動しちゃった」のでしょう。

「お金はあとからついてくる。とにかくやってみろ」
なんて、昔から言われてますよね?
これも何の根拠もない話ですし、
「やる」ためには「お金」がいるわけですから
すでに矛盾しているんですけれども、
ぼくはその言葉を大事にしています。

必要なものを待っていたって、
まにあわないわけだから、
とにかく行動が先に来るんです。

それで、真剣な行動というか
「切実な行動」がつみかさなっていったら、
そこにいろいろな人が介在してきて、
なぜかだんだん形になっていくんです。
「必ずそうなる」という証明はできないけど、
ぼくはそういうものだと思っています。



             (『調理場という戦場』より)





(※次回は明日木曜日にお届けいたします。
  こちらの単行本先行販売ページも、
  ご覧になってくださるとうれしく思います)

2002-05-22-WED

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