COOK
調理場という戦場。
コート・ドールの斉須さんの仕事論。

第15回 住むところを、大切にする気持ち。


明日の22日から、ほぼ日紙上で、
『調理場という戦場』の先行発売をいたします。
どうぞ、楽しみにしていてくださいね!

さて、いままでのこのコーナーでは、
斉須さんがフランスに渡った直後に焦点を絞り
はじめに働いたお店でのことを紹介してきました。

今日は、単行本のページをすこし先にめくって、
第三章からの抜粋を、ご紹介したいと思います。

フランス三店目で働いた
三ツ星レストラン「ヴィヴァロワ」。
そこに至るまでに成長を遂げた斉須さんは、
どのようなことを考えるようになっていたのでしょうか。
住居に関する思いを中心に、談話を直接おとどけします!





<※第3章より抜粋>


フランスに来てから二店目までは、
屋根裏部屋や寮に住みこむ日々でしたが、
三店目のヴィヴァロワに勤める頃から、
自分の部屋に住むようになりました。

不動産会社には
「家賃の六倍の稼ぎがないと、貸せない」
と言われていました。
ちょっと、そこまでの稼ぎはなかったのですが
「これから二年分の家賃を前払いにするから、
 住ませてくれないだろうか」
と交渉して、話をつけたのです。

ストゥーディオと呼ばれる、
日本で言うワンルームマンションでした。
三二平米ぐらい。
近代的な建物で、エレベーターもついていた。
バスもトイレもついている。
「パリに出たら、住居だけはちゃんとしたい。
 きちんと住みたい」
かねがね、そう思っていました。

いくら給料が少なくても、
住むところだけは折り目正しくありたかった。
そう思うのは、友達の反応を見たからなのです。
屋根裏部屋では、まず、友達を呼ぶことができないですよ。
呼んだとしても、同じ目線では見てくれなくなる。
「外国人労働者が、劣悪な生活環境に住んでいるんだな」
フランスの人から見たら、
そういう感想が生まれるだけです。

ただでさえ、
「自分とは違う、ジャポネだ」と思われているのに、
生活環境の悪いところに住んでいれば、
更に彼らとのつきあいは遠くなる。
お互いの家を行ったり来たりするような
間柄にはなれなくなる。

人は外見で判断すべきではないかもしれません。
人間を住んでいるところで
判断するべきでもないかもしれません。

しかし、どういうところに住んでいるか。
清潔な身なりをしているか。
それを、まわりの人は
「それがマサオの生き方なんだ」
という目で見ているのです。

そして、クチでは何を言っていたとしても、
その人の住居や身なりには、
生活の現実が浮き出てくるものでしょう。

だから、稼ぎがいいとか悪いとかいうよりも、
生き方をきちんとしたいと思っていました。
富んでいるか貧乏かというよりも、
住んでいるところを大切にする姿勢を持ちたかった。
洗濯をこまめにする人間でありたかった。

そのために、ぼくはお金を貯めていました。
だから二年ぶんの前払いもできたのです。

フランスに来てはじめて持った自分の城。
給料をもらっても、
家賃を払うと、もう幾らも残っていない。
いまで言う二千円も残っていないような生活でしたよ。
だけども、それまでよりも、ずっと楽しくなりました。
何よりも「誇り」のようなものを
持てるようになったのです。

友達を呼べる。
インスタントコーヒーぐらいしか出せないけれど、
一緒にお茶を飲める。
ダイニングだけはきちんとしたところを選んでいたから、
恥ずかしがることもなく仲間を呼べる。
料理を一緒に作ることができるんですよ。

ぼくの生活状況を知っている人は
果物だのなんだの持ってきてくれて、
一緒に何かを作って食べる。
「マサオ、今度はうちにも来なよ」
友達の家に行ったり、週末に友達が実家に帰る時には、
実家に連れていってくれたり……
そういうつきあいを、はじめてできるようになった。
友達の実家に遊びに行くと、
今度は友達のご両親がパリに来た時に
ぼくの部屋を訪ねてくれるのです。
そういう交流が、次々と増えていきました。

二店目ぐらいでも、
フランス語で調理場でやりとりすることには、
もうほとんど支障はなかったのですが、
何といっても、日常会話をすることはずっと苦手でした。
その理由はわかりきっています。
調理場以外での会話が「なかった」のです。

パリでみんなとワイワイ過ごすようになってから、
ぼくは会話もできるようになってきました。
ものおじしないでどこへでも出かけるようになりました。

自分の基盤が屋根裏部屋ではないと思えることは、
部屋を離れていてもうれしいことなんですよ。
お金はかかるけれども、お金ではないんです。
気持ちの問題として、
自分の誇りを維持することが、何よりも大切でした。

日本から来た、どこから来た……
そういう外国から来ている料理人は、往々にして、
「部屋なんて、どんなところでもいいんだ。
 屋根裏部屋に住んでいてもいいから、
 二つ星三つ星のレストランに行って、
 なるべくたくさん食べ歩くんだ。
 将来にお店を開くためには、
 できるだけいいものを食べておきたい。
 芸術にしても、いいものを見てまわりたいし、
 きれいな洋服を着たい。
 いろいろなところに旅行をしてみたい。
 だから住居は二の次で当然だろう?」
そんなように思いがちなのです。
そして実際に、そういう人たちは、
ぼくの近くにもたくさんいました。

だけど、見栄を張っていても、
言動の端々に、チグハグなものが出てしまいますよ。
屋根裏で生活をしているような人が、
大統領が訪れるたぐいの最高峰のお店に行くわけですから、
それはもうおそろしいものですよ。
シビアに値踏みされていることを気づかない。
気づくことができない。

そういう人たちは、豪華なお店の豊かさに、
まだまだ対応しきれない自分に出会っているはずですよね。
ぼくは、そうやって自分の器以上のものを
追求することだけはしたくありませんでした。
だから特別にフランスで食べ歩きをしたことがありません。

ふつうなら、こわくていけないでしょう。
どうかんがえても身の丈に合っていないお店なのですから。
ぼくの選択は、まちがっていなかったと思います。

三つ星レストランに行かないかわりに、
自分で作って友達と一緒に食べられました。
おおぜいに食事をふるまう練習にもなったんですよ。
人を招くという時には、何が大切なのか。
そのことに関してはさまざまな発見がありました。

調理器具を自分で買うのも楽しかった。
その頃によく作っていたフォンドボーは、
のちにお店を開く時に
とても活躍してくれることになったのです。

パリではそこらへんのお店でも
レストランで使うものと
同じ品質のものが売っているのです。
流通構造がシンプルにできているので、
とても新鮮な素材を手に入れられた。
だから、安い値段で料理を作ることができた。

部屋には、電話までついていました。
生まれてはじめて、電話のついた家に住んだ。
それが、どれだけぼくの心を豊かにしてくれたか。
家賃を払って、水道代と電気代とを払うと
いくらも残らないけれども、ぜんぜんひるまなかったです。
だって、自分は自立して生活をできているのですからね。

ベランダを掃除できることさえ、うれしかった。
屋根裏部屋には、
ベランダなんていうもの自体がなかったのだから。
自分の部屋のお掃除に時間を費やすことができる。
めんどうなことだと思う人もいるかもしれないけれども、
ぼくには大きなよろこびでした。



             (『調理場という戦場』より)





(※つづきは、明日水曜日に更新いたします。
  メールでの感想をいただけると、光栄です!)

2002-05-21-TUE

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