好きな人の言葉は、よく聞こえますか。
補聴器って、あるのは知っていたけれど。

ほぼにちわ。

今回は、第2部のシンポジウム載録の、最終回です。
6月6日、このキャンペーンが始まってから3ヶ月。
皆さんからのメールを読ませていただいたり、
たくさんの方に話を伺ったりしてきた末に出た、
「僕たちなりの結論」のひとつが
この回でお伝えできるのではないかと思います。

これからも、この場で話された内容を、
いつでも心にとめておきたいなと思います。


 
第2部−5

カジュアルシンポジウム
「聞くコミュニケーションって
 なんだろう」
天野祐吉・鳥越俊太郎・八谷和彦
木村修造・糸井重里


糸井 補聴器のお店で聞いたんですが、
ご家族と一緒に補聴器を買いにいらっしゃる方は
後日、つけ心地についてのアンケートを見ると、
とっても良好な場合が多いんですって。
つまり、他人との関係で、
自分が補聴器をつけていることの理解が得られないと
なかなか色んな問題がおこるっていうことなんです。
今日の会合もそうなんですが、
そうじゃない人の側の心を一緒に変えていかないと、
ものごとって進まないな
って思うんですよ。
木村 家族のかたや周囲のかたのご理解なしに
本人だけの補聴をなんとかしようというのは
限界があります。
目が見えないかたは、人とモノとの問題ですが、
耳が聞こえない場合は、人と人との問題なんです。
糸井 八谷さんは、
補聴器を作ってみたいっていう
気にならないですか?
八谷 補聴器ですか。
率直に言うとならないですね。
自分がそういう状態になったらわからないですが。
糸井 補聴器に限らず、聞こえるっていうことに
絡んだおもちゃができる、なんていうのも、
非常にみんなの理解が深まりますよね。

八谷 難聴者の聞こえは、こんな風に聞こえる
っていう音の資料を、さっき聞いてみて初めて、
聞こえないっていう感覚がわかったのですが、
その「わからなさ」をなんとかするようなものを
考えれば、コミュニケーションの試みが
できるんじゃないだろうかと思います。
糸井 僕は「エンポリオ補聴器」
必要だなと思った。
ジョルジオアルマーニに対して、
エンポリオアルマーニがあるじゃないですか。
八谷 セカンドラインですよね。
糸井 そう。
ああいう部分があって、
「使ってみたけど、ダメだからやめたよ」
って簡単に言えるようになったら
もっといいのがほしいとか、
色々と考えられる。
だから、そういう立場の商品があったらと思います。
八谷 それはそうですね。
僕は、時々コンタクトをしていて、
それはディスポーザルなんですけど
前は全然そういうものがなかったわけですからね。

この用途の時には、これが必要っていうのは
絶対にあると思うんですよ。
それは補聴器にもある気がしています。
コミュニケーションのためには
眼鏡以上に必要なものなので、
そういうものが出てくることによって助かる人たちが
たくさんいらっしゃるんじゃないでしょうか。
糸井 具体的に言うと、今、
声の小さい人ばかりがいる会社と
つきあってるんですけど、
あそこに行くときは、
補聴器をつけていこうかと思う。
鳥越 糸井さんも段々難聴気味になってくると
わかると思いますけど、
人間のコミュニケーションって
視覚もあるし、聴覚もあるし、
色んなところに関係ありますけど、
僕は、耳は最大のコミュニケーションツール
だったんだなって痛感しているんですよ。

どんどん聞こえない会話をやりすごして、
皆の会話が進んでいって、僕と皆とは
コミュニケーションがとれなくなっている。
これくらいの軽度の難聴でも、
そういうことになります。
人間の耳の役割って、
この歳になって初めて思い知りました。
聞こえなくなったときに、
どう補っていくかって
とっても大事だなと思いました。
糸井 人の話を聞けないと、
自分の意見も言えないですからね。
天野 何を言われてるかっていう意味じゃなくって、
「どう言われてるか」のほうが、
よっぽどコミュニケーションには重要だったりします。
言ってる意味がなんとなくとれても、
その言い方の微妙なニュアンスがわからないと
コミュニケーションが成り立たなくなるでしょう。

そういう意味では、
言葉は文字じゃなくて音なんです。
糸井 映画の字幕だけ見てるいらだちって
絶対ありますよね。
微妙なニュアンスを、もっと感じ取りたいって、
いつも、思いますもの。
天野 たとえば、文字だけだと、
「あ、俺に金貸せって言ってるんだな」
っていうのはわかるんだけど、
金貸してほしいっていう気持ちの微妙さが
こっちにわからなかったりするじゃないですか。
鳥越 (笑)
天野 ところが、その微妙さの加減によって、
こっちも貸したり貸さなかったり
するわけじゃないですか。(笑)
糸井 (笑)なるほど。そうですよねぇ。

そろそろ、時間になりました。
僕は具体的に、こういう不自由をしている
っていうことはないんですが
「そういうわけじゃない人のほうが、
 現状を知って、一緒に変わっていく」
っていうことの大事さを、
今日みなさんでわかりあえたら、
何かがまた少しずつ
変わっていくんじゃないかなと思いました。

僕ら団塊の世代が、一気に必要としたときには、
ほんとに市場が変わるっていうのは目に見えているので
そんなに心配することもないんですけれども。
今日は皆さんに、
聞こえないということについて
聞こえている人が理解する

っていうことの重要さが伝われば、
よかったんじゃないかなと思います。

天野 落語で、親父と息子が、2人で話していて、
「あれはたばこ屋の甚平さんじゃないか」
「あれはたばこ屋の甚平さんだよ」
「あ、そうか。俺はまたたばこ屋の甚平さんかと思った」
っていうやりとりがあるでしょ。
2人とも耳が悪いっていう設定なんですけども。

それは、僕は昔はげらげら笑ってたんだけど、
最近は笑えないね。(笑)
笑えないっていう人の気持ちが分かるってことが
大事なのかなと思います。

差別だなんだって難しいことでもないんだけど、
それを笑えないやつもいるなって
5人に1人くらいはいるよなって
わかってくれると嬉しいですよ。
糸井 それをこの前、とてもお年寄りの
米朝さんがやってらっしゃいました。(笑)
あの大づかみな分かり合いかた、
みたいなことが僕ららしい結論かなと思います。
本日は、どうもありがとうございました。
(次回、第3部「耳からの言葉と音楽」につづく)



ここでの話し合いが、
最初は少ない人数からでも確実に届いて、
現状を大きく変えていくための
ひとつのきっかけになればいいなと思います。

いただいたメールを2つ紹介します。

 までは、
 コミュニケーションをとることにおいて
 お互いの耳が不自由なく聞こえる状態を
 前提として考えたり、話し合いをすることが
 ほとんどだったことに気付かされました。
 コミュニケーションをとることは、
 聞くこと、相手と関わっていくこと、
 そして相手を理解すること、
 そのおおもとに相手に聞こえるように、
 伝わるように自分から発信することの
 大切さがあるのだなと感じました。

 わがらないこと、
 特別だと思いすぎないこと、
 理解しているつもりでも
 なかなか実行できずにいます。
 これから、少しずつやっていきます。

2002-09-20-FRI

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